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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)2
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0001卑弥呼は伊都國で治す
垢版 |
2021/03/11(木) 19:22:18.00
邪馬台国は北部九州の広域連合国家で、伊都國が首都です。

伊都國には、
女王卑弥呼の墓候補である平原遺跡や、
住七八十年の男王の墓候補である三雲南小路遺跡や井原鑓溝遺跡があります。

里程と日程は別々です。
里程は不弥国を越えて、遥か侏儒國まで続いています。
日程は帯方郡から投馬國まで水行二十日、
投馬國から、邪馬台国の中の、女王之所都=伊都國まで、水行十日+陸行一日です。

魏志倭人伝の見聞録は、考古学的に判明している奴国の描写が皆無なので、
魏使は伊都國までしか来ていません。
魏略の行程もまた、伊都國までしか記載されていません。
首都の伊都國で金印や贈物を渡して魏使は帰国しました。

『自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國』
女王国を含む、それより北の国々については、一人の大率を特設して検察していました。諸国は大率を畏れ憚っていました。
大率は普段は伊都國で執務していました。

三国志における「治」は、管轄域の中の中心地、つまり首都や県庁所在地に中心役所を設置する、の意味で使われていますので、
大率が伊都國に治している=伊都國が邪馬台国の首都、であります。
0705日本@名無史さん
垢版 |
2021/12/18(土) 05:34:10.11
>>635-636
あくまでも仮定の話ですが、
倭迹迹姫命が卑弥呼で、平原1号墓の被葬者だと仮定して、
平原2号墓の被葬者が誰なのか、を考えてみます。

卑弥呼は独身ですから、当時の妻問婚制度などからして、母方の墓域に入る可能性が考えられ、
そうなると、平原遺跡は曽根遺跡群。
池上曽根遺跡など物部系統の遺跡となり、
平原遺跡はウマシマジの家系の者で、魏代伊都に勤めた者、
伊都説だと兕馬觚や女王國=奴國不彌國(+α)に縁が深いから、奴佳鞮の墓域なのだろう、
となります。

卑弥呼は独身の女王で、家族構成も判明していますから、
一族の墓域に入る者は限定されます。

一つの候補は母の欝色謎命ですが、
2号墓は3世紀以降の築造と考えられますから、卑弥呼ですら長寿の可能性が高いのに、
母は相当な長寿だったことになります。
また、欝色謎命は皇太后ですから、そちらの墓域に入ったはずですね。

ですから、あとは卑弥呼の兄弟が候補となり、
お二方は超大物ですし、
倭迹迹姫命が卑弥呼であれば、卑弥呼死去後は、
朝倉市三奈木の彌馬獲支側として戦っているので、
1号墓に付属したような2号墓に入るということはないでしょう。
0706日本@名無史さん
垢版 |
2021/12/18(土) 05:45:34.60
・平原遺跡は代々の墓域なので、2号墓にも卑弥呼の親族が入った可能性が高い
・2号墓が3世紀のものなので、母ではなかろう

倭迹迹姫命が卑弥呼と仮定したら、消去法で、
少名日子建猪心命(少彥男心命)が挙がってきます。

武埴安彦命は母方がちがいますし、討ち死にしています。
卑弥呼死去後の勢力争いは熾烈だったわけですね。

親魏倭王の1号墓に付属した2号墓に埋葬される
=その一族なり勢力は、卑弥呼の後継者として大きな影響力を持つ
ことになりますから、卑弥呼の弟が通常の人物であれば、
彌馬獲支から待ったがかかるはずです。
0707日本@名無史さん
垢版 |
2021/12/18(土) 05:50:40.28
卑弥呼に殉葬したのが、奴婢百余人だった、ことから、
親族の殉死は無かったことになります。

ということは、2号墓というのは、
女王卑弥呼の生前の指示で、
自らの墓を作る際に、不属して2号墓を作り、その2号墓に、
弟がいずれ亡くなったら入れるように、
と予定していたことになります。

卑弥呼死去後に後継者争いが起きることはある程度予想がつく中で、
2号墓に弟が入れると考えていた。

ということは、弟というのは、2号墓に入っても政争に影響が無い人物だった。

つまり、なんらかの身体障碍者であり、卑弥呼の後継者になりえない。
しかも子孫もいなかった、
可能性が考えられますね。
0708日本@名無史さん
垢版 |
2021/12/18(土) 05:57:43.82
卑弥呼自身の母方を辿ると、近江に縁がありますね。

〇〇島に昔はHTLV-1のクラスターがあった。
伊都岐島ヒメが祀られており、カモ系。
>>681
発症した人の療養所だった可能性があります。

紀元前当時は環濠集落&Jアラート銅鐸の時代で、
敵襲があると銅鐸が鳴り、環濠集落内へ逃げ込まなければならなかった。
発症した人は動けない。かといって、環濠集落内に常においておくにはスペースが足りない。
だとすると、湖の島であれば、制海権はカモ側にあるので、
安全に療養できたのでしょう。
0709日本@名無史さん
垢版 |
2021/12/18(土) 06:13:26.78
『自爲王以來 少有見者 以婢千人自侍 唯有男子一人給飲食 傳辭出入』

仮想世界の話に過ぎません。

卑弥呼の母方は、近江に入植したカモ系の一族で、
九州縄文人の血を引いており、卑弥呼の母はHTLV-1のキャリアだった。
卑弥呼や弟もHTLV-1を継いだ。

若い頃の卑弥呼は博多娘で、才能と霊力に溢れた巫女指導者として、
女王國=奴國不彌國(+α)の女王として不彌國に住んで活躍していた。
腹違いの弟は奴国兕馬觚として卑弥呼を補佐した。
また、同母の弟の一人は、若くしてHUを発症し、視力の弱い身体障害者となってしまった。
硯の出土から、当時の官は文字の読み書きができないと仕事にならなかった。
そんな弟を卑弥呼はそばに置いて面倒を見ていた。

実績を積んだ頃に、今度は卑弥呼自身がHAMを発症し、下半身不随となった。
長らく面倒を見ていた弟に、今度は身の回りの世話をしてもらいながら、
執務は続けた。
卑弥呼は移動できないだけで、政務はバリバリとこなしていた。

倭国乱の中、十分な実績を積んできた女王國の女王卑弥呼は、
邪馬壹國=卑弥呼時代の倭国、の倭王として共立され、
魏代伊都=女王之所都へと、移動した。
0710日本@名無史さん
垢版 |
2021/12/18(土) 06:20:25.10
卑弥呼は九州縄文系の血を引く女王で、HTLV-1キャリアであり、
自身はHAMで下半身不随、弟はHUで視覚障害、という身体障害者同士が
お互いを助け合って、女王職をこなし、
女王國=奴國不彌國(+α)
そして、出世してからは、邪馬壹國を指導していた。

自身が亡くなった後の弟の身を案じ、2号墓も建造しておいた。
卑弥呼死去後の後継者争いにて、視覚障害があるゆえに弟は巻き込まれることなく、
天寿を全うして、皆も異論なく、生前の二人と同じように、
姉の傍らへと埋葬された。
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