>>964
大彦はクニクルの息子ですよ〜。これが180年代だから二世紀。
ニニギは便宜上物部の象徴として挿入されているので架空の人物です。
故に、400年ほどズレがあるので文書が記紀の影響を受け、後年のモノかどうかは、大彦がどの時代に書かれているかで分かります。
そういう意味ではクジホンギも記紀の影響を受けています。

第9代開化のあとが、記紀では隠されていますがヒコイマス。磯城王朝最後の10代大王です。
ヒコイマスは、クジホンギの稲葉国造でバッチリ名前が載ってしまっています。
崇神は開化とは血縁関係なしです。物部氏。

だから開化から崇神で結婚関係が変なことになってるはずですよ
大彦と、息子のヌナガワワケは親子で、四代将軍という職がつくり話との事です。
大彦とヌナガワワケは会津では会っていません。
長野県の将軍塚古墳が埋葬地との事です。最後は布施氏と組んだみたいですね。
神社は布施神社になっています。

物部東征は二回あったという事が重要な点です。
九州研究の人は、東征が二回あったと、どういうわけか気付いている人も居ますね。
崇神は東征開始前に九州で無くなっていて、東征には参加していないそうです。

471年になると、鉄器の生産量の編年から考えれば邪馬台国時代を通り過ぎてしまいますよ