0038日本@名無史さん
2019/03/01(金) 17:44:06.30>考古学的に上石津ミサンザイ→大仙陵の順なのは確実だからなあ…
>菟道稚郎子の墓が上石津ミサンザイという事実上の大王墓で、対して履中は合葬というのは流石に…
応神元年390年として当時の平均在位は11年。
天皇に即位してから大王墓を造り始めたのなら間に合わない。
だから一番分かりやすいのは天皇陵でなく次期大王墓、つまり皇太子墓。
応神と、仁徳に皇位を譲った菟道稚郎子の死亡時期はほぼ同じ。
応神=誉田御廟山=5世紀初頭=菟道稚郎子=上石津ミサンザイ
ピタリ合うじゃん。