信長の正室濃姫・まむしの娘の謎 2
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濃姫は自分の斉藤ゆかりのもので固め、おそらく城の奥の金ピカ屋敷には斉藤党以外には
出入り禁止で、もちろん秀吉や柴田、丹羽、前田、佐々などは立ち入り出来ない
これを悪いとはおもいません
むしろ貞節の表れであり、この時代にはめずらしい婦人だと思います
寧々は秀吉のために魚屋の女房のように気安く人と接して機嫌を伺ったため
家康と仲良くしすぎて体の関係も疑われたそうだから
いかにも卑しい階層の立ち振舞でしょう
戦国の生き残り、世渡りといういみではねねのほうが正しいのですけど・・・
ただしかし夫信長・子信忠や最大のお気に入り明智光秀がしんだあと
秀吉や柴田らにあいてにされず濃姫はもはや無視同然のあつかいになる
それと同時に浮上したのが乳母の池田尼ゆかりのものたちで・・・
おそらく池田尼と濃姫は対立関係にあり
そのうらには信長生母の対立、姑勢力のイジメがあった
このころは池田尼は某麻雀マンガの使い走り
コーチ「池田ァァッ! てめェさっきのチーピン切りはなんだ!!
てめー母校の伝統に泥を塗りやがって・・・ブッとばすぞぉ!」
「ひぃい」
という猫耳キャラでしょ 『美濃国諸旧記』によれば、信長生母は六角高頼息女とされている
寛永年間(1624年 - 1645年)の記事があるため、寛永末期の成立とみられる。作者は不詳。
六角高頼は六角氏12代当主で妻は山名宗全の娘
応仁の乱では西軍に属し東軍の京極氏を討ち取った
京極政経との合戦では土岐・斉藤・斯波義廉らの尾張美濃援軍で勝利
このころのより六角氏と尾張と斎藤氏の同盟関係はあった
応仁の乱終結後には幕府により近江守護に任ぜられた
織田信長のおじいさんは六角高頼で近江守護・78万石の大国の太守
ひいおじいさんは山名宗全で10数か国の守護で応仁の乱の総大将。今川ごときはあいてにならん
後年、信長がどうどうと南近江に安土城作って居城としたのは、タダの強盗ではなく
祖父が近江守護だったから、頼もしい地盤だったん
だから濃姫との娘を蒲生にやってさらに地侍の支持を固める戦略。 濃姫ヲタは自分がタイムスリップして信長様と大恋愛して
名古屋市役場に婚姻届をだし「晴れて信長様の正妻よ」とかちほこり
勝ち組正妻として下女どもにマウンテイングする妄想に取り憑かれてますが・・
たぶん濃姫の地位は低かったと思います。子供同然ですから
もちろん濃姫の能力や気象ではなく他家の嫁というものはその程度で、カス
大名家の奥向、女の世界はすでに
えらいのは信長の母、六角氏。つぎに老女というか古い高級女官
それなりに組織や秩序というものがありますから新妻などは一番下
権勢を振るうのは老女で、もちろん女主人の意に沿ってうごくのですが
老女らはエリート秀才のキャリアウーマンのようなもので
とくに頭脳や美貌をかわれて部下の子女からひきぬかれて任用されるから
実務能力はあります。若い貴人はむしろ動かされる将棋の駒にすぎません
生母六角氏の老女たちは濃姫をとにかく排除して、信長に適当な下女を勧めた
淀君が子を生んだときも寧々の女官軍団は許せんといろいろ文句を言っます
もし濃姫が正嫡を生むと斉藤者が威張り、自分の地位は下がってしまいます
姑勢力はそんな危険は冒さない
もちろん濃姫付きの老女は斉藤家からついてきたのですが記録にないところを見ると
おそらく新興成り上がりの悲しさで斉藤家の下女は若く政治力も劣ったのでしょう
