【応仁の乱】呉座勇一★3【DT疑惑】
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>>361
院(上皇)と天皇と内親王が統括する荘園群を包摂するものとして王家はそれ以外に言いようがない
王家の王は天皇家の家父長たる上皇で天皇じゃないし
朝家とも皇家とも違うからな 天皇家って呼び方は新しいでしょ、近代初頭か近世ぐらいでは? 天皇家を「王家」と呼ぶ用例がそんなに古いとは知らなかった 王政復古の大号令に王家と書いてあるとは知らなかった >>369
王はいいけど王家はだめという論理が理解できん >>369
確かに、当時の原文で「王政復古」とあるね。 王というな!韓国ドラマじゃあるまいし!と当時は叩かれてたしな。 天皇号は村上天皇以降は、江戸時代の光格天皇まで使われてなかった
その間は「追号+院」だから、中世史において王家と記述しても問題ない >>372
そんでもって、チャンネル桜のアホの親玉が
「朝廷でいい」とかなーんもわかっとらん事言ってた。
その都度説明してた本郷和人さんだが
あの騒動でわかったことは
「話せばわかる。説明すれば理解はしてもらえる。は嘘。批判されたら基本、やり過ごす」だそうです。 王家は知らんけど国王に関しては
愚管抄の法勝寺について記された下りで
「白河に法勝寺たてられて国王の氏寺にてなされける」ってのがあるね
ここの国王はもちろん白河法皇
まあ、応仁の乱で滅んだんですけどね、法勝寺w >>365
今で言う天皇家って皇族プラス旧皇族じゃん
ここでいう王家はもっと範囲が広いからな
治天の君、上皇、天皇、親王、内親王が統括する荘園群、法親王、王
とにかく広い >>381
皇族とも違うだろ
皇族に荘園入るかね? >>379
よくわからんけど一例でもあればそれを常用的に使用して問題ないスタンス? >>383
文語としての王、国王、王家、ここでいうそれは治天の君や治天の君の勢力を指すんだけど
そういう表現は色んな書籍に数多あるよ
口語として王家王家は言っとらんだろうけどさ >>382
荘園以外は?
つーか○○家っていう場合、人間のみを指すと思ってる?
普通は所有財産とかも含めるんじゃないの?
あと寡聞にして「王家」の定義って見たことないけど
その荘園について特に含めてるのはどっかに論拠があったりする? >>384
そういう問題じゃなくて呼称を決める場合はもっとも「適切」なものを
採択するもんじゃないの?という話なんだけど
普通はもっとも一般的な用例とかさ >>385
たとえば
大乗院 寺社雑事記
とかに「王家の衰微ここに極まり」とかあるぞ
てか応仁の乱の著書のなかにその下りあったぞ >>380
臣籍降下した分家連中、つまり源氏とか平氏とかも王家の一部に含んでなかったっけ?
源氏とか平氏とかにとっては「本家」みたいな意味で王家と呼んでたのかなと あ、これか
本郷和人センセが言ってた
「わかろうとするやつにはいくらなに言っても無駄」ってやつ、 ここでいうそれが治天の君を指すのは別にいいんだけど
普通は中世とかで王といえば天皇の子供なんだから >>387
?
質問への答えになってないけどレス番号が違う? ちがう
「わかろうとしないやつに何を言っても無駄」だw >>385
財産というよりか、組織ではないか?
法人という概念が形成されるまでは「家」が法人のような役割を担ってたわけじゃん
家臣も領地も含めての法人、みたいなイメージかなと 公地公民を建前としてるのに
治天の君たる上皇が私有地にあたる荘園を持つからこうなる 家の主が天皇じゃないからこうなるんだよ
なんで上皇なんだよ
てかなんで一番上のはずの帝を治天の君たる上皇が決めるんだよ? >>389
本郷さんも呉座センセとかに言われたアレやコレやは
全部わかってるんでしょうねもちろん >>397
呉座センセが本郷センセにぶちギレてるのは
本郷センセがわかっててやってることだろ
わかっててやられるほど腹立つことない >>378
つか、朝廷というと公家も含めた政府という意味合いだよなあ。私的な家として表さなきゃいけないとこで、それは明らかに違うだろに。
天皇家というと天皇がトップと誤読しそうだし。
あの時代の上皇をトップとした天皇との私的な家の形を表すなら、と考証に苦心したのではないかというのは想像できる。
口語で見つからなくとも、普通に王家でもよかろうに。
なのにやっぱり執拗に叩く理由は、王というと韓国がーだったのかね。 呉座センセはともかく亀ちゃんの佐藤進一と本郷和人への憎悪はなんなんだろう?
編集の室町幕府初期研究の最前線で佐藤進一を否定するために佐藤進一を引用するという
謎のことしてるんだが >>398
磯田さんや小和田さんや、そういう類の人達も数多そういう側面はありますがな。
何故に本郷一点突破やねんと思ってしまうが。
そこには何らかの個人的な何かがあるんだろうかと穿ってしまうのだよねえ。
だから、それに乗っかり煽りたてる人達が見てられん。 >>399
いつからいつまでが王家でその前と後はどう呼ぶ?
