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【祿壽應穩】伊勢早雲庵宗瑞 part02【針積玉碎】

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0001日本@名無史さん
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2021/09/10(金) 22:52:59.35
伊勢盛時 (康正二[1456]〜永正十六[1519])
仮名:新九郎 入道名:早雲庵宗瑞
戦国時代の武将、政治家。京都出身。
後の小田原北條五代の始祖。
幕府中央実務官僚であったが幕命を帯びて駿河下向、今川氏の内訌に軍事介入して鎮定。
一旦帰京したが伊豆堀越公方の内紛に際して再下向、幕府、今川氏、扇谷上杉氏等の指示と支援を受けて伊豆國に侵攻。
ここまでの経緯と功績により今川家重臣となる。
以後数年の伊豆制圧戦を経て事実上の伊豆國主、戦国大名の立場を確立する。
但しこの間も今川家の軍事指揮官としての活動は継続。
関東の情勢を受けて扇谷との同盟のもと相模國西郡を制圧。
後に扇谷及びその配下三浦氏と諸権益の対立を生じて開戦、長期にわたる戦争の結果相模國全域及び武蔵國の一部を支配するに至る。
最晩年には上総真里谷武田氏からの支援要請を容れて房総にも侵攻。

伊豆侵攻後から室町型秩序を排して領国直轄統治の展開に努め、相模國進出後は検地等を通じて公正、合理的な税制の確立に尽力。
更に相模國完全制圧と前後して関東一円を襲った壊滅的飢饉状況の中、村の賦役の法的根拠を全て所謂「虎ノ印判」状のみとする制度改革を実施。
これは諸々の中間搾取を排除して飢饉下に在る村の負担を軽減するものであり、村から大名権力体への直接訴訟制度「目安制」の創出と併せて後世の北條善政伝説の核事実となったと考えられる。

箱根湯本、金湯山早雲寺に永眠。
戒名:早雲寺殿天岳宗瑞公大禅定門
0118日本@名無史さん
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2021/10/10(日) 22:26:14.46
来年は鎌倉北条氏が大河ドラマなら後北条五代が大河ドラマになってもいいだろう。
0119日本@名無史さん
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2021/10/10(日) 23:01:05.59
俺は後北条のてづくねのかわらけに拘って調べたいな
八王子城跡や岩槻城跡からも出土しているが、ロクロ系のかわらけに比べて極々少数なんだよね
儀式用だったのかね?
0120日本@名無史さん
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2021/10/11(月) 19:33:03.33
小田原の後北条家の特徴として、家督を巡る争いの記録がほとんど無いことも付け加えたい
近接する戦国大名でも同様の例はないと思う
また、家中の内紛らしきものも少ないと思う
0122日本@名無史さん
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2021/10/12(火) 19:17:09.35
>>121
山内上杉、扇谷上杉、古河公方それぞれ特有のロクロ製かわらけも気になる
0123日本@名無史さん
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2021/10/13(水) 23:25:43.11
租税の実態や食料、経済、酒とか土器の需給や生産や、使用例の実情がわからないと戦国大名の実像は見えないよな
武力とか知力(笑)とかどうでもいいし
0124日本@名無史さん
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2021/10/15(金) 00:57:11.83
>>4>>97で触れた「伊勢宗瑞と地震の関係」について幾つか書籍や論文を読んでいる。
何回かに分けてぽつぽつと書いていきたい。
先ずは次レスから、対象となる三つの地震について。
0125日本@名無史さん
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2021/10/15(金) 00:57:51.19
【明応四(1495)年八月十五日 地震 津波】
『鎌倉大日記』『熊野年代記』等。
地震の推定M不明。津波の推定波高8m前後(鎌倉、東伊豆)。
由比ヶ浜で二百余人溺死、鎌倉大仏殿が流失したとの被害記述(実は誤読か)の残る震災。
古来著名な地震であったが1980年代に於ける文献史料批判に基づく研究によりその実在性に疑義が呈された。
近年は史料の記述は明応七年地震(後述)との混同、誤記であるとしてこの地震の存在を否定する見解が主流となるに至っていた。
しかし2010年代に入って歴史学の片桐昭彦、考古学の金子浩之、更には地震学の浦谷裕明等の各氏によって複数の学術分野から主流説に対する異論発表が相次いだ。
そこでは明応四年地震は相模トラフを震源とする関東地震(大正関東大震災等と同質)として実在した可能性が強く提起されている。
下記明応七年地震とは震源を異にすることに注意されたい。
これらの研究報告を読んだ上での私見だが、この地震の実在は肯定すべきものと考える。
0126日本@名無史さん
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2021/10/15(金) 00:58:29.36
【明応七(1498)年八月二十五日 地震 津波】
『塔寺八幡宮続長帳(異本塔寺長帳)』『常在寺衆年代記』『日海記』他多数。
地震の推定M8.2〜8.4。津波の推定波高6〜10m(焼津、西伊豆)。
歴史地震の代表格とも称すべき大震災。
東は房総から西は四国まで東海道及び南海道の広範囲に亘って死者数万人、建屋被害数万戸とも謂う厖大な被害記録を同時代史料に残す。
考古学成果からもその実在は疑いの余地無く実証されている。
南海トラフ及び駿河トラフを震源とする南海・東南海・東海連動型の巨大地震とみられる。
なおこの地震から僅か三日後の八月二十八日には駿河湾を大型台風が襲った。
大震災と暴風雨の連擊による激甚災害は当該地域のヒト社会を潰滅状態に陥れた。
0127日本@名無史さん
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2021/10/15(金) 00:59:07.51
【明応九(1500)年六月四日 地震】
『勝山記(妙本寺記)』『王代記』等。
地震の推定M不明。津波の記録未発見。
『勝山記』に拠れば明応七年地震以上の震動であったと謂う。
甲斐國の史料にのみ記録が残り他国就中沿岸国の史料が確認されないことから内陸の直下型地震を思わせるが上記両史料にはそれぞれ
「この年までも大地震不絶。」(勝山記)
「此年迄三年震動ス。」(王代記)
とあって明応七年地震に連動するトラフ震源の群発地震であった可能性も否定できない。
『勝山記』の前年一月二日条に見える「大地震する也」との記事も或いはこれを傍証するか。
何れにせよこの地震の実在は疑いを容れないものの、現時点ではその全貌は不明と云う他は無い。
0128日本@名無史さん
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2021/10/16(土) 17:10:38.02
>>112
ついに1年半遅れで昨日公開されたんだな。燃えよ剣。

