つまり出雲10神宝事件は、邪馬台国事件、物部東征(記紀では神武東征)において滅んでいる

古事記
ヤマトタケル(景行天皇の御子に挿入された架空の人物、物部王朝時代)が出雲の頭目、イズモタケルを倒しにいく。まずは友の契りを交わし、心を許させたあと、水浴びをしている時に偽の剣とすり替え、その後太刀合わせを願い出、斬り殺してしまう。だまし討ちの後、ヤマトタケルはイズモタケルを嘲る歌をうたう。

日本書紀
崇神天皇(実際には大和入りしてない九州で没したイニエ)が出雲大神の宮に収めてある神宝を見たいと言い、武諸隅(十千根)を遣わす。出雲振根(西出雲王家)が神宝を管理していたが筑紫に行っており不在。その弟の飯入根(東出雲王家)が皇命を承り、弟(実際には部下の千家=ホヒ家)のカラヒサと子のウカツクヌに持たせる。出雲振根は帰ってきてそのことを聞いて怒り、弟の飯入根にたやすく神宝を渡したことを責め、水浴びに誘った際に、兄は弟の剣を偽ものとすり替え、斬り合いとなって弟を斬り殺す。兄は弟を嘲る歌を歌う。
このことをカラヒサとウカツクヌが朝廷にチクる。そして吉備津彦とヌナカワワケを遣わして、振根を殺させて終わる。

物部本体に滅ぼされた吉備と、何故か大彦の息子のヌナカワワケを登場させて出雲の滅びを内紛という事にして隠ぺいした。

古事記は朝廷が出雲を征服したと書き、日本書紀ではそれを隠すため出雲の内部抗争によって滅亡したとした。
水浴びでのだまし討ちや嘲りの歌など全く同じ話を使って、本筋を異にしている。

太安万侶、柿本人麻呂の間で表現が異なっている。