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>三角縁神獣鏡 畿内で最も多く見つかる魏の銅鏡<

畿内なんて存在しないし、大和の△は4世紀以後であり、明帝の銅鏡でもない。

>記銘されている魏の年号景初三年は 当時現存していた原典に近い魏志倭人伝を引き写した
梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧に卑弥呼が魏に使いを送った年と出てくる
魏から卑弥呼への下賜鏡とされる<

明帝の詔書は景初二年12月だから、景初三年紀年鏡は、明帝下賜鏡にはなあrない。

>淮南子に書かれている世界の果てまでの距離1万2千里
帯方より南1万2千里が邪馬台国は短里で実測された距離という
九州説の主張を漢の時代に書かれた淮南子に出てくる<

陳寿は、「余」という記録からの近似した事を示す表現を使っていたから、
その元になった記録は、淮南子のような「余」のない記録ではなかった、
という事になる。
空想的なものだよとバッサリ一刀両断。