魏志倭人伝は司馬遷の史記卷四十一越王句踐世家第十一を引用し、「夏后少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害」と記す。
夏王朝とは紀元前1900年〜1600年頃の中国最古の王朝で、六代帝少康の庶子が会稽の王となった。
倭人伝には「男子無大小皆黥面文身」とある。

史記には周の後継者から外れた太白と虞仲の兄弟は呉の地に至り首長となったとき全身に入れ墨をしたと記されている。
魏略に記された「(倭人に)昔の話を聞くと、自らを太白の後裔と言った」ともある。

この二つの話から見えてくるのは越と呉の土地にはもともと入れ墨をした漁労民が住んでおり、皇帝の血筋の者が現地に同化するために入れ墨をしたという事。

越と呉の土地に住む百越たちは稲作と漁労(半農半漁)、高床式住居の文化を持っていたことが分かっている。
さらに百越は水軍を持ち沿岸航海に長け、銅の精製技術を持っている。