伊勢宗瑞と自然災害との関わりに注目している。

所謂「百姓憐愍」伝説の元ネタとなったであろう行政改革が壊滅的飢饉への対応から始まったのと同様、
伊豆制圧戦争の決着は明応七年大地震(M8.2〜M8.4)及びこれに因る大津波、更にその三日後に襲来した大型台風と、
小田原城奪取は明応九年相模湾地震と、
それぞれ分かち難く結合している。
むしろ自然の不可抗的脅威あってこその伊勢宗瑞、とさえ見える。

明確な史料は残っていないものの、
阪神淡路大震災、中越地震、東日本大震災等が現代科学技術文明にさえ激烈なインパクトを与えた事実に鑑みれば
中世社会にとって上記の災害が激烈な衝撃だったことは想像に難くない。

気候変動と地殻変動の中世に在った「戦国大名」をこういう視座から眺め始めると思考のパラダイムが根本から覆っていく。
ありがちな講談的人物論中心の英雄史観には我々素人もそろそろ訣別する時が来ている。