ただ若く美人ではあったろうから濃姫に代わって子供を生んだ、そういう役割で期待されました
多分、濃姫の養子信忠の生母はそのあたりの斉藤の侍女でしょう >>116
最近の研究では六角氏といわれてますよね。
生駒親類の土田氏でなく。
どこまでやらかすイコマン おれがきいた濃姫の噂
信長が敵の一族を磔の刑にしていたとき
濃「いいぞもっとやれ。女子供でも容赦するな」
信長「はい」
濃「ついては磔に、高価な槍を使うのは
金銭の費えでもったいなきこと、土民ごときは本物の槍はもったいない
以後はタダの竹槍で処刑せい!」
信長「はい」
この女、敵を剥製にして城の居間に並べて微笑したイタリアルネッサンスの専制君主みたい
昭和の濃姫おたが妄想するような「おかわいそう」なキャラではないです
むしろ「濃姫の妄想を放言するような」キモオタが侍女なら、まず竹槍で磔にして美濃刀で首をはねて
頭蓋骨を金箔うるし塗りにして息子信忠のボットン便器にする位の根性の女でしょう
前漢の呂后一族とかに似てると思います >>121
変な人たまにきますからね。無視って良い話をしましょう 1557年 道三絵画奉納 22歳
1560年永禄3年 津島花火祭り信長と鑑賞 25歳
1568年永禄11年 滋賀、成菩提院で出産 33歳
1569年永禄12年7月 壺事件 34歳
このへんの史実を見てるととても気の弱いキャラではないね
21歳で親父が死んでも絵画を奉納でおわり
33歳で信長が京都にせめいって上洛して大戦争に突入しても平然とガキをブリュッとうむ。女児だろうけど
34歳のツボ事件じゃ信長を恫喝して締めてる
おそろしい女 >>123
妻にあんたいい加減にしろよって締められて壺を諦めて その後姑にご機嫌伺いに行ってる。うまくいってる夫婦じゃないの。 >>124
そのくらいの女性じゃないと信長は
持ち堪えらんないとおもうし。確かに
いい夫婦。あってる >>125
墓場まで秘密を持っていけそうな
女性だ。 だから恐ろしいというのは、
ツボ事件でくサイト−女一族で全員自害というのは
「言うことをきかないとおまえの二歳のむすめもぶっころす」という脅迫でしょ
てめえがうんだ信長のむすめも殺るという意味
信長にしてみれば34歳の濃姫も斉藤一族全員もどうでもいいけど
自分の二歳の娘は可愛い盛りなのでころされたくない
そもそも20歳こえたら大年増でセックスの相手ではなかった
それが33歳でこどもをうむって、どんだけ性欲が強い女なんだ >>127
じゃあ生駒なんぞ大年増で相手にすらならなかったな。
濃姫が言った何て書いてないからね。信孝本妻云々だから。女の意思なんて無かった時代。信長の気分次第で部屋に渡るか決める訳だから。
若い側室がいて結婚して20年近くたってもそんな関係があるならそれこそ良い夫婦よね。 >>128
当時33歳で行為があるのはすごい。
やはりよほどいい女だったのかな?
明智家は稀代の美形だからね。明智の
末裔何人かあったことあるけど土岐頼芸の
系統とは異なり皆色白な美形だったよ。
葉月里緒奈と常盤貴子を足して割って身長を
高くしたような顔 >>129
子孫て色々似るからね、パーツは違うけど、織田信成なんかも
輪郭は似てる。 >>130
道三に似たら富永愛の顎を尖らせたような顔に
なるだろうから明智の母親似だったのかもな。 >>131
斎藤道三って若い時めちゃ色男だったらしい。だからどちらに似てもおのうさんはどえらい美人な魔性な女だったのかもしれないっすね。案外信長嫉妬ふかくて奥さん表に出さない系?
