>>161
>沖縄あたりに邪馬台国があるというのは、古代中国人の強固な固定観念。<

いや、後代の後漢書の范曄の「自己解釈に拠る魏志の書き換え」が犯人。

>実際の邪馬台国の位置を割り出すのにこ“理想郷=邪馬台国”へ行く行程はほとんど意味がない。<

邪馬台国なんて存在もしない「結論先にありき」のインチキ造語。

>ただ、唯一重要なのは、唐津→伊都→奴→不彌の国名。
これは、実際にの邪馬台国への道筋であるが、<

いや、奴國は伊都国からの側副傍線國の説明であり、道筋から外れる。

>方角は地図をみれば分かるように、唐津から北東方向へ行くもの。
南東へ行く倭人伝の行程ではない。 <

「東南」は「 倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑」の東南であり、
行程記載は、その方向への「折れ線的道のり移動」のルートであるだけ。