日本に対する朝鮮起源説を真面目に考えるスレ
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日本の歴史は朝鮮半島が起源だと主張するチョンキチ(チョンコのキチガイ)
VS
日本の歴史に朝鮮半島は無関係だと主張するウヨキチ(ネトウヨのキチガイ)
他スレを無駄に汚さないためにも、ここで熱いバトルを繰り広げてくれ! 刻まれた「久不相見、長母相忘」
「長く会わなくても、お互い忘れないようにしましょう」
こんな文が刻まれた鏡が吉野ヶ里の甕棺から出土。
この鏡と同じ形・同じ銘文をもつ銅鏡が
中国雲南省の前漢時代の墓から出土した。 「久不相見、長母相忘」
「長く会っていなくても、お互い忘れないようにしましょう」
この文面は男女間の深い情愛を示すもの。
倭王が女王で有る事を知った漢の王から卑弥呼に送られたものであろうか? >>100
お前の勝手な妄想に過ぎないし、何よりスレチ
ここは「日本に対する朝鮮起源説を真面目に考えるスレ 」だぞマヌケ >>97
>これらに代表されるように、日本列島内の弥生遺跡中、最も濃厚な文字文化の痕跡を有すのは筑前中域であり、この地域を邪馬壹国に比定すべきとの結論に至らざるを得ない
素晴らしいレスなのに、この最後の部分だけが余計。
弥生時代には、硯は出雲の田和山遺跡、土器の文字は三重の大城遺跡などからも出ている。
あと壱岐の原の辻遺跡からは楽浪の文物とともに出雲土器と畿内土器が出ている。
これは楽浪の使者を迎え入れた弥生時代の日本のエスタブリッシュメントが出雲人や畿内人であった証拠だ。
いわゆる銅鐸族だな。
出雲の荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡出土の銅鐸との兄弟銅鐸が畿内や中部に一斉に拡散する。
松帆銅鐸の放射性炭素測定でBC4〜BC2世紀の事だ。
おそらく始皇帝が大中華を統一したBC3世紀の事であろう。
想像を絶する数の軍隊を持つ秦にたいして首都移転、そして九州瀬戸内の防御を固めた。
こんな時代以降に九州に女王の住む都などありはしない。
君は真子様・佳子様を対馬に住んでもらおうとは思わないだろ?
それと同じ。 >>102
渡航する手段が命がけの時代にそこまで防御を気にしてないよ >>103
頭が固い。
弥生時代の青銅器の分布。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/00/86d1ac428163de75a84d16613a07611a.jpg
九州・瀬戸内に銅剣や銅槍などの武力、
畿内・中部に銅鐸という呪力。
これは九州瀬戸内の防人が畿内の王権を守ってる姿であり、
白村江の敗戦後の様相と全く同じ。
こんな時代に九州に女王の住む都などあるわけない。 >>104
航海できる帆船も存在しない時代に大陸からの軍事行動に備えるわけないだろ無知なのか? 銅鐸は朝鮮の無紋小銅鐸がルーツ。
日本では九州が早く、だんだん東に移動。移動するにつれ大型化して、初めは音を出す為の舌も付いていたが
大型化したら無くなった。
吉野ヶ里から銅鐸の鋳型が見つかり、その鋳型で作られた銅鐸が出雲で見つかっている。
大阪とならの県境あたりで鋳ズレを起こした銅鐸が見つかり、それでも使用した形跡がある。
その頃畿内はすっげえ後進地帯だったようだね。
銅鐸を崇拝して神のように取り扱っていたようだ。
吉野ヶ里は魏使が見たままの記述であるから伊都国だった可能性がある。 >>107
あべこべ
吉野ヶ里の鋳型も出雲の銅鐸も朝鮮の無紋小銅鐸より古い 天皇は古代大陸と親しかった王
武士政権以降の日本とモンゴル帝国に降ったシナチョンは敵 >>107
ウソツキは朝鮮ヒトモドキの始まり!
