邪馬台国論争は卑弥呼が誰なのか、その一点。

応神陵=誉田御廟山(5世紀初)
神功皇后陵=五社神(4世紀後半)
景行陵=渋谷向山(4世紀前半)
崇神陵=行燈山(4世紀初〜前半)

崇神の数十年前にトヨがいてその3世代前に事代主神の娘ヒメがいます。
住んだ場所は葛城、墓は高天原。
神武東征紀とはことさら武勇伝を強調し、女王国時代を男王国に見せかける事を意図したものでしょう。

卑弥呼が分かればその100年前の帥升も分る。

日本の歴史がAD107年後漢皇帝・安帝へのスサノオの土下座から始まる、
その屈辱的史実を覆い隠すために記紀は編纂されました。