例えば「鉄板で戦艦を装甲した」という仮説を立てるのであれば、
井沢は多門院日記の記述「鉄の船」だけではなく、
船を建造した地域における鉄板加工の記録なども探さなきゃならないのね。
豊臣政権下のころには大砲をどこそこの鍛冶屋に造らせたという記録もあるくらいだから、
もし戦艦の甲板を装甲するほどの大掛かりな加工なら信長の発給文書があって不思議ではない。
室町前期でさえそういった記録が残るんだから信長の時代ならなおさらのこと。

さらには鉄板をどの程度の大きさと厚みで造るか、当時その技術があったのか、
どうやって運んでどうやって船に持ち込んだのかなどの技術論も必要となってくる。

さあ井沢。仮説を立てたんなら立証してもらおうか。