来年には司馬の生誕100周年記念目前に峠が公開されるが。

実は峠こそ司馬遼太郎の最高傑作かもしれん暗示。
0129日本@名無史さん
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2021/10/16(土) 17:13:56.85
燃えよ剣の著書にも土方歳三が後北条氏三沢衆の土方家の子孫だと触れられてるから一読あり
さらに遡ると源平合戦時に坂東にいたヒジカタなんとかという武将だったとか・・
そこまで調べ上げた司馬遼太郎に感動
0130日本@名無史さん
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2021/10/16(土) 17:21:32.88
司馬は天才か何か?
0131日本@名無史さん
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2021/10/16(土) 17:25:37.66
長尾景春が主役である伊東潤の『叛鬼』に出てくる北条早雲も見物だぜ。
0132日本@名無史さん
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2021/10/16(土) 17:36:50.78
しかし最近また88歳死亡説が盛り返してきたな
むろん88歳死亡説を世に定着させたのは司馬遼太郎だが
0133日本@名無史さん
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2021/10/16(土) 17:38:30.65
まあ、この人の実質的なライバルは太田道灌でしょ
0134日本@名無史さん
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2021/10/17(日) 02:29:14.94
次に、
伊勢宗瑞の小田原城接収や伊豆國全域制圧と地震との関連について現在の学説動向を粗雑に眺めておく。
0135日本@名無史さん
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2021/10/17(日) 02:30:45.20
【地震と小田原城接収】
伊勢宗瑞の小田原城接収は長享ノ乱に於ける扇谷上杉方与同勢力としての行動である。
その時期及び詳細経緯については未だ確定されず、明応四年説と明応九年説が対立している。

