邪馬台国畿内説Part1
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>>47
>そもそも飛鳥なんて田舎でたいした勢力もなかったろ。
その飛鳥には日本書紀通りの宮居のあとがきっちり確認されているんだが?
九州王朝の宮居の遺跡はどこにあるんだい? >>48
>そして、その王都は弥生時代前期は奴国、弥生時代後期は伊都国、古墳時代は太宰府だ
古墳時代に太宰府はないよ?ww >>49
ほう。
では東遷はいつあったんだ?
2600年前か?
皇国史観の底が透けて見えるぞ。 >>50
あすかのローカル史書だから、そりゃあ貧相な宮がそのまま出てきても驚かないよ。 その貧相なローカル宮より立派な九州の宮がどこにあるんだい?
九州説は根拠なしの言いっぱなしw 住吉宮、筥崎宮、高良宮、岡田宮、高祖宮、宇佐宮、香椎宮、、、 >>67
そのくだらない切り返しでこれまでどれだけの人間が畿内説から離れていったか理解していないんだろうなあ。 >>68
心配するな!
九州説はザラコクとかこのスレを立てた連続句読点が
誰よりも九州説の評判を落としてるから!
土人!
馬鹿どもよ、
邪馬台国の記述は、全部が朝鮮半島だ。
小国がたくさん記述に出て来るのは、朝鮮半島での土人(原始人)の部族名のことだ。
当時の朝鮮半島での領土の境界が地図によって変幻自在してるだろ、
ようするに移動狩猟民の部族だからだ。
世界の歴史地図では、朝鮮半島などはツングース系採集狩猟民の住むところで
文明の範囲外であるので、真っ白の空白地帯となる。
狩猟民は、原生林の中を獲物を求めて部族単位で
移動してたんだ。
で、記述のなかでいろいろと探検していって最後に最南方の邪馬台国に到着だな。
これ、ようするに日本領土だった朝鮮半島南端の任那日本府のあったあたりのことだ。
その、日本大使館か日本総領事館のような砦があった任那では、
原始部族のシャーマンであった卑弥呼が原住民のほうの族長だったということだ。
わかったか、
気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. 負け犬キナイコシがこんなところで呟いている。
惨めだなあ。 連続句読点はそんなに韓国人が好きなら韓国人になればいいのに。。。 というか連続句読点は半島人の文化を背景とする価値観で生きてるんだな。。。 連続句読点は韓国で暮らすといいんじゃないかな。。。 キナイコシはよほど韓国にコンプレックスがあるんだな。 邪馬台国畿内説は、永遠に、説のままだから、真実ではないということだなw
1日本@名無史さん2018/12/03(月) 22:24:37.81
邪馬台国畿内説は、永遠に不滅です 北朝鮮に支配され操つられている韓国政府が、完全に破綻した邪馬台国畿内説を今もまだ宣伝している目的が、魏志倭人伝時代までは倭人という民族が九州や沖縄だけではなく、今の韓国の領土の大部分も元々の領地にしていたという真実を隠すことだと判明したので、
このスレッドで討論する話題を、魏志倭人伝時代に倭人が本州や四国の、どの範囲まで、領地を広げていたのかや、魏志倭人伝時代に奈良に住んでいた者達が何者だったのかや、九州のどこに倭国の都があったのかの話題に、変換すれば良いな。。。 纒向遺跡への搬入土器の出身地割合
伊勢・東海系 : 49%
北陸・山陰系 : 17%
河内系 : 10%
吉備系 : 7%
近江系 : 5%
関東系 : 5%
播磨系 : 3%
西部瀬戸内海系 : 3%
纒向には魏の使いが滞在していた筑紫からの搬入物がない。
邪馬台国が交流していたはずの楽浪郡からの土器も出ない。
目と鼻の先の河内との交流も乏しく、畿内の他の地域のような瀬戸内海や淀川の水運の利益を受けられない、尾張の支配下の後進地域であった。
畿内説が言うように東海地方が狗奴国なら、纒向への土器の流入を説明できない。 1からやり直すというのなら、バカしかいない畿内説をちょっと加勢してやろうか。
・女王国≠邪馬台国
・邪馬台国=女王の都とする所=女王の故郷
・卑弥呼は畿内から九州に招かれた女王だった
・九州北部の統制を任された地域を女王国と呼んでいた
・魏志に書かれている邪馬台国の描写と思われる個所は、卑弥呼の滞在場所となった九州の一集落
・邪馬台国までの行程については極秘にしたかったので、使者には嘘を教えた
・九州北部の倭人は実は邪馬台国がどこにあるのか知らなかった
・狗奴国はやはり熊本
この線でも考えてみてくれ。 せっかく加勢してやってんのに畿内説はまだ寝てるのか?
毎日24時間一人で闘ってるんだから仕方ないかw >>98
ということは、九州北部が卑弥呼のいた女王国であり、邪馬台国自体は奈良にあったということかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています