銅鐸の起源にはおおむね二説がある。
@我が国の畿内が発祥地であるとする説。
 素材の銅につき1.日本列島産出説。2.朝鮮半島由来説があり、半島からはインゴッド輸入説と銅剣・銅矛改鋳説がある。
A外来説。外来地には二説があり、1.朝鮮半島経由説、2.中国上海説がある。

@の畿内発祥説の根拠はこの種の祭器ないし楽器等は東アジアにない、と言うもののようである。
これに対し、外来説は家畜の首につけられたベル(鈴)が朝鮮半島経由で日本に伝わり、大型化して様々な文様が施されるようになった(多数説)、とするようである。
中国上海伝来説は近時の説で「中国江蘇省無錫市にある春秋戦国時代(紀元前770−同221年)の地方国家、越の貴族墓から、日本の弥生時代の銅鐸(どうたく)に形が似た青磁器の鐸がこのほど出土した。
南京博物院考古研究所の張敏所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると指摘している。」(四国新聞2006/02/09 16:41)と言うが、日本ではあまり支持されていないようである。
しかし、稲作技術は中国南部の長江沿岸で発達したものであり、日本に上海から直接入ってきたとしても何ら不思議はない。稲作の適不適を考えるならば朝鮮半島の寒帯、亜寒帯よりは上海の温帯地域から
導入したと考える方が尋常であり、また、鐸も鈴がデフォルメされたと考えるより、はじめから鐸として入ってきたのではないか。
遺物の鈴や小型銅鐸だが、それらが現在我々が銅鐸と言っているものと繋がるかは検討を要する。あまりに発掘例が少なく弥生人が鈴から一挙に銅鐸へデフォルメしたと考えるのは不自然ではないか。
弥生時代にせよ古墳時代にせよ前の時代とのつながりが薄い発生時より完成度の高い文化なり時代であったと思う。

銅を輸入しながら、越の磁器鐸の代替を作ったというのもなんだかなあ。
磁器鐸を作るよりは銅鐸の製造技術はとんでもなく高度な技術だ。日本で技術開発されたとはとても思えん。
朝鮮半島でも自分で発明は出来ない。おそらく遼東半島あたりから齎された技術だろう。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/50/Liu_Ding.jpg/800px-Liu_Ding.jpg
こんなものが昔からあったから。