イ. 明応四年説
上述『鎌倉大日記』の八月条震災記事に続く九月条に「伊勢早雲攻落小田原城大森入道」との記事が見える。
震災による小田原の動揺混乱に乗じて宗瑞が攻め込んだとの理解であって、かつてはこれが学術水準に於ける定説だった。
しかし地震の実在性が疑われる中で四年説の前提が揺らぐ。
更に山内上杉顕定書状の解読から、
 ・明応五(1496)年七月時点で小田原城は扇谷上杉方の拠点であり城主はなお大森氏だった
 ・扇谷方勢力として長尾景春入道意玄及び伊勢弥次郎盛興(盛時弟)が援軍に入っていた
等を黒田基樹氏が指摘するに及んで四年説は殆ど否定された。
その後、地震自体の実在性が上述の如く強力な再評価を受ける中で四年説も再浮上しつつある(片桐氏、金子氏等)。
一定の説得力を有する仮説ではあるが、上記の山内文書との矛盾や当時同じ扇谷方に属した大森氏を宗瑞が攻めることの不自然さなどの課題に対して十分な解決を提供するには至っていない。

(続)
0136日本@名無史さん
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2021/10/17(日) 02:33:21.61
(承前)

ロ. 明応九年説
四年説同様、震災を奇貨として小田原城接収が為されたと云う理解であるが、その契機は明応九年地震だったとする。
四年説を否定した黒田氏は、史料に依拠する限りその時期は「上記明応五年七月から文亀元(1501)年三月(宗瑞の小田原掌握を明示する文書の初見)までの間の何時かとするしかない」として断定を避けた。
近年になって盛本昌弘氏は寺社棟札の研究から本件が明応九年地震の直後であったとの仮説を提起、黒田氏もこれを支持する。
上記文亀元年との時間的近接、宗瑞の伊豆制圧完遂(明応七[1498]年)との前後関係、そして五年七月に小田原城大森氏が山内方に転じたこととの連関性等から見て九年説の蓋然性は極めて高い。
但し九年説にも四年説の根拠たる『鎌倉大日記』の記事との矛盾を単に誤記として切り捨てるだけで十分な説明を為し得ていない、四年地震自体の「復活」には沈黙する、等の危うさや強引さは残る。

(続)
0137日本@名無史さん
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2021/10/17(日) 20:37:32.96
盛興とか氏親はソースが大宅高橋家過去帳なんていう胡散臭いやつだし、
0139日本@名無史さん
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2021/10/19(火) 17:44:29.63
小田原評定が御北条を滅ぼしたのか?
0140日本@名無史さん
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2021/10/19(火) 17:46:16.65
>>131
大河ドラマで長尾景春、太田道灌、北条早雲の関東三国志を見てえ。
0141日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/19(火) 17:51:28.95
実質的に15世紀の関東の支配者だったからな
0142日本@名無史さん
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2021/10/19(火) 17:52:17.68
>>139
小田原評定の負の遺産は現代日本社会にも受け継がれてる。
0143日本@名無史さん
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2021/10/19(火) 18:10:19.02
まあ元祖の談合政治やからな
0144日本@名無史さん
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2021/10/19(火) 18:12:35.89
>>129
「燃えよ剣」によると土方家のルーツは東鑑に記されてるらしい源氏武者の土方次郎らしい。
さすがはトラック一台分の資料を集める司馬遼太郎。
0145日本@名無史さん
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2021/10/19(火) 18:14:50.14
>北条早雲88歳死亡説

スーパー爺さんだな

案外に昔の老人のほうが現代より元気だったかもしれない
0146日本@名無史さん
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2021/10/19(火) 20:38:37.88
>>144
土方歳三と後北条は、ほとんど関係ないし本人も意識なかったでしょうよ
どちらかというと保元平治の昔の関東武士の末裔なんだという自意識はかなり高かったと想像はするが
0147日本@名無史さん
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2021/10/19(火) 21:20:49.32
>>146
過去レスや前スレを見れば解ると思うが、その自演荒らしには触らない方が良い。
0148日本@名無史さん
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2021/10/21(木) 17:18:24.20
スレタイを知名度が高い北条早雲にしないから過疎化しちゃうんだよ
0149日本@名無史さん
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2021/10/21(木) 17:22:48.97
>>146
関係ないどころか三沢十騎衆の子孫なんて関係が深すぎるんですが?
後北条氏なくして土方家は存在しなかったとみても過言ではない
0150日本@名無史さん
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2021/10/21(木) 17:25:40.26
>>128-130
司馬遼太郎いわく日本で初めて組織を作ったのが土方歳三らしいが・・
それはともかくゲリラ戦術やらせたら日本史上でも群を抜いてるのは確かだな。
0151日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/21(木) 17:26:57.13
>>140
15世紀の日本を舞台にした大河を見たいものだな
0152日本@名無史さん
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2021/10/21(木) 17:37:59.59
北条早雲と長尾景春のタッグを見てえ!!
0153日本@名無史さん
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2021/10/21(木) 17:40:17.08
しかし伊東潤の小説の影響か急に有名になってきたな長尾景春。
0155日本@名無史さん
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2021/10/21(木) 17:51:07.90
当然ながら小田原は後北条の匂いを強烈に感じる。
当然ながら甲府は武田の匂いを強烈に感じる。

八王子は後北条と武田が入り混じった匂いを強烈に感じる。
0156日本@名無史さん
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2021/10/21(木) 17:55:49.32
>>150
土方はええが
江藤新平とか河合継之助とか大村益次郎とか他の歴史小説家や歴史学者が余り題材にしない人物を知りたいときは
司馬遼太郎の小説や評論を読むしかなくなっちゃうよな
0157日本@名無史さん
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2021/10/21(木) 19:28:36.03
>>154
伊勢新九郎ならまだ分かる
ただ伊勢新九郎長氏でアップデートが止まってる人は結構いると思う
0159日本@名無史さん
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2021/10/22(金) 22:14:27.06
>>149
三沢十騎衆ってどうせ百姓だろ
0160日本@名無史さん
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2021/10/22(金) 23:57:01.18
鎌倉北条氏って室町幕府や鎌倉公方の仇敵なんですよね。
鎌倉幕府滅亡後も反乱起こしたりして。
幕府の官僚だった伊勢家が敵である北条家を名乗るって変だと思うんだけどなぜでしょう?
足利や上杉からしたら、血縁関係がないとは言え北条に滅ぼされるのは屈辱だったのでは。
0161日本@名無史さん
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2021/10/23(土) 00:16:28.41
>>160
従来から云われている通り、関東軍政界に於ける地位の確保。
鎌倉九代の衣鉢を継ぐ名乗りは関東では限りなく重い。
付け加えるならば、小田原北條に善政伝説がある如く鎌倉北條も善政のアイコンだった。
貴公が何処の出身かは知らないが、
東京/関東で平将門公が英雄であるように、中央政権視点のみで「北條」の名を観るのは危険だろう。

伊勢盛時は確かに伊勢家の者として幕府中央官僚を務めた身だが、
出家の後はあまり伊勢の名を使いたがらなかった節がある。

更に、本当に「血縁関係がない」かどうか、
最近になって黒田基樹氏等が間接史料の不気味な符合を指摘したりしている。
0162日本@名無史さん
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2021/10/23(土) 03:09:33.87
>>161
> 関東軍政界に於ける地位の確保
鎌倉幕府滅亡時にはその関東軍政界が北条氏を攻めて鎌倉を陥落させたのでは?
0163日本@名無史さん
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2021/10/23(土) 03:32:21.23
>>162
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」。
我が国には良い諺がある。

また軍政界とは今日に名を残す武将のみによって構成されたものに非ず、
名も無き村や浦の集合無意識に拠る所の方が遥かに大きい。
最明寺時頼入道の伝説以来鎌倉北條が村々にとって如何なる存在だったか調べてみることを奨める。
「下」こそが「上」を不可抗的に規定するという人類社会史普遍の構造原理も学んでみては如何か。

英雄史観は既に死んだ。
「雑兵たちの戦場」(©藤木久志)の視点から社会を眺めれば
新田義貞的史観が果たして普遍のものかどうか、
そこに大きな疑念の余地を認めることだろう。

と同時に。
北條の名乗りが如何なる効果を持ったか。
古河公方は勿論のこと、幕府将軍家にとってさえそれが尋常のものではなかったことが、同時代史料に示されている。
0164日本@名無史さん
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2021/10/23(土) 11:37:56.49
>>163
なるほど。
新田義貞に協力したけど、やっぱり北条時代の方が良かったなあ、
なんて都合のいい連中もいたかもしれないですね。
北条を名乗るというのは室町幕府の正統性を否定するようなものだと思うのですが
それでもなおメリットがあるという判断を氏綱はしたのでしょうね。
0165日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/23(土) 12:57:53.14
>>164
「潜在敵(室町幕府)の敵は味方」ということなのか、
古河公方が抵抗も無く北條改姓を公認しているのが面白い。
一応和睦はしているものの幕府の手先としてやっぱり潜在敵だった両上杉に対するイヤガラセでもあったのかな。
国府台の後、山内を蔑ろにするが如く氏綱を関東管領に任じたのも同根かもしれない。
0166日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/24(日) 22:21:07.80
>>136から承前)

【地震と伊豆制圧戦争】
「幕府-扇谷上杉-今川-伊勢」対「堀越足利-山内上杉-武田」の対立構図による足掛け六年間に及ぶ戦争である。
将軍足利義澄の堀越足利茶々丸(=母と弟の仇)に対する復仇戦、幕府の関東直属拠点(堀越御所)回復運動、及び長享ノ乱の三つの要素が重層構造を成している。
明応二(1493)年伊勢宗瑞の侵攻に始まって同七(1498)年足利茶々丸の自害及び狩野道一の滅亡を以て終結した。
戦争期間中に明応四年震災と同七年震災及び台風を経験、当然ながら戦争の転機や帰趨は大規模自然災害によって不可抗的に規定されたものと考えられる。
但し災害と戦争との具体的な相関経過については上述の小田原城接収時期とも絡んで議論の対立がある。

(続)
0167日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/24(日) 22:23:26.95
(承前)

イ. 明応四年地震と戦局
伊勢宗瑞の侵攻以来二年間一進一退だった戦局はこの年、足利茶々丸が伊豆國から没落して大島に渡るという大転機を迎えた。
以下、明応四年地震実在の立場を取る片桐氏、金子氏等の仮説を踏まえて概観する。
四年地震が実在したとすると、考古学成果から茶々丸勢力圏(堀越〜東伊豆)は甚大な震災被害を受けたと認められる。
茶々丸没落が震災前後何れのことかは不明であるが、後であったとすれば物理的に戦線維持が不可能になった結果と推測できる。
一方、当時宗瑞の軍勢は伊豆北西部又は駿東地域に在ったとみられる。
上述の如く四年地震が相模トラフ震源の関東地震であったならば宗瑞方の被害が相対的に小さかった蓋然性を十分に想定し得る。
これによって宗瑞が震災直後段階に於ける軍事的優位を確立し得たと考えると、一見唐突に思える戦局転換も納得が行く。
また、同年九月の小田原進出を肯定する場合にも茶々丸没落による伊豆戦線小康化を前提とすることで整合的な理解が可能になるように思われる。

(続)
0168日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/24(日) 22:25:52.35
(承前)

ロ. 明応五年及び六年の戦局
明応四年に一旦は伊勢宗瑞方優位が確立した伊豆戦線であるが、翌五年から六年にかけて足利茶々丸方が反転攻勢に出た。
大島亡命後程無く本土帰還を果たした茶々丸は武蔵國(山内顕定)や甲斐國(武田信縄)に仮寓しつつ彼等の支援を受けて北方から伊豆を窺う一方、伊豆國内に残る与同勢力とも連動して反撃を展開する。
五年七月には小田原城大森氏が山内上杉方に服属、「西郡一変」と云われる状況が現出する。
これを受けて翌六年になると茶々丸勢は駿河御厨地域まで進出、呼応して伊豆の旧臣狩野道一も攻撃を激化させる。
宗瑞方は一転して劣勢を余儀無くされて拠点死守が精一杯という状態に追い込まれた。
帰趨不明の激戦が続くその足下の地下深く、破局へのカウントダウンが進んでいたことを、伊勢宗瑞にせよ足利茶々丸にせよ神ならぬ人の身にして知る由も無かった。

(続)
0169日本@名無史さん
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2021/10/25(月) 19:06:54.28
関東だと海進が特に関わるけど現在の温暖化って中世の海進との違いってなにが挙げられてるの?
いまいち理解してなくて現在の温暖化の原因は不明はなんとなくわかったんだけど、以前あった温暖化との違いが今だ理解できてないんだよなぁ
短期においていちじるしく上昇してるとかあるのかなぁ?
0170日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/25(月) 22:34:44.39
>>169
所謂「関東の平安海進」のことを云っているのなら戦国時代より遥か昔のことだ。
関東に限っても伊勢宗瑞を初めとする戦国大名の動向とは全く結び付け難い。
逆に地球全体は勿論、日本列島規模でも中世を通観すれば温暖化よりも寒冷化を示す物理痕跡や記録の方が圧倒的に優勢でもある。
そして「戦国時代」を現出せしめた原動力はこの気候寒冷化(及び大震災を生んだ地殻運動)に他ならない。

現下の大問題である地球温暖化についても、誤解があるといけないから念の為。
先ずは「温暖化」という現象自体が問題なのではないことを前提としなければならない。
地球は放っておいても温暖化〜寒冷化のサイクルを無限に繰り返す。
その主原因は地球内部の物質/熱対流(内熱)とも太陽活動の変動(外熱)とも云われるが完全に解明されてはいない。
そして驚くべきことに、現在この惑星は「氷河期(寒冷期)」に在ると云う。
より正確にはその終りに在って「間氷期(温暖期)」へと向かいつつある。
従って現時点に於ける気候変動のベースラインは温暖化だということになる。
それは少なくとも地球なる惑星にとって不可避な事象であってヒトごときがどうこうできるものではない。
深刻な問題は、
「現在進行中の温暖化が地質学的に想定さるべきトレンドから著しく上方逸脱していること」
「その原因は地球の惑星活動に在らず『ヒト』なる只一種の生物の営為に在ること」
の二点に集約される。
これが貴問に対する回答にもなるだろう。
そしてこの上方逸脱分だけはヒトの行動如何で修正し得るものであるし、また修正しなければならない−−というのが事の本質であると認識されたい。
0171日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/25(月) 22:52:05.39
>>170あーなるほど、そうか、ありがとう。
じゃあ質問ついでに原因の中で人の活動におけるものの影響は何%ぐらいだと今最先端の研究では考えられてるの?
それを見極める研究ってどんなのがあるの?方式とかイメージしても分けることができる研究ってなかなか分からないんだよなぁ
0172日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/26(火) 00:09:52.04
>>171
真鍋淑郎氏と御弟子さんたちの何十年間の研究成果を5ちゃんねるの書込枠に要約できるような知識も能力も俺には無いよ。
それこそ今正に旬のトピックなんだから解説記事を探す方が早い。
0174日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/27(水) 17:03:33.10
>>148
玄人ぶってるスレ主の頭が狂っておかしいんだから仕方ねえよ
0175日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/27(水) 17:06:44.01
>>144
個人的には『翔ぶが如く』は平家物語、太平記に匹敵する一代領事詩だと思ってる。
0176日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/27(水) 17:11:41.72
当然ながら甲府は武田の匂いを強烈に感じる
当然ながら小田原は後北条の匂いを強烈に感じる

しかし八王子だけは武田と後北条の入り混じった匂いを強烈に感じる
0177日本@名無史さん
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2021/10/27(水) 17:12:45.22
長らく後北条の領内でも大久保長安や松姫などの武田遺臣が作り上げたのが八王子。

本当に八王子だけは不思議な街だ。
0178日本@名無史さん
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2021/10/27(水) 17:16:09.04
司馬遼太郎「街道をゆく」第一巻は甲州街道の特集で、
今は知らんが昭和の八王子は徳川慶喜の大ファンが多かったらしい
確かにいつまでも徳川慶喜の夢を見たいと思う心も武州辺境の八王子でしか誕生しないのかもしれない
0179日本@名無史さん
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2021/10/27(水) 17:28:49.89
南房総のちっぽけな安房里美ごときに大苦戦した北条氏康はゴミだろ
0180日本@名無史さん
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2021/10/27(水) 17:34:57.73
>>178
後北条+武田+徳川のトリプルミックスこそ八王子。
昭和まで八王子にこそ強烈すぎる幕府イデオロギーが生まれてたのも当然か。
0181日本@名無史さん
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2021/10/27(水) 17:37:05.20
>>179
里見水軍が強すぎたからじゃね?
北条水軍も存在してたが地政学的に海戦では里見水軍が有利であった。
0182日本@名無史さん
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2021/10/29(金) 23:48:47.73
>>168から承前)

ハ. 明応七年地震と戦局〜足利茶々丸の滅亡
明応六年は足利茶々丸方優位の裡に推移したが、翌七年に戦局は再び大転換、伊豆戦線は同年の内に伊勢宗瑞方の勝利で最終決着を見る。
この転換の直接契機が茶々丸の滅亡であったことは疑いを容れない。
その時期は『王代記』に拠れば正に大震災と台風の明応七年八月であったと謂うが、震災が茶々丸滅亡を如何にして決定付けたかについては研究者の間でも意見の分かれる所である。
かつては宗瑞方が震災後の大混乱に乗じて茶々丸を追い詰めたとする見解が主流であった。
決戦の機会を虎視眈々と狙っていた宗瑞が震災後間髪を容れず一気に総力を投入して反転攻勢を掛けたと云う。
後述の異説によってやや後退したものの、金子氏等は今もこの立場を維持している。

(続)
0183日本@名無史さん
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2021/10/29(金) 23:52:08.13
(承前)

これに対して家永遵嗣氏は大地震、津波とこれに追い討ちを掛けた台風の壊滅的災害下では大規模軍事行動やその準備作業は物理的にも時間的にも不可能であると指摘する。
黒田氏等は家永氏の指摘を肯定した上で、伊豆七島の津波記録の解析から宗瑞方が伊豆國全域に於いて再び優位を確立したのは震災以前だったとして金子氏等と見解を異にしている。
この前提に立って震災の茶々丸滅亡決定過程については甲斐國武田信縄の動向を重視する。
ここまで茶々丸を擁して伊豆戦線に激しく干渉してきた信縄は、震災と時期を同じくして殆ど唐突に今川/伊勢と和睦を遂げている。
甲斐國に於いても激甚であった震災被害下、内訌をも抱える信縄が多方面戦争体制を維持し得なくなって和睦に踏み切った蓋然性は高い。
和睦に際して一つの「落とし前」として茶々丸の身柄或いは首級を差し出した、謂わば茶々丸は武田権力体に捨てられた−−のではないか。
黒田氏は慎重な云い回しで断定を避けつつこういう経緯を想定している。
大震災が伊豆國を巡る大規模軍事行動を誘発したのか停止を強要したのか。
金子説(従来説)と黒田説の対立の本質はこれに集約されると云える。
0184日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 10:05:57.62
氏康の隠居は飢饉と関係あるだろうな
0185日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 20:02:25.84
四年が中地震、その後のもう一つの本震が大地震とも見れるんじゃないか
0186日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 20:20:53.69
>>179
かとおもえば武田信玄も苦戦した上杉謙信と互角の勝負したり分けわからんね
0187日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 21:07:30.92
勝海舟曰く北条氏康は日本史上でも最高の民政家らしいが
0188日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 21:11:05.94
>>180

八王子の全ては北条氏照に始まる
0189日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 21:15:44.27
司馬遼太郎好きのこの人って何が目的で小学生みたいに連呼してるの?
意味もあんまりないみたいだし、八王子サイコーみたいなこと?中学生とかがやってるのか?
0190日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 21:17:48.94
司馬遼太郎は天才だろ?
0191日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 21:19:13.77
>>186
対里見だけを見れば北条氏康は雑魚ちゃうかと思うわな確かにww
0192日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 21:20:49.30
>>174
全面同意
0193日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 21:21:35.22
強いアイデンティティーだけは感じるわ、意味はないけど
0194日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/30(土) 21:28:20.32
後北条を語りつくしたいなら

小田原と八王子は必要不可欠やぞ

とくに八王子を語らんでどないすんねん
0195日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 21:33:00.19
スレタイを北条早雲にしないから全然盛り上がらんのよ
ここも潮時だな
0197日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 21:44:44.08
まあ俺は司馬遼太郎が好む快男児が好きだから

