銅鐸は朝鮮の無紋小銅鐸がルーツ。
日本では九州が早く、だんだん東に移動。移動するにつれ大型化して、初めは音を出す為の舌も付いていたが
大型化したら無くなった。
吉野ヶ里から銅鐸の鋳型が見つかり、その鋳型で作られた銅鐸が出雲で見つかっている。
大阪とならの県境あたりで鋳ズレを起こした銅鐸が見つかり、それでも使用した形跡がある。
その頃畿内はすっげえ後進地帯だったようだね。
銅鐸を崇拝して神のように取り扱っていたようだ。
吉野ヶ里は魏使が見たままの記述であるから伊都国だった可能性がある。