成菩提院の話にしても身重で旅行なんかふつうしたくないもん。常に離れたがらない嫉妬深い旦那っているけどもしかしたら信長それ? >>133
自分は遊んでも嫁は許さんみたいなタイプ
いるもんね。まして友達との旅行も許さないから自分が連れてく羽目になる、みたいな。
そう考えると点と点が線になる >どんだけ性欲が強い女なんだ
あのね、どんなにソッチが強くても男性がその気にならなくては物理的に
女性は無理なの。 結局信長の歴史は猿と狸とバカ息子に改ざんされてるのかねー。 >>136
私もそう思います!本能寺の変秀吉説なんてあり読み進めてみたんですが、光秀が黒か白かは
別として、秀吉は、信長の肖像画すら書き換えている。X線で発覚したと近代美術館で
やっていたからね。 >>137
江戸時代の濃姫肖像画に明智の紋章が
ガーって書かれていたのみたことあるな。
私は本能寺の変は信長と濃姫と美濃集VS
織田窓際族の前田、豊臣、細川幽斎あたりの
乱とみれてしかたない >>138
案外明智光秀って安土城から1番近いとこに
城持ちだったし、秀吉なんかは信孝を
切腹においやり、信長娘は側室にして
織田家を実質滅亡させた。もし秀吉が明智に罪を着せたなら美濃集と濃姫自体疑われる、
だから丹羽や池田をすっぱぬけたと思っているんだ。で、帰蝶さんは岐阜に自分のお墓を作らせて秀吉の明智狩りから逃げた。なんてね >>139
本能寺の変が秀吉黒幕説をとるなら
1番すごいところは、明智が謀反人になれば
美濃宗で固めた織田の中枢が大義名分のもとに
解体できる。そして、明智が謀反人で罪を切るないしあんな人格者の明智さんがありえないということになれば信長が人格破綻者という
図式になる。そして自分は徳姫手篭めにして
冬姫犯そうとして無理で簡易して、丹羽と蒲生毒殺して、三の丸殿を側室。で、信長の息子2人は馬廻にさせて、もう1人は毒殺疑惑。信孝は切腹させてる、信孝の死に際は臓物を壁になげて
「報いを受けろや 羽柴筑前」だからね、、
死人に口なし、まじ同情するわ >>63
山岡荘八や南条範夫、司馬遼太郎、谷恒生、勝見秀雄このあたりは吉乃
は全く出てこない、生駒の類はでてくるのがあるけれど。 >>39
利治、道三が死んだ時そんなに大きかったか? >>143
16歳くらいじゃなかった?元服はすんでるね >>138
城持ち大名が光秀以外一人もいない美濃衆が織田家重臣たちと戦えるわけがないw
利治は城すら貰えなかったのにかつての家臣だった光秀が城持ちなのはどうなんだろうね?
濃姫にとって利治は同母弟、光秀は母方の従弟にすぎんのだから
普通は逆で濃姫はまず弟の利治に城と領国を与えろというよね >>139
地図をよく見ろ
安土城から一番近いのは秀吉の長浜城
次に甥の信澄の大溝城
光秀の坂本城は結構遠い
光秀が比叡山焼き討ちで大活躍したから貰った領地 >>133
道三は色男も何も主君の側室だった深芳野を娶ったのも
美濃衆から小見の方を娶ったのも政略結婚
道三は色男で美女たちを口説きまくり恋愛結婚したという妄想は婆臭満載 >>145
信長から武儀郡から加茂郡にかけて13ヵ所の計2,184貫文を宛がわれているけどね。忠能の養子になってそこの娘と結婚してついでに加治田城の城主だ。ついでに側室はいなかったそうだ。 >>147
ハンサムという文献は何回もよんだな。
前田利家も肖像画タコオヤジらみたいなのに
実際は美男て何回かよんだよ >>145
織田重臣が美濃衆なんだよ、よくみると。
池田、前田は2軍だね、うまく秀吉に取り入っただけでしょ。
森蘭丸=森乱丸も美濃衆でしょ?秀吉と
信長に信頼関係があったとは思えない。 >>151
ぼくは本能寺の変は、信長と嫁と美濃衆VS
織田家外様大名と2軍不満集団と思えるよ。