朝鮮半島から出土した小銅鐸はサイズや製法、その構造などから殷の馬鈴がルーツと断定されている。
馬鈴は多数の騎馬を統率するために用いられた馬具だが、遊牧民族が牧畜の際に家畜の統率用に転用し、それが朝鮮半島に伝わったと考えられる。
傍証として挙げられるのが無鰭(むき)で鈕(ちゅう)と共に摩耗が激しい、また6世紀以降の遺跡から家畜と共に出土している点である。
これはつまり家畜の頸に結わえ付けていた証拠であり、小銅鐸ではなく畜産用の首鈴と名称を変えるべきという意見も多い。
一方、3世紀の遺跡から出土している日本の銅鐸は越の祭祀鐸がその起源と考えるのが一般的である。
越の祭祀鐸はその使用目的から有鰭(ゆうき)装飾があり、司祭が手に持って振っていたために持ちやすいよう鈕は平たく、共に磨耗は少ない。
これは日本国内で発見されている銅鐸もまったく同じで、鈴ではなく鐸という共通点もある。 >>111
ちょっと調べてみたんだが、朝鮮半島の小銅鐸は6世紀の遺構から出土してるが炭素年代測定などは実施していないんだな。
しかも吉野ヶ里遺跡の銅鐸や広島の黒川銅鐸などは3〜4世紀だと結果が出てる。
ここで疑問なのは旧来の「朝鮮半島の小銅鐸が原型で、祭祀用に鰭などの装飾が加わり巨大化した」というのが一切当てはまらないわけだが、なぜそんな見解が発生し、こんちにでもそれが事実化のように語られているのか? >>112
それが日教組と近隣諸国条項の恐ろしいところ 韓国起源を否定しようとする歴史修正主義者の方がはるかに恐ろしい >>114
だって朝鮮起源説自体が事実ではなく洗脳教育に基づく民族的願望でしかないじゃん(笑) >>114
どこのスレでも完全論破されっぱなしで反証すらできてないんだから挑戦式捏造史と蔑まされてもしょうがないんじゃないか? 300年代は倭が朝鮮半島の主要なプレイヤーだったのに「銅鏡も銅鐸も朝鮮が
日本に与えてあげた」が通用するわけがないんだよな。楽浪郡や帯方郡と直接
通行して直接入手してるにきまってんのに。600年代以降の仏教伝来と無意識に
混同しとるんですわ。 >>117
仏教も4世紀には既に国内に入ってきてるんだよな。
魏志倭人伝に明記されてる。 中国と日本からコピーした文化を朝鮮起源と勘違いするのは有名な話 低脳の集まりなんだろう
『松傾』の家の話をしているんじゃないの?
というか家の話?
当時の朝鮮半島(不明)に住んでいたと言うだけの話で、
実際は古代の中国の人だと書いてあるはず 本当の話
家(何かの『写真』なども貼り付けた。制服のようなものを着ていたり)
は戦争などにも行っていないと言っていたり、
親戚などのことは、わからない。
『伊達の桃太郎』
この辺りに疎開(避難)したとか、
むかーし住んでいたことがあったんだよという家か・・・、
または親戚の家? 家の話なのかな、
親戚(兄弟など?もう少し離れている?)の家の話なのかな?
そのとき(疎開したとき)も、芝居ばかり観に行っていたとか 蚕を飼っていて、機織り〜・・・・、
ほとんど同じ話
川俣町(伊達郡、いまの福島県?)
というところの話をしていたり 何なんだろう・・・、
時代が経ち、芸能(古典?)関係の人になったのかな。
監督、演出、演者か・・・作者?
その後・・・一般人?家は普通の家の人だしな・・・。 母親が言っていたんだけど(老婆から聞いた話だと言っている)
ウルトラマン、ゴジラなんかがあるでしょ、
制作していた人?
親戚(老婆の家のほうの話だったかな)か、
何かがいるんだよみたいな事を言っていたり
マラソンのほうの人かな、同じような名前のでしょ、
エンヤ? 何が、おかしな話なのか・・・となるでしょ?
