輿に乗れないほど賤民、というおはなしですが

輿というのはもともと天皇の乗り物で、あとは寺社が御神体はこぶ神輿とか
庶民に対してもそれなりに法があり、高所から見物してはならぬとか帽子をとって礼をするとかあるのです
もともとは上皇や皇族の独占で鎌倉将軍もゆるされる
室町幕府になると管領など大大名も許される他、ソレに準じるものも許されました

今川義元が輿に乗って討たれたので、「馬に乗れない公卿気取り」と嘲弄されましたが
事実は輿にのれるほど高貴の身分であることを尾張三河のドミンどもに知らしめる道具であり
武田信玄も輿にのり指揮し、上杉謙信も上洛から将軍に塗り輿をさしゆるされました

とかありますが信長がそもそも輿をもっていたかどうか極めて怪しく
戦場で輿でかけまわれば、そりゃ屋根で雨風しのげて便利でしょうが
機動力も低く、人間の足でかつぐのですから、牛車のようにトロいことは想像がつく
名馬収集マニアの信長が使用したとは思えません
派手で目立つし、今川のごとくたちまち格好の鉄砲の的になるからです。
ま信玄はこれを利用して影武者に多数輿を用意して各方面に神出鬼没とかやりそうですけど。

というわけでそもそも、織田家は輿は使わない=持ってないはずですが
なぜ吉野は輿に乗ったということになったのか?