ここで出雲伝承の年表を出してみます。

和国大乱(147〜188)年代はおよそ。

150年 ヒボコの勢力が播磨へ侵攻
    大和の豪族同士の覇権争い始まる(ヒボコに影響され領土拡張の口火が開かれる)
160年 吉備のフトニ大王(孝霊)が出雲王国を攻撃(第1次出雲戦争)
165年 葛城国分裂に乗じ、物部五瀬が東征を開始(第1次物部東征)フトニは奈良に戻れなくなり吉備国を建国
175年 八咫烏の引き入れで、和歌山物部勢の大和入り
183年 大彦が物部に敗れ大和から北へ退却(クニクル第八代孝元天皇の代で物部の姫を嫁に貰う)

所謂景初の時代は、吉備国が山陰と瀬戸内海を押さえており、畿内ヤマトが朝貢ルートを失っている時代でした。
それを踏まえて先ほどの動画や、魏書を考え直すと、驚くほど正確に魏書は卑弥呼の拠点に関して理解をしていたのかもしれないという事になります。

また、倭国大乱期から系図を戻していけば、なんとなく歴代天皇に比定された人物たちの時代が明らかになってくるのではないでしょうか?

キーワードはやはり物部氏ですよね。あれが記紀最大の秘密と言ってよいのでしょう。