家の後ろに高速道路(産業道路)があるでしょ、
たまーにゴジラのテーマを流している車(黒い車)が走っていたり、
最近は走っていない、数年前からだったかな 右翼、左翼・・・?このような黒い車
日本男児(このような、よくわからない曲)〜w
流していて、走っていたり 『右翼 ゴジラのテーマ』
調べてみると、それらしき話が出てくる、何なんだろう 銅鐸の起源にはおおむね二説がある。
@我が国の畿内が発祥地であるとする説。
素材の銅につき1.日本列島産出説。2.朝鮮半島由来説があり、半島からはインゴッド輸入説と銅剣・銅矛改鋳説がある。
A外来説。外来地には二説があり、1.朝鮮半島経由説、2.中国上海説がある。
@の畿内発祥説の根拠はこの種の祭器ないし楽器等は東アジアにない、と言うもののようである。
これに対し、外来説は家畜の首につけられたベル(鈴)が朝鮮半島経由で日本に伝わり、大型化して様々な文様が施されるようになった(多数説)、とするようである。
中国上海伝来説は近時の説で「中国江蘇省無錫市にある春秋戦国時代(紀元前770−同221年)の地方国家、越の貴族墓から、日本の弥生時代の銅鐸(どうたく)に形が似た青磁器の鐸がこのほど出土した。
南京博物院考古研究所の張敏所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると指摘している。」(四国新聞2006/02/09 16:41)と言うが、日本ではあまり支持されていないようである。
しかし、稲作技術は中国南部の長江沿岸で発達したものであり、日本に上海から直接入ってきたとしても何ら不思議はない。稲作の適不適を考えるならば朝鮮半島の寒帯、亜寒帯よりは上海の温帯地域から
導入したと考える方が尋常であり、また、鐸も鈴がデフォルメされたと考えるより、はじめから鐸として入ってきたのではないか。
遺物の鈴や小型銅鐸だが、それらが現在我々が銅鐸と言っているものと繋がるかは検討を要する。あまりに発掘例が少なく弥生人が鈴から一挙に銅鐸へデフォルメしたと考えるのは不自然ではないか。
弥生時代にせよ古墳時代にせよ前の時代とのつながりが薄い発生時より完成度の高い文化なり時代であったと思う。
銅を輸入しながら、越の磁器鐸の代替を作ったというのもなんだかなあ。
磁器鐸を作るよりは銅鐸の製造技術はとんでもなく高度な技術だ。日本で技術開発されたとはとても思えん。
朝鮮半島でも自分で発明は出来ない。おそらく遼東半島あたりから齎された技術だろう。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/50/Liu_Ding.jpg/800px-Liu_Ding.jpg
こんなものが昔からあったから。 >>131
すでに覆されて随分と経ってる仮説
現在の定説は↓
朝鮮半島から出土した小銅鐸はサイズや製法、その構造などから殷の馬鈴がルーツと断定されている。
馬鈴は多数の騎馬を統率するために用いられた馬具だが、遊牧民族が牧畜の際に家畜の統率用に転用し、それが朝鮮半島に伝わったと考えられる。
傍証として挙げられるのが無鰭(むき)で鈕(ちゅう)と共に摩耗が激しい、また6世紀以降の遺跡から家畜と共に出土している点である。
これはつまり家畜の頸に結わえ付けていた証拠であり、小銅鐸ではなく畜産用の首鈴と名称を変えるべきという意見も多い。
一方、3世紀の遺跡から出土している日本の銅鐸は越の祭祀鐸がその起源と考えるのが一般的である。
越の祭祀鐸はその使用目的から有鰭(ゆうき)装飾があり、司祭が手に持って振っていたために持ちやすいよう鈕は平たく、共に磨耗は少ない。
これは日本国内で発見されている銅鐸もまったく同じで、鈴ではなく鐸という共通点もある。 チョンコの歴史の特徴は偉人と呼べる人がいない。歴史ある他国の偉人を朝鮮人と呼び、虚栄心を満たしているアホチョンコ。 >>12
>馬韓も辰韓も弁韓も「国」とは読んでもらえていない点にも注目
↓「國」と言う字を検索したらどうだ?
