画文帯神獣鏡や三角縁神獣鏡には、二十四節気暦の三年分のカレンダーが円周上に配置されている可能性が極めて高いことをみてきた。
その銅鏡の暦カレンダーが日本で実際に祭祀に用いられていた可能性は高く、その実例をこれから見て行くことにしたい。

まず、奈良県桜井市にある纏向遺跡の大型建物群と大規模墓域について。

大型建物群の平面図は、http://www.eonet.ne.jp/〜yamataikoku/4910.html の画面の上から2番目、「纏向遺跡の大型建物(箸墓の幾何学)デジタル邪馬台国」を参照してください。

この平面図にある通り、大型建物D、棟持柱建物C、建物B、建物Aの中心を結ぶと、その軸線は一直線に通っていて、建物をこの軸線の方向に向けて並べて建築したことが分かる。
しかし、この軸線の方向が何を意味しているものか、研究者の間でも意見がさまざまで、定説を得るには至っていないようだ。
これまでに分かっていることは、この軸線は真東と真西を結ぶ東西線に対して南に約5度傾いていることだ。(桜井市教育委員会は、その傾きについて、4度〜5度の約5度の角度だと明らかにしている)。
大型建物Dは、多人数が集まって何かを行う施設とみられ、建物Cは棟持柱が両端にあることから物を収納する用途の建物とみられている。
建物Bは楼型の見晴らし場のような建物とされる。