インターネットの「第336回邪馬台国の会 仁徳天皇陵古墳」が掲載している椿井大塚山古墳出土三角縁四神四獣鏡の平面図について

京都府木津川市にある椿井大塚山古墳出土三角縁四神四獣鏡のこの平面図にみえる中央小丘の中心点と小丘の南北に位置する二つの小突起を結ぶ南北軸線を引くと、その軸線は南北小突起のすぐ外側にある円周上の山形図像の頂点も通過する。
(但し、南側の小突起では、軸線は中央点ではなくやや左にずれる)
次に、中央小丘の中心点と小丘の左右に位置する小突起を結ぶ東西軸線を引くと、その軸線は東西小突起のすぐ外側にある円周上の山形図像の頂点も通過するこの南北と東西のそれぞれの軸線によって、鏡面は四つの区画に分けることができる。
この四つの区画には、中央小丘に最も近い円周上の山形図像がそれぞれちょうど一八個配置されている。
ということは、この最も内側の円周上には、山形図像が一八個×四区画=七二個が等間隔で配置されていることになる。
そこで、全周三六〇度を七二個で割ると、一個当たり五度の値が出る。
このことは、一個の山形図像の頂点から次の山形図像の頂点の直前までの空間が五度の角度であることを示していることになる。
ここで、東西線の西側の山形図像から下に六個目の山形図像の位置は中央小丘からみて東西線に対して三〇度の角度となり、この三〇度の角度の位置にある六個目の山形図像は二十四節気の冬至点と重なる。
この東西線から下へ六個目の山形図像を冬至点とし、そこを起点として五度ごとに逆に上へ移動すると、それぞれの山形図像は二十四節気の冬至点、小寒点、大寒点、立春点、雨水点、啓蟄点にぴったり重なる。
そして、次の東西線上の山形図像は春分点と重なるが、そのまま五度ごとに上へ移動すると、それぞれの山形図像は春分点、清明点、穀雨点、立夏点、小満点、芒種点とぴったり重なる。
つまり、東西線から下に三〇度の角度の位置を起点として、ここから上へ五度ごとの山形図像移動して六〇度の位置まで進むと、この間の十二個の山形図像は二十四節気の冬至点から芒種点までの半年分の各節気とまったく完全に重なっているということである。

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