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gisi_kanden/gisi_kanden.htm >>135
馬鹿ンは地域名でその中に50チョイのクニがあるよ 国というのはいまでいう「村」程度のニュアンスね。春秋時代には支那大陸には300もの国が
あったが、それは大半は周に形式的に封襲された村程度の意味しかない。 >>137
そんな分かり切った事を何でいちいちレスするの? 高麗大学の金鉉球と鄭大均の両教授は、漢文の書き方から見ても三韓の建国神話は「日本書紀」を模倣して書かれたものであることは明白であり、現代の歴史教育における三韓史も「日本書紀」を土台としつつ、感情的に受け入れられない部分を削除し、ただ根拠もなく三韓が日本に文化を伝えたと改ざんした捏造史であると断言している。
また「日本書紀」に引用されていることを理由に百済三書を事更にもてはやそうとする朝鮮ヒトモドキも多いが、韓民族最古の歴史書である三国史記には、「百済開国已来、未有以文字記事、至是得博士高興、始有書記(百済は開国以来、東普の高興博士が書記を記録するために訪れるまで文字で記録を残したことはなかった)」と明記されており、百済三書の存在自体の信憑性は低いと断定してる。
加えて朱蒙伝説なるものが神武伝説の元になっていると強弁する朝鮮ヒトモドキも散見されるが、「論衡」「後漢書」「魏略」に記録されている東明は扶余族の東明であって、高句麗初代王の東明(朱蒙)と混同するのは彼らの民族的願望であり事実ではない。
やはり金教授と鄭教授の指摘にあるように、朱蒙伝説も後年になってから日本書紀を模倣して創作された伝説と見るべきである。
なお、百済三書(百済記、百済新撰、百済本記)は日本書紀の引用文献として名前が上がっている以外に存在を証明するものがなく、「天皇」や「日本」と表現している点、漢音ではなく呉音で表記されている点などを勘案すると、日本書紀の権威付けのために日本書紀編纂者が創作した文献であり、実在はしていなかったとするのが現在の定説である。 去年の11月にはこのニュースで朝鮮ヒトモドキどもが歓喜してたのに
https://www.47news.jp/2937430.html
今月蓋を開けてみたら真逆の結果が出てしまい意気消沈してるヒトモドキどもwww
https://www.47news.jp/3327929.html 旭川 D2 63%
関東 D2 48%
沖縄 D2 40%
名古屋 D2 34%
西日本 D2 26%
韓国 D2 3.7%
https://i.imgur.com/DEIuaoL.jpg >>145
妄想垂れ流しじゃなくて一度で良いから根拠を見せてみろよ無能ヒトモドキ -ーー- 、
./三 -ー- \
__/二 /-、 r- Y
{_|三/ ー- -‐ |
==(_ミ{_ 。。 |
| | -=ニ=- ! 朝鮮総督府によって
__∧ ヽ `ー' /_ ウリたちの伝統服を
/:::::::::::\\`ー─ '/7::::::ヽ 今のチマチョゴリに
/:::::::::::::::::::::\\ //::::::::::::::i 変えられたニダ!!!
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./ ヽ_!_!_j_} └|_!_!_!j \ 〜銅鐸は朝鮮の無紋小銅鐸がルーツだと言い出したチョンコ起源説を叩き潰そう♪〜
朝鮮半島から出土した小銅鐸はサイズや製法、その構造などから殷の馬鈴がルーツと断定されています。
馬鈴とは多数の騎馬を統率するために用いられた馬具ですが、遊牧民族が牧畜の際に家畜の統率用に転用するようになり、
それが朝鮮半島に伝わったと考えられています。
傍証として挙げられるのが外側が無鰭(むき)で鈕(ちゅう)と共に摩耗が激しい、また家畜と共に出土している点です。
つまり家畜の頸に結わえ付けていた証拠であり、小銅鐸ではなく畜産用の首鈴と名称を変えるべきという意見が国際学会では大半を締めていますが、
朝鮮ヒトモドキどもがチョンコ起源を主張したいがために頑なに拒否し続けています。 松菊里式住居と同じ発想ですね。
なにより朝鮮半島では3世紀以前の遺跡からは出土していないという点も重要です。
一方、紀元前3世紀の遺跡から出土している日本の銅鐸は越の祭祀鐸がその起源と考えるのが一般的です。
傍証としては同時期に銅と鉄の鋳造技術が越から同時に伝播しており、実用品は鉄、装飾・祭祀用が青銅と使い分けが明確である点です。
また、越の祭祀鐸はその使用目的から有鰭(ゆうき)装飾があり、司祭が手に持って振っていたために持ちやすいよう鈕は平たく、共に磨耗は少ないのです。
これは日本国内で発見されている銅鐸もまったく同じで、鈴ではなく鐸という共通点もあります。
2世紀前半から巨大化と装飾が増えていきますが、これも当初から祭祀鐸であればこその正常進化と言えるでしょう。
さらには朝鮮半島で出土する銅矛と銅戈は九州の鋳造技術で作られており、北部で出土する銅剣は小銅鐸と同じく鍛造で作られています。
上記の検証により、日本の銅鐸が朝鮮の小銅鐸とは何ら関連がないのは明白です。
なお、朝鮮半島で小銅鐸が出現する3世紀に、忽然として日本から銅鐸が消えている点の因果関係はまだ判明していません。 鉱山が枯渇したとか交易商品として海外に大量に需要されたとかではないのか >>148
>なお、朝鮮半島で小銅鐸が出現する3世紀に、忽然として日本から銅鐸が消えている点の因果関係はまだ判明していません。
誰か移住したのかな。
倭の敗者である分家が百済になった?
