漢委奴国王印 いわゆる金印part3
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「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
読み下し
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。
諸国は之れを畏れ憚る。
常に伊都国を治むる。
國中に於ける刺史の如く有り。”
和訳
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=大率)を畏れ、気を使っている。
(大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を監視している。
(大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。
根拠
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
監視されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國。
結論
つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を監視しているということ。 >>315
>卑弥呼は記紀に登場しないよ?
登場するよ、
神武東征紀に隠れてるから気づいてないだけ。 >>317
>常に伊都国を治むる。
わざと誤訳してるのか?
常に伊都国に治むる。
一大率は伊都国で治めていると書かれている。
>>318
具体的にどこ? なんだ朝鮮ヒトモドキか・・・
朝鮮ヒトモドキ三種の神技
記憶喪失(論破されても半日で忘れる)
文盲病(前後の文脈や論の大局を読めない)
チョンコロ目(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る) >>320
王がいるのに一大率が治めてる国ってどんだけ骨抜き国なんだよ。 オイ、糸チョンコ!頭ン中を見せてみろ!
∧_,,∧ パカッ __,,
。゚( ゚^∀^゚)゚ 彡 ∨ ∨
/ つ#`Д´> ヤ、ヤメルニダァ
( ( つ O
し' と_)_)
アハハハハハハハハハハ
∧_,,∧ クサッ、コイツ、人糞が詰まってんぞ!
。゚( ゚^∀^゚)゚
/ つ#`Д´> み、見るなニダ!
( ( つ O
し' と_)_) ∧_,,∧
なっ、本当だろ!
∧_,,∧ ∧_,,∧ アハハハハハハハハハハ
。゚( ゚^∀^゚)゚ ( ゚^∀^゚)゚。 マジで人糞じゃん!クサッ
/ つ#`Д´>⊂ ヽ だから妄想しかできねぇんだw
( ( つ O ) つーかクッセーなオイ!
し' と_)_) し´ ∧_,,∧ >>322
内務大臣みたいなものだろ。
卑弥呼が自分で陣頭指揮をとったりはしない。 官有十六品。
長曰左平、次大率、次恩率、次徳率、次杆率、次奈率、次將徳:服紫帶、次施徳:p帶、次固徳:赤帶、次李徳:青帶、對徳以下皆黄帶、次文督、次武督、次佐軍、次振武、次剋虞、皆用白帶。
(隋書 東夷 百濟)
大率は高位の中央官僚であり、都から出かけて地方を検察する様子が魏志倭人伝において刺史のようだと記載されているのである。
大率そのものが置かれた伊都が倭の王都である。
魏志倭人伝においては、女王国以北すなわち倭の生命線とも言える対馬海峡を検察していたと書かれている。
ところでスレ違いでは? 左平が卑弥呼の弟のような側近で実権を握りうるけど、官位としては大率が最高位なのだろう。 古代史って結局邪馬台国論争に行き着く
キバヤシがノストラダムスに行き着くのも納得できる 卑弥呼が初めて魏に国書を送るとき、それが倭王からの国書であることを証明するのは後漢の発行した印による封泥となる。
魏は後漢の禅譲を受けて外交プロトコルを継承しているから、魏に対しても後漢の金印は国璽として通用する。
文書は官僚による代筆でもいいが、印をするのは王の仕事だ。
そしてその印は福岡県にあった。
漢委奴国王印を最後に使ったのは卑弥呼であるはずだ。
その返信とともに卑弥呼は新しい金印を受け取っていて、それを携えた使いは福岡県に滞在して卑弥呼に面会したと魏志倭人伝は伝えている。 >>320
日本書紀では神武は天皇に即位と書かれてるが、当時天皇なんて役職はない。
それより神武がヤマトに来た時、事代主神と鴨王(おおきみ)がいた。
これは王家があった事を意味する。
卑弥呼(Bei mei hu)とは比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、
つまり事代主神の娘で鴨王(おおきみ)の妹であるヒメ后ことヒメ(蹈鞴五十鈴)媛しかいない。 当時の大和の王は饒速日だよ。
富美の鴨族は長髄彦を輩出したが、饒速日に倒されただろ。 >>329
>そしてその印は福岡県にあった。
朝貢してたのは九州の小国であり、大和朝廷及び天皇ではないということを