美濃衆トップの光秀がやるかなぁ、、 秀吉は人の心の闇を捉えるのてんてん天才だよ。池田恒興は乳兄弟なだけでなかずとばず。
細川幽斎はもと部下の光秀の部下になり室町幕府由来のプライドが壊されて、前田利家は犬千代なんで、破門されていてとても一軍じゃないし。このあたりがグル組めばスキーム作れるよね? そして明智がり、濃姫も明智さん。
だから身をひそめる必要があったのかな?なんてね。 >>153
たったいま最近発表された九州大学、服部英雄教授の論文をみたよ、テーマは「ほらの達人、秀吉、中国大返し」考。だって。内容はまだ読んでないけど。 >>154
濃姫の消息が極端に少ないのは、秀吉の歴史ねつ造と明智狩りだと思っているんだけど。そういや生駒って秀吉と仲良かったよね。 >>155
武功夜話では秀吉たちと卑猥な話をしてたね。信長が天下取り一歩手前まで行ったのは 生駒が信長に猿と小六を紹介したかららしいよ。
YouTubeに濃姫の墓発見っていうNHKの番組があってそれを見たら信長にピンチの時には生駒を頼りなさいって吉乃が言ってたわ。
猿と小六そして信長は生駒のおかげで大きくなれたんだと。 >>156
秀吉がいなくても天下はとれたよ。
生駒は害虫だよ、結局。 武功夜話いかにもタイトルだけでそれらしい本だな。原本は生駒の手元にあるの?
非公開なのかな? >>157
●信長におだけ惨殺の元凶秀吉紹介
●信長の生母は六角といわれているのに
生駒の親類の土田氏とねつ造する
●信忠の母は生駒と主張、書いてあるのは生駒文書のみと、生駒の墓に彫りやがった
●信長最愛の女性、これも書いてあるのは
久昌寺記や成功夜話のみ。
●生駒子孫は濃姫が正室であったかもしらないよ
などという嘘つきであつかましい一家だな。はなはだ呆れる 一応フォローしておくと武功夜話(前野家文書)は
前野長康の末裔を自称する吉田氏によって発表されたものであって
生駒家は直接的には関係無いぞ
生駒家や久昌寺に伝わる古文書を元に作られたという見方が一般的だけど >>160
末梢の人のサイトに書いてありますものね。生駒の古文書と秀吉関連の本をもとに作られたのが武功夜話だと。
それなのに武功ありきで語ってますが >>161
そうなんですね! 読んで秀吉さんと生駒さんほんと嫌いになりました。
共通点は信長を利用した大ウソつきで
ずるいねつ造家ですね。誠意のかけらもない。 >>148
佐藤の旧領を娘婿になったことで継いだ形といったほうが
妥当かもしれん
濃姫の実弟だからというより美濃の統治を盤石にするための布石と
岐阜城の守りへの備え的要素が大きい
その証拠に利治がいない時は利堯が城代となっていた >>152
美濃衆トップは武井と猪子だアホ
光秀はこの武井や猪子には頭上がらん
特に猪子は利三の件の時にかなり骨を折ってもらってる >>164
どこまでを美濃衆と捉えるかは線引きは
難しいとおもうよ。武井と猪子はマイナーだな。 >>164
利三の時に世話になるのと家臣団の中での地位は違うだろ。アホとかいきなりかきこむガラの悪いやつだな レスが進んでたから新説でも出たのかと思ったら違った・・・ 擁護するわけじゃないがアホと言いたくなる気持ちは
わからんでもない…
半生わからんな光秀と違って武井や猪子は道三や義龍由来の
家臣なのははっきりとわかっていることだし信長家臣団の中枢トップに
揺るぎなくいたのも確かだからね
だからこそ公家も軍団長も気を使いまくってよしみを通じようと
いろいろ頑張っていた >>168
でも1番石高多いの光秀じゃん。気を遣われるのと実力中枢ってちがくね? 武井→安土城留守居、信長から軍団長への命令伝達(個人判断で
命令伝達の時期調整なども信長通さずにおk)、外交調整他
猪子→織田軍全般の軍鑑、信忠軍直轄へ度々編入、軍団長間の調整他
そもそもこれだけでも光秀より上位
変な話、たとえば猪子の場合、光秀が何かやらかしたら捕縛や縄目などの