あと銅資源は倭が大陸半島から輸入する側だ。
倭から製品を出荷していたなら、その地域は他の地域から原料を手に入れられないか、倭と特別な関係にあったということか。
百済だな。 韓半島から移動した国家権力機構が九州倭国
支配階級は天孫つまり扶余族 >>150
文盲過ぎる。
九州島では門司〜小倉〜宗像〜香春と広い範囲で銅山がある。
魏志韓伝を読めば、弁韓(民族的には辰韓と合併して後の新羅、土地的には狗邪韓国が接収して後の伽羅と任那)で、
産出していたのは鉄と鉛だけで、銅の産出は記録されたことがない。
そもそも九州島では錬銅・錬鉄は同時期に発生(越からの技術提供が最も有力)し、黒くて硬い鉄は実用、
金色で柔らかい銅は祭祀用と明確に区別されて運用されている。
まして鋳造の銅鐸と銅板を曲げ延ばして作る半島が小銅鐸だと主張する畜産用の首鈴に因果関係は皆無。
無理やりに民族願望を展開するな無能ヒトモドキ。 >>151
天孫族は実在を証明できない架空の民族なのでSFスレでやりなさい。
プヨに関しては下記の史料を参照しなさい。
〜プヨもチュモンも日本とは無関係! むしろ半島の伝説はすべて「日本書紀」からパクった妄想だった♪〜
高麗大学の金鉉球と鄭大均の両教授は、
「漢文の書き方から見ても三韓の建国神話は日本書紀を模倣して書かれたものであることは明白であり、現代の歴史教育における三韓史も日本書紀を土台としつつ、
感情的に受け入れられない部分を削除し、ただ根拠もなく三韓が日本に文化を伝えたと改ざんした捏造史である」と断言しています。
また「日本書紀」に引用されていることを理由に百済三書を事更にもてはやそうとする朝鮮ヒトモドキも多いが、韓民族最古の歴史書である三国史記には、
「百済開国已来、未有以文字記事、至是得博士高興、始有書記
(百済は開国以来、東普の高興博士が書記を記録するために訪れるまで文字で記録を残したことはなかった)」と明記されており、
こんにちでは百済三書の存在自体の信憑性は低いと断定されています。
加えて朱蒙伝説なるものが神武伝説の元になっていると強弁する朝鮮ヒトモドキも散見されるが、「論衡」「後漢書」「魏略」に記録されている東明は
扶余族の東明であって、高句麗初代王の東明(朱蒙)と混同するのは彼らの民族的願望であり事実ではありません。
やはり金教授と鄭教授の指摘にあるように、朱蒙伝説も三国史記編纂時になってから「日本書紀」を模倣して創作された伝説と見るべきでしょう。
なお、百済三書(百済記、百済新撰、百済本記)は日本書紀の引用文献として名前が上がっている以外に存在を証明するものがなく、
「天皇」や「日本」と表現している点、漢音ではなく呉音で表記されている点などを勘案すると、日本書紀の権威付けのために日本書紀編纂者が創作した文献であり、
実在はしていなかったとするのが現在の定説です。 >>155
普通に考えれば、紀元前の航海技術で原料としての銅の運搬が不可能なことくらい分かるものだが・・・ 銅の採掘の方が難易度が高そうだ。
数十kg程度の銅製品だったら、船でも運べるでしょ。
銅矛や銅鏡なら、重量は高が知れている。
荒神谷遺跡くらいのスケールになると流石に重そうだがな。 >>157
アホなのか?
>>156は原料としてって但し書きしてるのに何で製品運ぶ話にしてんだよ
そもそも銅鐸、銅矛、銅戈は鋳型が列島側でしか見つかっておらず、大陸はおろか半島で生産された痕跡はないんだぞ 原石を運ぶのではなくて、大陸半島から半製品の状態で運んでくるんだよ。
採掘や精錬を国内でやっていたかどうかは不明だ。
弥生時代の銅鏡の多くは輸入品だしね。 半島が余計だな中国製
鉄製品も半島にはない二条突帯鉄斧だから中国直輸入 倭人が半島で鉄を仕入れているのは魏志韓伝に記録されている。
キナイコシの文献嫌いは病気のレベルだな。
いっそのこと、邪馬台国はなかった、とか著書でも出したらどうかな? 九州で弥生時代に銅を産出していた証拠はどこにあるのですか? >>166
現在までに国内で出土してる青銅器の物量見ても大半がイ方製なのは明らかだろマヌケ >>152
>九州島では門司〜小倉〜宗像〜香春と広い範囲で銅山がある。
ここで採掘されていた証拠があるの?
