>>843
>アヒラツヒメは『日本書紀』によれば、日向国吾田邑の人であるとされるので、アタツ姫と同じではないですかね

日南市吾田ではないだろうか。
アヒラツからアタツの変化は少し無理があるような気がする。
アヒラツからアビルあたりならあり得るかもね。

アヒラツヒメは大和に行った夫の神武を後を追い、
御所市柏原でわび住まいをしたようだ。
その痕跡は地元で「ほんぐらさん」と呼ばれて小さな祠が今も残る。
この御所市柏原こそが真の神武の宮。
それは「大和誌」や本居宣長の「菅笠日記」にも書かれている。

この柏原はいわゆる被差別部落である。
神武の真の宮が被差別部落である事、これは日本の古代史にとって避けては通れない問題なのである。

これは神武東征の複数の土蜘蛛征伐の最後、高尾張邑での網で捕まえた土蜘蛛と関連しているのであろう。
神武軍は同時に土蜘蛛の殺害もしてるわけだ。

日本で、奴婢、または奴婢になったであろう集団が大量に誅殺された事件はこれしかない。
つまり日本書紀の神武東征紀での土蜘蛛征伐と、
魏志倭人伝の卑弥呼墓の殉葬奴婢百余人の記事が一致するのである。