強く印象付けたかった勢力による金印偽造だろうねw
金印を国宝にしたのは昭和6年満州事変の年、
軍部もそれと同じ思想を持ってたので、あの出所不明のパッチものの金印を国宝にしたのだろうねw 【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。三輪高宮家系譜などに資料が残されている。
その祖は博多湾沿岸の倭王である大山祇の子、伊奘諾の曽孫である三島溝杙耳(陶津耳、賀茂建角身)である。
大山祇の娘の木花咲夜姫は天孫邇邇芸に嫁入りしていて、その実家は志賀島の綿津見神社とされるが、遠賀川沿岸に広がる豊国が支配地域であり、後世の筑紫岡田宮の一族である。
三島溝杙耳は瀬戸内海を通じて大阪湾から畿内に鎮座し、後に神武の東征を助けたとされている。
この一族を祭るのが、伊予国大三島の大山祇神社、土佐の溝咋神社、摂津の三島神社、京都の上賀茂下鴨神社などである。
神武と戦った長髄彦は三島溝杙耳の息子とされていて、耳の娘は活玉依姫(勢夜陀多良比売、玉櫛媛)である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる(丹塗矢説話)。
この娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(媛蹈鞴五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子である。
この登美の鴨王家には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになり、異同が論じられるところである。
古事記では大物主は大国主や事代主と別神であり、勢夜陀多良比売と活玉依姫も別神としているが、勢夜陀多良比売と活玉依姫はいずれも丹塗矢説話が共通している。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。 >>335
もういいから、おまえは市ね。
金印と関係ない話はするな。 >>336
金印と関係ない鴨を持ち出したのはお前だ。 >>322
治めてるのは王であって一大率ではない
一大率は女王国以北を検察している刺史のような役職。 >>330
倭奴国王が倭国の王
琉球王国の王は中山王であって琉球王ではなかったのと同じ。 >>333
未だ金印は偽造だとか言ってるのかw
知恵遅れwww 倭奴国王が倭国の代表として認められたということ。
金印がないと正式な外交文書を作成できないから、他の倭の勢力は外交できない。 キリスト時代のユダヤみたいなものじゃないの?
ヘロデ王がいるけどローマからピラト提督が派遣されてて
政治は王がやるけど提督が監視してる 土器などの流通を見ると、尾張から東西に文物が運ばれたことがわかる。
大和纒向はその中継地に過ぎない。
そして生産品の最大の消費地が筑紫であることがわかる。
https://i.imgur.com/TRmurSB.jpg
また、海外交流の拠点が出雲と筑紫であったことがわかる。
記紀の出雲の国譲りが倭国の対外交渉権の移譲だったのだのだろう。
魏や帯方郡と交渉していた可能性があるのは出雲と筑紫しかなく、3世紀においては筑紫の他には邪馬台国の候補はあり得ない。 >>352
>魏や帯方郡と交渉していた可能性があるのは出雲と筑紫しかなく
原の辻遺跡では楽浪の文物に交じって出雲や畿内の土器が出る。
これは当時の日本のエスタブリッシュメントが出雲人や畿内人であった証拠。
BC3世紀ころ、加茂岩倉の銅鐸が西日本各地に拡散する。
出雲の王族が移動した証拠で有ろう。
邪馬台国とは畿内大和であり、事代主神や鴨王(おおきみ)がいた葛城である。
纏向ではない。 >>337
鴨族に卑弥呼がいるという意見であり証拠も出してる。
関係ない話をしてるのはお前。 >>341
未だ金印は本物だと言ってるのかw
知恵遅れwww >>355
福岡市博物館に行って偽物だって教えてやれよw >>353
>原の辻遺跡では楽浪の文物に交じって出雲や畿内の土器が出る。
ソースは? >>358
あるわけない
カマチョンコロの妄想だもん 出雲族は初期には覇権を握っていたが、高天原に負けて散り散りになったのだろうさ。
そして筑紫が倭国の主権を手にしたんだよ。 キナイ説を主張するのは記紀を純粋に信奉する右派もいるから一概に言えないが
金印がニセモノと主張するのはり地域スパイかどうか判定するリトマス試験紙みたいなもので
わかりやすいな あと狗邪韓国が倭人領とかに食いついてくるやつ >>358
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/235531
土器・土製品には朝鮮系無文土器、楽浪(らくろう)系や三韓(さんかん)系の
瓦質(がしつ)土器、朝鮮三国系の陶質(とうしつ)土器などの外来系土器が多数含まれ、
これらに畿内・山陰・周防・肥後など西日本各地からの搬入土器も存在して、国内外との活発な交流を物語る 今の時代に、もし金印でてきたら
いくらの価値がある?10億?