処罰決定(最終決定権は信長ないし信忠だが)ができる権限を持っていたが
これは光秀より上位の者にはできるが下位の者にはできないことだから
(やったら命令指揮系統がマジ乱れる)十分光秀より上位と言えると思われる この当時の有名人でも武田勝頼うんだ諏訪の方は名前も伝わっておらず…
お恋とか勝手に名付けられて大河ドラマでもそうよばれてるんだし
武田信玄の正妻なのにこれだ
濃姫の名前がわかってない。帰蝶は1620年代成立の土俗本ではそうあるから
まぁ有力だと思うけど、その本によれば信長の母も六角さまの娘という
当時の武家の妻子は、ソ連の機密事項みたいなあつかいだった可能性はある
戦に負けるところされるわけだし >>170
武井が安土城留守番なら斎藤信五は岐阜城留守番、それだけで秀吉光秀より上って理論になるぞ。 >>170
大企業のオーナーにありがちな私設秘書と
任せてる子会社のオーナーの差
みたいなんじゃないの?
私設秘書は忠実でなんでも報告するが
子会社オーナーは実力者。
秀吉や光秀と猪子武井では立ち位置がちがう。現代でいえば東証一部の
私設秘書がサラリーが1000万程度であるのに対し子会社オーナーや役員は
実力主義のもと5000万越えしている
ような話ではないの? 合理的な信長らしいし、大企業のオーナーならこの判断はまとも
。仲良しこよしだからサラリー一億あげるね、ってはなしではないとおもう。だから子会社の社長が結果を出していれば本社社長の信長だって私設秘書が何かを言っても簡単には首をきれないんでしょ。 >>174
私設秘書は社長との距離が近いから一見
立場が上にみえても結局はただの小遣いで
終わる場合も多い。現代社会でもいっしょ >>172
そもそも乱世において「後世のために書き残さなきゃ」って思う人が
どれだけいたのかって話じゃないかな
妻(女性)が軽視されてたとかそういう話ではないと思う
紙だって貴重だったんだし当時の人にとって常識だったことほど
残らないのはふつうのこと >>172
何か色々間違っている
・武田信玄の正室は京から迎えた左大臣三条公頼女、三条の方。諏訪御寮人は側室。
・諏訪御寮人は大河「武田信玄」では湖衣(こい)姫と呼ばれた。恋ではない。
大河「風林火山」では由布(ゆう)姫。
・織田家の場合は比較的女性の名が分かっている。
側室の鍋。妹の市、犬。娘の徳姫(五徳)、永姫、振姫。 >>176
家系図で男性は名前が記載されているのに
女性は「女」としか記されていないものが多い
妻(女性)が軽視されているのでなければ説明できない >>159
土田御前の父を土田政久とする説を取ったとしても土田政久=六角ではない
先祖をずっと遡れば近江六角氏末裔を称していたというに過ぎない
六角氏の分家の一つが山内を名乗り更に土田を名乗ったと言うが信ぴょう性はない
土田政久は尾張国海東郡土田を本拠地とする土豪
信長母土田御前は名門の近江守護・六角氏から嫁に来た!というのは詐称 >>179
一般的には佐々木六角氏後裔土田政久の息女とされているが、当時の一次史料による裏付けはなく、後年、土田氏縁者の生駒氏腹である信雄系統の史料から土田政久息女説が登場するようになる。そのため、当時の史料などにより複数の説がある。←だって >>179
『津島大橋記』『干城録』によれば、信秀正室・信長生母は小嶋信房息女とされており もあり。いずれにしろ生駒んとは関係なさそダネ >>181
ってか生駒ボロですぎ。秀吉みたいに権力者じゃなかったから公家買収して歴史ねつ造出来るわけじゃないからすぐボロでるね。せいぜい自作自演のような郷土史や墓石に刻むくらいだし。ネットも内時代てはないし、令和時代はそんな子供騙し通用しない。 >>180
>>116、>>117あたりで信秀正室は近江守護・六角高頼女!