教科書的には和銅年間を待たなくてはいけないはず。 >>169
半島南部で鉄を採掘する技術のある倭人が何で本拠地で鉄よりも容易に採掘できる銅を採掘できない理由があるんだマヌケ 三国志 魏書三十 烏丸 鮮卑 東夷伝 辰韓伝
國出鐵韓?倭皆従取之 諸市買皆用鐵如中国用銭
その国からは鉄が出るので、韓族も穢族も倭族も皆こぞってそれを取っている。 みんな諸々ある市場での売買では鉄を中国の銭のごとく用いている。 実は蔚山達川などの鉄鉱石採掘場遺跡はあるが弁辰の製鉄遺跡は見つかっていない
鍛治・精錬遺跡はあるようだが タルチョン遺跡の恐ろしいところは魏志韓伝に韓も穢も倭もこぞって採掘してると書かれているのに、7世紀に突如として埋もれてしまった点。
今でも十分な鉄鉱石が取れるのに放棄したおかげで遺跡として検証できるわけだが、当時の前代の文化文明は完全に破壊するという中華思想の恐ろしさを感じる。 >>176
ドナルド・ワーグナーは著書「支那、高麗、日本の古代鉄器」で高麗がスチールを生産できたのは16世紀後半だと断定している >>177
Early Iron in China, korea, and Japanを直訳したのか(笑) >>175
鉱山で得られるメリットより全王朝の痕跡破壊のほうが重要って発想は現代では理解できんよな >>182誤字失礼
鉱山で得られる金銭的利益より前王朝の痕跡破壊のほうが重要って発想は現代では理解できんよな 弥生人のルーツならいざ知らず、日本の起源たる大和王権が実は朝鮮起源などと言うことはあり得ないよ 国内の銅の話はどうなった?
多くの銅鏡は成分が中国のものとされているようだ。
それらを国内で改鋳したんだよね?
つまり銅は製品として精錬済みのものが持ち込まれたのだろう。
国内の銅の生産は早くて4〜5世紀だろう。 >>186
3世紀中葉以降の三角縁神獣鏡は日本で造られていた可能性も大きいぞ
それ以前の画文帯神獣鏡などは中国製だろうけど 国内で製作した鏡でも、成分は中国の鏡らしいから、改鋳でしょ。 何が何でも古代日本を貶めたくて改鋳改鋳言ってるキチガイに聞きたいんだけど、改鋳する理由って何だ?
大陸から賜った青銅器は押し並べて尊い宝物だろ? その宝物を溶かす理由は何なん?
しかも現時点で銅の産出地特定の技術は完成されていないって現実があるのに、何処の何て名前のウソツキが中国産だなんて言ってるんだ? >>185
勉強不足だな
弥生人は縄文の父系と大陸系の母系だと判明した
つまり弥生人は農耕化した縄文人であり、渡来系弥生人や弥生系渡来人なる存在は完全に否定されたんだ
https://www3.nhk.or.jp/lnews/tottori/20190303/movie/4040002195_20190303075459.html
↑を発表した国立科学博物館の篠田謙一教授の人骨DNA分析によれば朝鮮半島由来の渡来人は縄文人の出戻りと判明した
https://i.imgur.com/pPUxdx9.jpg 良く言って百済は大和の従属下にあり、なおかつ滅亡時に大量の難民が日本に帰化した
これは事実。しかしいまの韓国民は大半が新羅起源、北朝鮮民は高句麗起源だから
大和民族とは言語も習俗もまったく異なる。朝鮮半島はもともと2つ以上の言語も習俗も
あきらかにことなる部族が集住していたので。 >>192 おまえに言わせればローラの遺伝子を調査した結果、大和民族の民族の起源は
原初弥生とバングラディシュということになるだろうな。 なお百済の王族は秦の遺民である可能性があるということだが、それは支配者層の
ことであって、被支配民たる百済民は新羅民とは言語も習俗も異なると魏志韓伝にある >>194
ローラが日本人の3割〜4割だったらなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています