聖徳太子=阿毎多利思比孤
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聖徳太子は虚像で実像は阿毎多利思比孤
阿毎多利思比孤は法隆寺釈迦三尊像光背に出る上宮法皇
阿毎多利思比孤は百済昆支王の子孫
阿毎多利思比孤の死の原因は倭国の百済からの独立表明で百済に暗殺された
「国際的視点からの古代史考」を参照のこと >>967
やはり、執拗を自白。もう何か月も続いてるんだから、やっと自認せざるをえなくなった。
心理分析に十分なログを提供したのはお前さん自身さ。
今後ともよろしく。次の分析では嗜好・家族・尻の穴まで見通せるかもなwwwwwwwwww
>>968君。やめる必要はないよ。 >>969
おまえは何を言ってるんだ?w
結局 おまえが否定されることを一番恐れてるんじゃないかw
そりゃそうだ、おまえ独自の説だからねw
誰も支持なぞしないわけだw
何が ”日本史はオレのおもちゃ” だよw
臆病者w >>970
俺が恐れるらしい否定とやらをこの何ヶ月間一度もみないがwwww
同じウジ虫がいつまでも這いずり回っているのは見るがのうww
一人か二人納得していたが、これだけでも有り難いことだ。先生のような口調だった。 人を必要以上にののしり言葉で罵倒するのは、
その人を恐れているからだろうw
ガンバレ、朝鮮の妄想家w 鬼前大后は百済人名の可能性濃厚。
これを「穴穂部皇女,法隆寺金堂釈迦三尊像銘では鬼前太后とも記す」は苦しい捏造。
失敗した帝説を、文献化して史実に持ってゆく恐るべき現代の歪曲姿勢。
干食王后は百済人名の可能性濃厚。これが何故膳部菩岐々美郎女になるのかね。
日本人の知能を疑うよ。ほとんど、妄信だね。 帝説さん!鬼前=穴穂部、干食=膳部は苦しすぎる
これを踏襲する人、知能が低いのがまるわかりww 日本史も国史的視点から見直されるべきでしょwwww 日本史は国際的視点から見直されるべきでしょwwww パワハラで統失になった奴らに5chを封じさせるのは無理だろうww 聖徳太子=蘇我馬子=阿毎多利思比孤 である
阿毎多利思比孤は九州王であり、倭国は九州と畿内の二朝併存だった
阿毎多利思比孤が大和にも覇を唱え、統一倭国王になったのだが、
その本来的称号は天王である
天を兄とし日を弟とし、つまりは九州王が畿内王を従えている
日本とは畿内のことである
法隆寺と四天王寺が聖徳太子により建立されたが、
四が欠落したものと説明される天王寺の地名の本来こそが天王寺であり、
それはすなわち天王の寺という意味になる
天王とは九州王を指している
一方、紀記編纂時に天皇の称号が生じたが、
元来、皇の字は皇帝すなわち帝国の王=諸国の王を意味するのであり、
名目において二朝の王を意味して初めて天皇が成立したわけである
蘇我氏を滅ぼした大化の改新の頃、法隆寺が焼失しているが、
王位を簒奪した天智天皇によって焼き払われたと考えられる
その再建が太子の怨霊を封印する目的でなされたとの仮説には蓋然性があろう
壬申の乱で王位を得た天武天皇は蘇我系だと考えられるが、
そこに連なる橘三千代の系譜により法隆寺が篤く信仰された背景にはそのような事情が隠されている
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1533027941/534-541
//lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1542085302/482,488,491,496,498,767,779,781,787
//lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1542563254/168,170,177,180 斑鳩にいた厩戸王と、筑紫にいたタリシヒコが同一人物なわけないだろ。 九州に居た多利思比孤が隋に認められ倭国総国の王となって斑鳩の地に赴き、
畿内大和に法隆寺、畿内日本の地に(四)天王寺を建立した 斑鳩みたいな田舎に移ったのなら、ただの都落ちじゃん。
前漢の時代から、倭国の王都は九州北部なのだから。 >>984
高句麗南下以降の南鮮権益の喪失による経済上及び国防上の理由からだろう
補足しておけば、
聖徳太子=蘇我馬子=阿毎多利思比孤=神武天皇である
ただし仏才の入鹿=太子もあり得る
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1533027941/233-237
神武と同じハツクニシラススメラミコトの崇神が畿内王の、かつ現皇室の始祖にあたるが、
継体が入婿で承継してる可能性はある
応神仁徳が九州王の系統となる
なお天孫降臨の位置付けは検討を要するが、国譲りについては継体朝の出来事である。
「長門以東朕制之、筑紫以西汝制之。」がそれにあたる。 自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。而遼邈之地、猶未霑於王澤、遂使邑有君・村有長・各自分疆用相凌躒。抑又聞於鹽土老翁、曰『東有美地、山四周、其中亦有乘天磐船而飛降者。』余謂、彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。何不就而都之乎。」諸皇子對曰「理實灼然、我亦恆以爲念。宜早行之。」是年也、太歲甲寅。
其年冬十月丁巳朔辛酉、天皇親帥諸皇子舟師東征。
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_03.html
天孫が降臨されてから、百七十九万ニ千四百七十余年になる。しかし遠い所の国では、まだ王の恵みが及ばず、村々はそれぞれの長があって、境を設け相争っている。さてまた塩土シオツツの翁に聞くと、『東の方に良い土地があり、青い山が取り巻いている。その中へ天の磐舟いわふねに乗って、とび降ってきた者がある』と言うのです。思うにその土地は、大業をひろめ天下を治めるによいであろう。きっとこの国の中心地だろう。そのとび降ってきた者は、饒速日ニギハヤヒというものであろう。そこに行って都をつくるにかぎる」
諸皇子たちも、
「その通りです。私たちもそう思うところです。速かに実行しましょう」
と申された。
この年は太歳の甲寅たいさいのきのえとらである。
その年冬十月五日に、天皇は自ら諸皇子と舟軍を率いて、東征に向われた。
http://kodainippon.com/2019/07/27/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80%E3%83%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E8%A8%B3%E3%80%8C%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%B7%BB%EF%BC%9A%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%8D%E7%A5%9E%E6%97%A5%E6%9C%AC/ 九州説は皇国史観を認められない奴の溜まり場だろう。
教祖は中国史書すらいい加減にしか読めないエセ学者。
又、妄想仮説を立証しようとする典型的な錯倒者。
九州説には王朝の存在を示す根拠がないと思うがのう。 皇国史観を堂々と主張する畿内説は珍しいが、それこそ妄想だろう。 中国より南部の方が仏教盛んだったんだから当たり前だ >>987
九州説は魏志倭人伝を比較的素直に解釈する人たちだろ
九州説の中でも、
大雑把に分けると、福岡限定、北部・中部九州連合王国説とかわかれるが、
詳細に見てくと、もっと細かく分かれる。
畿内説のおかしいところは、
・度量衡の発達していた中国人が、
南と東を間違えるというありえないところから出発しているところ、
・邪馬台国の説明文の詳細が奈良の大和地方とはとても思えないこと、
・遺跡をろくろく発掘もせず決まっても居ないのに、
裏付けも無くそれだと決めつけて語ってるところ、
などなど数え上げればきりがない。 そうでもない。
卑弥呼も多利思比孤も同じ倭王で、それがどこにいたかという問題だからだよ。
卑弥呼も多利思比孤も、日本書紀にはなぜか出てこない。
倭国と日本国は別の国なのではないか?
『旧唐書』倭国・日本国伝
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。
あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。 だから(とあるスレッドによると)『倭猿』の話だろう、
いい加減にバカにされているんだと気づいたほうが良いぞ。
ほんとーは、世界中から、そう思われている。 あと三貴子(?)とか、
有名な・・・もいたりするんだけど、
ほんとーは系統も違う、無理に?繋げたり。 ちなみに家は、
『天財若子』(『』)・・・こういう家、調べてみた? >>994
邪馬台国とタリシヒコを関係付けないほうがいいんじゃないか。間に倭の五王の時代もありますから、五王との関係のほうが先ですから。 このスレッドは1000を超えました。
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