中国の小学生が拾った玉印は100億以上に価値があるでしょうか 国宝になるだろうけど、市場では取引が成立しないから、価格は付けられない。 志賀島から出て来た金印は日本史最大の偽造品としての価値があるだろう。
朝貢してたのは大和朝廷でも天皇でもない、
九州の小国だというのが金印偽造の根拠。
黒幕は本居宣長ではないか。 新井白石や本居宣長の言ってた
「朝貢してたのは九州であって大和朝廷ではない」
それと符合する金印がなぜか志賀島から出てきた。
出土状況も大きな石があったの無かったの、極めてあいまい。
「朝貢してたのは九州であって大和朝廷ではない」勢力による偽造だろ。
彼ら国学者にとって日本の歴史が朝貢から始まるのはさぞかし辛かったであろうな。
現代人は中国に対して全然コンプレックスを持ってないだろ、だからその感覚が分からないのだよ。 と、国宝金印にコンプレックスを持つかの国キナイコシが申しております。 他に金印が出る可能性はある?
あるならどこ?
見つけてみたい 正始元年(240年明帝没 曹芳8歳戴冠、佐治曹爽・司馬懿)
太守弓遵 遣建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭国 拝仮倭王
并齎詔賜金帛錦罽刀鏡采物 倭王因使上表答謝詔恩
其四年(243年 曹芳元服) 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪拘等八人
上獻生口倭錦絳青縑緜衣帛布丹木拊短弓矢 掖邪狗等壱拝率善中郎將印綬
曹操鉄鏡は、日田で出た。
日本の王が曹家と繋がるのは、これくらい。
卑弥呼の宗家だろうが、没落してる。
日田の遺跡から、古墳を何代か追えれば辿ってみるべき。
ただし金印については、
一大率 奴国が扱った可能性も高い。
其八年 齎詔書黄幢拝假難升米 為檄告喩之
福岡266〜320年の古墳 今年五月「志賀島歴史研究会」の解散が決まった。十二年間お疲れ!
年一度の「金印シンポジウム」から、毎月一度の勉強会「金印と歴史の会」に変わった。
福岡市総合図書館で第四日曜日に、市民講座「金印に挑む」として開催されている。 >>373神社から出るか?
私は古墳より、仏像の内部とかから出る予感がする まだ仏教が伝来していなかった時代のものだからねえ。
どうかな なるほど仏教より前かあ
隠したか?返したか?だなあ
インディジョーンズみたいに見つけたいわ >>369
倭国は九州であって近畿ではない
そもそも冊封体制の象徴とも言うべき金印を国宝にするとは何たる恥なことか でもおかげで国王として認められていた。
その象徴が鏡だ。
今でも三種の神器として崇めている。 >>385
>そもそも冊封体制の象徴とも言うべき金印を国宝にするとは何たる恥なことか
国宝にしたのは昭和6年、満州事変の年。
かつて中国に朝貢していたのは九州であり、大和朝廷及び古代天皇ではないという事実を決定したかった軍部の意向であろう。
そもそも邪馬台国九州説自体が、
大和朝廷及び古代天皇は朝貢などしていない、
朝貢していたのは九州の小国であるという事にしたい新井白石の創作。 志賀島から出たw
どこから出たことにしようか、それが一番の悩みであっただろう。
分からないから福岡の玄関口から出たことにしたw
金印は日本の歴史上で最大の偽造。
あんなものメルカリで売っても問題はない。 卑弥呼が貰った親魏倭王の印はおそらく某神社のご神宝。
何神社かおおよその検討はついている。
九州ではないよ畿内。 >>384
>今でも三種の神器として崇めている。
そうかな。
ではなぜ、明治天皇になるまで1500年間、
天皇は一度も鏡をご神体とする伊勢神宮に参拝しなかったのかな?