あと分けるべきだと思う? >>399
確かに院政時代のトップは天皇じゃなくて多くの荘園を所有してた上皇なんだよなぁ
しかも荘園は私有地だから公有地(国衙領)じゃないし >>402
>>402
>>402
質問の意味がわからない。大河ドラマの話をしてるのだが。大河ドラマのあの文脈なら王家でいいんじゃないかと思ってるよ。 >>402
王家(天皇家でもなんでもいいけど)が抱えてた家政機関を乗っ取られて
足利義満が治天の君やってた後小松天皇・上皇の頃じゃねーのかね? >>406
まず、呼称を分けるべきかという問題がまずあって
その場合は前後の名称も同時に考えないといけないだろうね
俺は分ける必要性はまったくないと思うが
仲間内での符牒ならどうぞご勝手にという感じだが
一般向けの本で使うのはあまりにお馬鹿さんかと >>404
後に使うようになった「朝廷の犬」がいいんじゃないかと思うよ
視聴者もすぐに分かるし
脚本家も最初はそう書いてたとか読んだ気もする >>409
院の犬でもまあ・・
源氏は摂関家の犬だけど 本郷は当時出した新書か何かで「当時はそんな呼称はなかった」とか書いてたけど
後でツイッターかなんかで「朝家があるだろ」と指摘されて「そういや朝家があった」とか
言ってたのは笑った
平家物語読んでないのかと >>411
遊んでるんだよな、本郷
そこが呉座みたいな遊びが無いのは許せんのでしょ
遊びがまったくないのとタガが緩みまくってるのだから
相容れないわなw 陰謀の〜で國學院大学の矢部さんの秀次を秀吉殺すつもりなかったのに勝手に切腹したからキレて畜生塚説を
すげー勢いで否定してたな、
専門外なのに >>409
>>411
天皇家・皇室の語が一般的になるのは明治以降だし、「朝廷」ならびに「朝家」は天皇の政府を指す(武家の「幕府」に対応)のでニュアンスが異なる。「皇家」は適当ですが、「王家」に比べると使用例が乏しい。
と、本郷自身が書いてたよ。
自分はこれが真っ当だと思う。
411のはその時はそう思ったかもしれないし、取り敢えずあしらうために笑いをとりに行っただけかもしれない。 >>378
それで唯一本郷に反論させてくれたのが産経らしくて本郷はそれを恩に感じてるらしい
その産経に連載してるコラムで日韓外交のことを書いたりして今度は左に叩かれたりした >>409
朝廷がだめな理由はちょっとログ遡れば書いてるのに、それかい。 >>394
律令制が始まった当初も含めて、公地公民が徹底されたことは一度もないのでは
発布直後の時期でも皇后領とか皇太子領とかで何百戸何千戸を私有してるし
当時の戸籍で2千戸とか、中規模の国ひとつ分ぐらいだろ >>409
朝廷の犬だと天皇や上皇よりむしろ摂関家の家臣に見える
摂関家だと410が言うように源氏の方の主君だよな >>417
そう、そのとおり
とはいえ、建前の中心の天皇まで荘園持っちゃったからね
まあ
さすがに自分で持つのは憚れて
女院に寺を建ててそこに荘園を寄進させて荘園つくってたからね
八条女院に長講堂領とか待賢門院とか
ま、そいつらを束ねたのが
王の王、後鳥羽さん このスレ他スレに比べて研究者の割合が多い気がする。 まだ王家や王を拒否する話があるのか。
うよくんは成長しないなー
尊王攘夷の志士も草葉の陰で泣いとるぞ。 尊皇攘夷ではなく尊王攘夷だし王政復古の大号令も皇政復古の大号令ではない、ということすらウヨたちは知らなかったというわけだな
あまりにも知識が乏しすぎる まあ呉座先生もどんどんメッキが剥がれて実は本郷先生と大差無いのがバレかけてるからねえ
ごまかそうと必死なんでしょ >>426
そう思いたい気持ち、よく分かるようんうん
願うだけならタダでよかったね 本郷レベルかはともかくw
期待したような誠実な学究の徒ではなかったね 処世術がクソすぎて
東大残れなかった理由がなんとなくわかったわ
冗談がきかない
せめて本郷和人みたいに
東大の定例討論会の席に駆り出されて、主張の異なるグループが席をキチンと分け着席していた。
本郷センセはそれを見て、右派と左派で席を分けているんですか?と(皮肉を込め)問うたところ、
「違うぞ。左派と極左だ。」と師匠と冗談言ってたくらいじゃないと >>429
冗談がきかないだけならまだいいんだけどねえ。
やたら攻撃的扇動的なとこがなあ。 週間読書人webの與那覇潤×綿野恵太の対談。
なぜ日本中世史がいま売れるかと言えば、「日本スゴイ本」の死角に入っているからだ、という話が興味深い。
ニューズウィーク日本版の記事で、ケントギルバートの本の読者が他に買った本の3位が『応仁の乱』で、2位が磯田道史『日本史の内幕』だったと。 >>431きれた
