「アマタリシヒコ(=聖徳太子)は百済王族の子孫」
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蘇我は百済系の豪族である
豪族には戴く王族があり蘇我馬子の場合それは聖徳太子
豪族と王族の関係は切っても切れない 百済にいるときから王族と貴族の関係 
したがって聖徳太子は百済王族である 
具体的には
木満致は475年南下したが半島での足取りが消えており倭国に来た(蘇我満智となる)
一緒に南下した王族昆支王は文周王の首相を務め3年後に死んだことになっている
飛鳥には昆支の神社があり昆支王は来ており、王族と支える貴族の組み合わせが完成する 
その関係は当然100年後にも続き、蘇我馬子とアマタリシヒコとの関係となる
聖徳太子の墓と昆支の飛鳥戸神社は実に近い