織田家の正室になるには一国の大名の娘でなければならない!と言ってる人がいるから
六角高頼の娘は、公家の今出川家や、北近江の京極家(六角と同族で近江守護の座を争う)が嫁ぎ先なのに
土田御前は尾張守護代分家の織田信秀の継室なんて格落ちすぎる
織田信長は近江六角氏と戦い主城・観音寺城から追っ払ってるが
六角当主の娘だというなら生母を使ったやりとりが一切ない >>183
まあ信長母は濃姫以上になぞだね、たぶん生駒んと信雄が必死に隠しちゃったんじゃないの? >>184
土田御前は信長、信包、信雄に庇護されて暮らしていたことか確認できるし
没年も法名も墓も分かっている
実家が諸説あるのはそれほど身分ある家の出身ではなかったせい
実家は尾張の土豪だろう >>185
肖像画もないし、出身が曖昧というのは
ありえないよ。 >>187
大体さ、吉乃の死に涙して毎日墓を拝んだ信長by久昌寺 とか書いてあるけど信雄両親の愛情不足だったんじゃないの? 兄へのコンプレックスと。最後は秀吉とつるんですぐ下の信孝殺しちゃうんだから。ねつ造マの残酷やろうだ。 >>188
櫓に登って涙してたってヤツですよね。かなり長いこと疎遠だったみたいなのに。
兄は父に嫡男として手元で特別に教育され甘える間もなく妹が産まれ とっとと養子に出され
確かに愛情不足だったのかも。 >>189
信孝は天下布武を使ったり濃姫弟玄蕃と秀吉と戦ったりしていたから濃姫ももしかして信孝びいきだったとかなのかな? >織田家の正室になるには一国の大名の娘でなければならない
これは信秀が実力者で決して当時高くなかったこの織田家をどんどん周りを押さえて尾張の中で
上にいったから嫡子に大名の娘を貰うことができたのでは?信秀までは土豪の女性が妻でも
おかしくない。弟の信行にも奥さんいたようだけれど大名の娘じゃないでしょう? >>191
土豪の娘でもおかしくはないけど
ここでの疑問点は信長母が
生駒の親類であるという事がねつ造であると通説から定説になり始めている事なん
じゃないの? 織田信孝読んでたら信雄まじわるいよ。
→その後、坂氏の妹、娘、男子某などは、織田信雄により尽く処刑された[7]。坂氏は信孝生母。/ こそくなDNAだ、、信長に似てない 関係ない話しだけど大河ドラマや小説を史実だと思ってる人って多いんですね。
後は正室と側室の意味がわかってない人 武井や猪子ってどうみても私設秘書じゃねーだろwww
これ書いてる奴大丈夫か? 滝川一益の妻も行方不明
滝川家も近江六角の家臣で甲賀者で信長に仕えたけれど大いに重用されて
大名になり美濃の三人衆あたりの少大名が娘ほしいと言ったところ
「せめて大大名の正妻にすべきとねがっていたのに、そのような小者にやれるか」
といいはなち
「おおいに奇怪なり、こちらは源氏の名門、そちらこそ怪しい者ではないか」と襲撃されてます
すくなくとも滝川一益のむすめ滝川クリステル?は大大名でないと結婚できない
という格の違いはあったようで 信長関連の小説や武功夜話に騙されちゃってる人のサイトで吉乃を押す人って
側室から正室になったと言われる人が寵愛されているのにも関わらず信長存命中に
尼になってることは丸無視なんだよね。
生駒の娘が清洲で信雄を産んだしかわかってないぞって知り合いに言ったら武功夜話は史実で他のは偽ものだと。
勝手に作り上げられる恩着せがましい正室格の女。一番迷惑してるのは本人達よね。
