>>305
>九州の甕棺は3世紀には残ってないと考えてる
甕棺編年は3世紀半ばまで無理やり延命させただけ
周りの墓は紀元前〜紀元4世紀に出来て
一番大きい主墓は多くの墓があった場所の上に土を盛ったか
下にくる棺を周囲に移動させたか
主墓が作られたのは石棺と葺石の様式から3世紀半ば〜後半で
周辺は4世紀まで墓地として利用されたとすると
出土した三角縁神獣鏡も説明がつく
そして主墓30メートルくらいの方墳で小さいし丸くない
(これ)は祇園山古墳

宝賀さんの「卑弥呼の冢」の説明と、だいぶ違うね。