>>440
一応四人の幼子については以下の形で吾妻鏡にも出てくる

内藤行遠の四人の子供の内、為義妻(四人の幼子の母親)、平太政遠(幼子一人の乳父)、義朝妾(夜叉御前の母親)

ただし吾妻鏡自体がねつ造多いし、夜叉御前に至っては平治物語では義朝死後に自殺しているのにこちらでは生きて成長した頼朝と再会してる

また保元物語では幼子処刑の後に政遠と為義妻が自殺しているが、こちらでは子供含め全て自殺

元木氏曰く、義朝に乳父含めて一家全員殺されたか、もしくは為義の死を知り今でいう一家心中ではないかとも

少なくとも物語のように幼子処刑命令が出た形跡はないから、あったとしても「将来の悪い芽を摘む」意味だったのかもね