どんなに素晴らしい小説でも吉乃が出てくると読む気失せるのよ >>195
大した石高ないじゃん。ちょっと信頼されてるから織田の中枢みたいな事言うアホがいるからじゃない? >>197
生駒&信雄の菩提寺や関連資料にしかそもそも吉乃ってでてこないし、濃姫関連資料が少ないといえ信長公記で信長結婚関連は濃姫しかいないし蒲生氏郷家臣の勢州軍記でも信忠が正室濃姫の養子になったってありますもんね >>197
三英傑の嫁がしょっぱい吉乃じゃあ夢も
華もない。 >>200
三傑の嫁って豊臣秀吉正室・北政所も、徳川家康正室・築山殿も
そこまでいいところの出ではないイメージ
若くて出世してない頃に娶っているからね >>199
勢州軍記を書いたのは蒲生家臣ではなく蒲生家臣の息子ね
蒲生家は寛永11年に嗣子なく断絶しており(氏郷の孫の代)
勢州軍記成立の頃には蒲生家はすでにない >>201
秀吉は実質淀にのりかえ、家康は名門今川関連のむすめ。 >>202
蒲生氏郷の家臣の話をその息子が
聞いて書いたんからいいんじゃない。いちいち無意味な揚げ足とらないでくれる? >>203
秀吉の場合は出世したら淀が実質正室だったというのならば
正室交代は思ったより簡単で斎藤家滅亡後の濃姫は何の後ろ盾もなくなり用なしだから
跡取りを産んだ別の女性が新たな正室になったという生駒正室説が通るよね >>205
全然違うでしょw
だいたい神戸政房の話もどこが出どころか分からず
信長娘が蒲生氏郷正室なのだから信長娘・冬姫への直接取材に決まってるじゃん!というけど
冬姫母の出自すら分からず
勢州軍記は直接冬姫に取材したものでなければ織田家奥に詳しい人が書いたものではない >>207
そんなこというなら吾妻鏡や太平記
信長公記すら
疑わしくなるでしょ?何を保護したいのか
わからんが往生際悪い。 >>203
築山殿は関口親永の娘
家康に嫁ぐに当たって今川義元養女となったでもないので今川関連とは言えない
築山殿の母は今川義元の妹とされ女系は今川だと言われていたが
井伊家の史料で築山殿の母は井伊家の娘で(直虎の祖父の妹)
義元の側室として差し出された後、義元が養妹として家臣に下げ渡したと記録され
大河「おんな城主直虎」ではこの説が採用された
これだと今川とは血縁関係すらない >>208
鎌倉幕府の公式史料である「吾妻鏡」と
後世に書かれた軍記ものの「信長公記」を同列に扱ってる時点で
阿呆としかいいようがないw >>210
鎌倉幕府だって滅亡しているわけだからね、
足利家が手を加えることもできる。 >>209
築山殿は名門だよ。すくなくとも吉乃より。
しかも君の好きな成功夜話なら吉乃くんは
輿にすらのれない卑しい身分だったそうじゃないか >>195
公家や有力大名からも一目おかれていた右筆トップや
軍鑑トップの重要性を知らないお坊ちゃんなんだろ
だったら光秀が武田や上杉、毛利らと公私ともに直にやりとりしたり
朝廷代理みたいな役目もった公家と一緒に九州に下向したりしたのかよ
って話なんだがそういうのも知らないんだろうよ
こいつの理論だと信長はこういう重要なことを下位にやらせていた
バカってことになるんだぜ >>211
だから何種類かの当時の違った信頼できる
筋と言われている資料から検証していくしか
ないんじゃないの? >>209
その井伊家の史料はどこまで信用できるの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています