>>53
                                続く

このように、円周上の建物SB8が二十四節気の大暑点から2度の角度、日数で6日分南へ進んだ軸線上に建てられていることの理由付けはできたと考えるが、
しかし、御上神社の祭神を祀る山上祭、影向祭が行われる旧暦6月18日(新暦7月20日)が、近畿地方の梅雨明け平年日と重なることを考えると、
祭神天之御影神の降臨の祀りは梅雨明けと伴に姿を現す太陽と二十四節気の暦上の大暑に関連する祭事であると考えることができる。
そうすると、暦上の大暑点から6日後の軸線上に建物SB8を建てて、実際の最も暑い時期の方位を現し、
その象徴的な軸線上で7月20日の梅雨明けを意味する御影神降臨祭やそのあとの2、3日の間の御影神(大暑神)を祀る祭事を執り行ったと考えると、
実際にはその祀りの時期はまだ最も暑い時期にはなっていず、軸線は最も暑い時期を象徴しているだけということになる。
それであれば、軸線は大暑点と重なる20度の角度の軸線上にSB8を建てるのが当然ということになる。
しかし、実際は、SB12やSB8は大暑点から2度南にずれた角度の軸線上に建てられている。
この2度ずれた軸線に主眼を置いた場合、梅雨明けによる御影神の山上への降臨の祀りや、麓での影向祭は軸線とは関係なく7月20日に行い、
実際に最も暑い時期の到来を表す二十四節気の大暑初日の祀りは大暑点の7月22日、あるいは23日から6日後の7月28日、あるいは29日に建物SB8に向かって行ったのかも知れない。
この考えのほうが、合理的だ。
西側のSB5が実際の冬至の日に合わせて、暦の冬至点よりも2度ずれた28度の角度の軸線上に建てられているのと同じである。
しかしながら、現在、御上神社でこの日に行う祭事はない。
元々は最も暑い時期に行う祭事があったが、7月20日の降臨祭のあとに行う御影神の祭祀に集合し、元々の大暑の祭祀は失われたのだとするのが正しいのかも知れない。

                               続く