答えられないだろ。 >>385そう、そこが空白のミステリー
いろいろ考えられて頭いっぱいになる 実は細石神社に伝世していたらしい。
それがどうして志賀島から出たことにされたのかというミステリー。 >>392
また糸クズの願望垂れ流しに来たのかよwww もう日本中の古墳と沖ノ島と大宰府と宇佐神宮あたりを掘りまくれ
日本の歴史がハッキリするから 沖ノ島はかなり調査された。
古墳時代で最大級の古代祭祀跡だ。
玄界灘沿岸が倭国の中枢であった証拠に他ならない。
大宰府は大きすぎw >>389
そんなパチモン神社にはないよ。
>>390
同じ意見だ。 漢委奴国王
神倭磐余彦かむやまといわれひこ(神武天皇)
漢委奴国王
かむやまと奴国の王
有り得ない話では無いけど畿内説の方々は
認めたくないだろう。 >>396
パチモンだという理由は?
卑弥呼時代の3世紀の九州北部の権力の所在地であった伊都の中にある宮だけど? >>398
海人スレかなんかで何度も何度も完全論破されてただろ
お前の記憶喪失のフリも見飽きたわ >>374いつの日か、この鉄鏡も国宝になるかもね
展示したら中国の人達がたくさん見学来そう 吉野ヶ里に観光客を集めるためには、長崎本線を存続させないといけない。
長崎新幹線は佐賀知事とゆっくり話し合った方がいいぞ。 志賀島は安曇族の氏神である志賀海神社がある。
安曇族は古代の海洋民族であり、糟屋の安曇から出て、
志賀島を拠点に、日本全国に散らばっていった事が分かっている。
この安曇族が属しているのが奴国があったとされる博多湾周辺であり、
漢委奴國王の金印が、奴国の、安曇族の本拠地、志賀島から出たと言うことは、
日本の古代史からみて至極まっとうな事であると考えられる。 ちなみに、かつての博多湾は現人神社まで入り込んでいたので、
非常に温暖な入江の海辺だったと考えられている。
魏志倭人伝の温暖な倭国を再現するに相応しい場所だ。 志賀島の海人は記紀における豊国だろ?
豊玉姫や木花佐久夜姫などの、大山祇の一族だ。
豊国と婚姻したのが筑紫の日向、すなわち伊都の天孫族だ。
実質的には支配権が志賀島から伊都に移ったのだろう。 志賀島から出たって不思議がる人がいるけど
志賀島は安曇族の本拠地だから不思議ではない 安曇族というと傍系のイメージだな。
しかし記紀にある天孫降臨の前の博多湾沿岸の支配者が大山祇なら、その一族の宮である竜宮城があった志賀島こそ、倭の王都であった時代があって良いことになる。
魏志倭人伝では卑弥呼の前に男王の時代が70〜80年あり、これが天孫族の日向三代なら、金印をもらったのはまさにその直前の大山祇の時代になる。
倭奴国の王宮は、世俗にまみれた博多を離れて志賀島にあったというわけさ。 志賀島は北部に農業できる平坦があるんだよな
誰も真面目に発掘したことないだろ
だれか一緒に掘りに行くか? 遺構がない時点で考古学的価値はゼロ
以前は蛇鈕は現物知らなきゃ無理かなって考えていたけど
あんなの江戸時代に入手可能な書物読めば蛟ってのがでてくるから
大方それを蛇と勘違いして偽造したんやろうなって >>409
ちゃんとした発掘許可を得てやらないと、盗掘と変わらなくなる。
記録の残し方とか遺物の保存方法とか、きちんとしないとね。 >>411土地を買って自分の家をたてるつもりで
基礎を掘ってたら古墳でてきた
ってパターンなら良いんだよね? 見つけた、あるいは気付いた時点で
教育委員会に通報しないといけない 文科省なんて全然信用ならないわ
いじめすら認めない
自分の出世と天下りばかり勘定
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