「歴史修正主義者にも買ってもらえる」から売れているのに、データも見ず「ついに実証的な歴史観の時代が!」と言っている人は、いちばん実証性がない
という結び。批判はあるだろうけど、そういう視点もあったかという感じ。 >>414
安いミステリでありがちな詐術だな
最後に残ったものこそ云々とか言いつつ作為バリバリ
各選択肢を同じ条件で比較しない >>433
同じ条件で比較てなんだよw
とにかく難癖つけたいらしいけど、それ以前のレスで書かれてることも見ればわかるけど、結論としてだいたいこれにしかならないよ。 天皇を輩出する家なのだから、学術用語としては「天皇家」でいいと思う
「王家」は白川伯王家のイメージがある >>435
>>436
中世の話だよ。すでに定着してる学術用語をないがしろにして、勝手に変えるな。どうせ研究者でもないんだろうが。
>「王家」は白川伯王家のイメージ
ねーよw
そもそもそれを呼ぶなら「伯家」だよw 伯家神道って江戸時代中期成立だから中世じゃなくて近世だよな >>439
伯家神道の成立は近世だが、神祇伯のときに王氏を名乗る白川家は中世からいたわけで(詳しくはググ)。なぜ王家神道と呼ばれないと思ってるのかと。 王家で良い
天皇、院、女院、親王、内親王、法親王、王を包括した用語になる それと、王家なら皇后、皇太后、大皇太后も包括できる ところで今回の百田・井沢・呉座氏の一連のやりとりで、いちばんびっくりしたのが、
「史料の読み方(解釈)によって、個々の歴史像には違いが出てくる」ということ。
新史料の発見とかの結果ならともかく、「俺はこう読み解く」とかのレベルで新説が唱えられるなんて、
歴史学ってずいぶんお手軽というか、あやふやなジャンルなんだなって思った。
そもそも通説がコロコロ変わるなら、生徒は何を覚えればいいんだろう? >>443
コロコロ変わるレベルが違う。
例えば、坂本龍馬を殺したのは誰か?というような、教科書にも書かれないような細かいことで、裏付け史料も少なく議論が絶えない説が変わることはわりとある。
だけど、鎌倉幕府の成立年のように教科書の記述が変わることは、何年もかけて何人もの研究者が議論して慎重に検討された末のことだよ。
「生徒」が心配するようなことはない。 なるほど。でも、
>坂本龍馬を殺したのは誰か?というような、教科書にも書かれないような細かいことで
これを「細かいこと」というのが学界的には正しい態度なんだろうけど、
「なぜ一般人はこの謎に引き付けられるのか?」という点も把握しておかないと、
歴史が無味乾燥なものになって先細りしていくような。
「生徒」もいずれ大人になるんだし。 >>445
それは歴史学の方ではなく教育方面の問題。
授業時間数や教員のスキルなどの都合で、教えたくても教えられない状況だから。 歴史研究書と歴史教科書は分けて考えないといけないね
研究書は好きな人が読むから、どんなに複雑で地味でもいいけど、教科書は勉強嫌いな
人が読むから、興味を持たせるように、楽しく学べるように工夫しないといけない >>443
こう読み解くというレベルの新説は大多数が説ではなくエッセイ。学問ですらない。 >>448
だから呉座も論文書けって言ってるんだけど個人が勝手に妄想して完結しててえらい迷惑なんだよな >>445
歴史学よりお前の将来を心配しろ、キモオタがw 日本史の学者は、日本史の通史は書かないのだろうか?
わかりやすい通史ができれば、日本国紀に対抗できるのではないか? >>450
だからマトモな論拠を出してから言えってのに。エッセイストかよ >>452
そういう質問が出ることこそ、研究をわかっていない証左。
極めて限定した領域の中で、厳密な論考をするのが論文だよ
ひとりで通史なんて書けるわけがない >>457
ならば、通史は作家が書くしかない
もちろん、作家が通史を書けば間違ったことも書いてしまうこともあるが仕方ない
多少のことは気にせず、気楽に読む通史として割り切るしかない 世界史の通史は出口治明が書いているけどね
出口本は専門家の書いた本の切り貼りで、彼のメッセージや思想的な主張はほとんどないから、百田や井沢とは違う印象になる >>460
出口本と百田・井沢本のいちばんの違いは、専門家をリスペクトしているか・していないか、だな 昔は専門家(歴史学者)は尊敬されていた
だが、20世紀の終わりごろ、井沢元彦氏が歴史学者を批判し始めたころから、
歴史学者は尊敬されなくなった 出口は新聞の書評委員やってたからな
書評委員は専門家だらけの会議で本を選ぶから、ほかの書評委員にも認めららでなければ務まらない
井沢や百田じゃ他の書評委員からクレームが入る ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています