>>899

〉山陰出雲では考古学的にも4世紀を境にした時代にしか大きな変化はない。

四隅突出型墳丘墓は厳密には古墳というカテゴリーではない様ですね。
あの古墳の源流は吉備国との境の山間地域らしく、初期型の物は突出部分が小さかったはずです

吉備の影響としては、突出部に、円筒埴輪の前の特殊器台が置かれた墳丘墓が発見されている事で説明ができます

4世紀だと既に物部政権末期から神功皇后にかけてですので、墳丘墓からの視点としてはそれで合っていると思います

しかし、出雲の青銅器はもっと古いですよね
実用鉄器が我が国に導入されるのが三世紀頃。
その鉄器以外の物では、出雲、九州、奈良にはそれ程の文化差無いはずなのです