記録文学の大家である吉村昭みたいな
理屈と正論が好きなおまえらとは意見が合わないのは仕方ない
0198日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 21:45:25.07
お前がやってるのは
詳しい人!俺の八王子愛を満たす情報なんか出せ!俺と八王子は一心同体なんだ!じゃなきゃ生きてる意味がない!価値が無くなる!
早く出せ!ほら出せ!俺?俺はなんも知らん!司馬!司馬!司馬!
これに歴史のれの字も感じないよ、哀れさだけ感じるわ、お前は八王子じゃない、お前はお前だ、お前を見つけろよ
0199日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 21:50:05.92
だがそれが古今東西の歴史の原動力なあんだろうww

主張内容の理屈や正論だけ見れば完璧でも野党が選挙で勝てない理由を見ろw
0200日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 21:52:28.16
そもそも北条早雲自体が理屈や正論では計り知れない戦国屈指の梟雄である風雲児であり権謀術数の塊
0201日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 21:54:22.93
野党とか広げたら会話にならんだろ、専門板じゃなくて遊べるところで遊べよ
それともなにか微妙にどことも合わなくてあぶれてんのか?それはたしかに社会問題だな。
でもここよりは合う所があると俺は思うぞ、響くか知らんが
0202日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 21:58:50.52
たしかに北条早雲みたいな成り上がり者は出世欲が異常に強い。
もう少し遅れて誕生してたら豊臣秀吉級になっていただろう。
0203日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 22:01:44.64
歴史というものは知識ではなくて情念と権謀のみで動くことを理解できない奴らだ。
だがそれならそれでいいから知識を披露してくれ
0205日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 22:12:06.07
>>185
震源と性質が違う。
四年は相模トラフの関東地震、
七年は南海トラフに端を発する南海・東南海・東海三連動型地震。
一方、『勝山記』『王代記』にあるように七年から九年まで「三年震動ス」が事実だとすると、
この両者は本震−余震の関係なのかもしれない。
0206日本@名無史さん
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2021/10/30(土) 22:17:16.76
歴史を動かすものは先ず物理法則、
次にその具現化としての自然環境、
それからヒトなる生物の生理特性。

その他には何も無い。
0207日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/30(土) 22:17:35.61
それはそれは非常に勉強になりました。ありがとうございました。
0210日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/30(土) 22:24:10.93
>>205
いや別として扱ったつもり
ただ四年のは規模が周りに大きい影響を与えてはなんじゃないかという事
でもごく一部に記されるレベル、ただその後の地震は規模が違ったんじゃないかという事
を書いてるつもりだった
0211日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/30(土) 22:35:07.92
>>210
確かに四年地震の西伊豆〜駿河湾沿岸の被害が東伊豆〜相模湾沿岸に比べて相対的に小さかった蓋然性はある。
小田原攻略四年論者もそこに伊勢宗瑞の軍事行動の可能性を求めている。

後日書く予定なんだけど、
俺は小田原城接収については四年、九年とも史実だったと考えている。
0212日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/31(日) 21:14:32.99
ここのスレヌシは小乗仏教とか信仰してそうだなw
0214日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/31(日) 22:32:59.28
>>213
ここは「学問」板の「日本史」スレだ。
議論を展開するに当たって拠るべきものは理屈、論理以外に何も無い。

小説、映画、ドラマ、漫画、ゲームといった虚構の中にのみ存在するキャラクター「北条早雲」を語るなら自ずと違うアプローチになるだろうが。
むしろそれを語りたい嗜好の人が何故学問板を徘徊しているのか、
何故その方面の板に然るべきスレを立てて同好の士と存分に語り合わないのか、
それを訝しく思っている。
0215日本@名無史さん
垢版 |
2021/10/31(日) 22:49:33.76
北条早雲ほど奸雄、奸絶に相応しい武将もいまいがな

そしてそれこそが北条早雲の人気を支えてるのである
0217日本@名無史さん
垢版 |
2021/11/01(月) 21:06:20.58
>>214

勝海舟
「世間は生きてる、理屈は死んでる」

この名分を屁理屈なおまえさんに送ろう。

野党が選挙で勝てないのもしかり。
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