いずれにしても>>84に示したように、人口比で言えば本州は九州の4、5倍。

行程記事にある末盧国(4000余戸)、伊都国(1000余戸)、奴国(20000余戸)、
不弥国(1000余家)、投馬国(50000余戸)、邪馬台国(70000余戸)、
計146000余戸。

このうち奴国は、北九州最大の大人口地帯である博多湾地域に比定される。

そして投馬国と邪馬台国を合わせると奴国の6倍の戸数になるのだが、
博多湾地域の6倍もの人口を、九州の中部や南部の一体どこで養うのか?

その上、女王国の境界までの国として、
『次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國
次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國
次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡』
を入れ、さらに加えて狗奴国まで入れないといけない。

こんなの、九州のどこに入るのか?

こう考えると投馬国と邪馬台国は、本州に存在する巨大領域国と考えざるを得ない。
行程記事の書きぶりの変化(里数→日数)と行程の長大化も、これと附合する。