>>54
追加

建物SB8の位置が大暑点から2度南にずれていることについては、中心点から20度の角度の軸線と重なる二十四節気の大暑点の祀りを、
実際に気温が上昇する7月28日、29日頃にずらして行ったことを表している、と考えるのが良いようだ。
そして、この時代には、まだ天之御影神は創出されていず、三上山の神は別にいて、
その神の祀りは円周上の建物とは関わりなく行われるものだったのではないか。
やがて、伊勢遺跡が廃絶したのちに、2度ずれた大暑の祀りを基にした最も暑い太陽の光の神が創出され、
三上山の元々の神と習合して、梅雨明けと伴に降臨する大暑の神となり、梅雨明けの7月20日に山上から麓に迎えられ、
その祀り期間中の大暑日にも祭祀が続けられるようになった、ということではないか。
この考えかたのほうが、合理的なように思える。

御上神社の社殿の位置は、建物SB8の軸線を三上山の麓まで延ばしたものととらえるのが妥当だろう。
ということは、建物SB8が解体されたあとも、何らかの標識が残されていた可能性を考えることができる。