>>179
記紀の編集目的は「九州王朝(単に倭王権が北部九州にあったというだけ)」が中国皇帝の親書に平伏投擲し、臣下の礼を取っていたことを消すことだから誤解を招く(倭王武の上表文)。
「九州(にあった倭)王朝」は天智の代で大和に東遷(亡命)するのだが、世情不穏な大陸半島の影響を減らすために、大和には継体の三男欽明が分家して、新副都として再開発していた(推古の難波大道、四天王寺、法隆寺、飛鳥板蓋宮、孝明の狂心の渠)。
そして「九州(にあった倭)王朝」は大和分家に系譜を統合することで、中国皇帝への土下座外交を消したということ。
これに惑わされていると、畿内説のような記紀に便乗オレオレ詐欺が跳梁跋扈しだしたわけ。