>>645
>水行距離については、広めの海峡を渡ったらザックリ1000里なのだろう。<

いや、「余」がある、という事は、何らかの計測値からの近似である、という事だ。

>また短里でも長里でも、どちらにせよ<

長里は、×だ。

>北九州の沿岸のクニを南西から北東に向けて順番に巡っていることは変わらず、<

伊都国の後は、「東行」で不彌國であり、その後は、「南至邪馬壹國」だ。

>その後の『水行20日』と『水行10日+陸行1月』で
九州からはるか南の海上に出てしまうことも変わらない。<

「水行二十日」は、不彌國からの側副傍線國の投馬國への所要日数であり、魏使らは行っておらず、
「水行十日陸行一月」は、その直前の「女王之所都」の数量説明であるから、郡からの所要日数説明であり、
「九州からはるか南の海上」に出てしまわないから、×だ。