邪馬台国畿内説 Part952
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4~6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1697283832/l50
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にあり得ない。 完敗した九州説には、もうウソと荒らししか打つ手がない 昨夜66連投した荒らしキウスは毎秒投稿してたな
海外サーバーからのスクリプト荒らしじゃないだろうか すでに奥山=キナイコシが外国籍だと判明しているので特に驚かない キウス奥山氏は、韓国人であることへの誇りを語ったので、僕達は、感動したよ。 真実を発表します。
大物主神の子孫を自称した者達の痕跡かもしれない遺蹟を発掘破壊し、
ジグザグの溝を、「方形周溝墓の溝なのだ。」と誤認したのと同時に、
明確な切り合い関係も確認できないスケッチを示すだけで、(ホウケイシュウコウボの)溝が、建物Dの(ハシラの)穴を破壊したのだ、と発表した者達が、いるのだが、
その疑惑の箇所とは別に、建物Dのハシラ群の最南列の東から2番目のハシラ穴の箇所は、発掘破壊直後に示されたスケッチでは、ハシラ穴だけが描かれていました。スケッチ(以下、「笑いリラックス図」と呼びます。)では、このハシラ穴(以下、ハシラ穴★南1東2)は、別のどのような穴や溝とも、切り合い関係どころか、接触も確認できません。
ところが、後日、その遺蹟の南側を、更に、発掘破壊し、調査し、
ジグザグの溝を、「方形周溝墓の溝なのだ。」と断定したことは、完全に、間違いだったことに、気付き、
また、ジグザグの溝の先に、桃の種等のゴミが捨てられた、祭祀の跡なのだと断定されてしまった、マツリの穴を、発見したのだが、
その発掘破壊では、布留1式期の溝が、発見されました。
そして、布留1式期の溝が、マツリの穴やジグザグの溝やそれ以前に発見された建物Dのハシラ穴とともに、「笑いリラックス図」に繋げて、スケッチされました。
そして、そのスケッチは、奥山氏のテンプレートにも、貼り付けられました。
このスケッチを「疑惑のスケッチ」と名付けます。
なぜならば、驚くべきことに、疑惑のスケッチでは、笑いリラックス図では確認できなかった、ハシラ穴★南1東2に重複する溝が、布留1式の溝の延長として、描かれているからです。
疑惑のスケッチ https://i.imgur.com/4W4mle2.png
同空撮 https://i.imgur.com/A1eBwbR.png >>129
最初の発掘破壊で、建物Dのハシラ穴★南1東2を発見し、その底面まで、掘り下げたにも関わらず、そのハシラ穴内の堆積土では、他の痕跡との切り合い関係が、発見できなかったのだから、
後日の調査で、ハシラ穴★南1東2と重複して存在していた事が確認された、布留1式の溝は、やはり、その堆積後に掘られた建物Dのハシラ穴★南1東2に、痕跡が破壊されたことになるな。
つまり、建物Dは、布留1式期以降の建物だったのだ。 >>130
成る程。ヤマタイコクキナイセツにとっては、致命的だね。
頭が普通の者達ならば、ごく自然に断定できる、
【布留1式の溝を、ハシラ穴★南1東2が破壊した】という真実を、否定するためには、
コウテキキカンによる最初の発掘破壊で、建物Dのハシラ穴★南1東2を発見し、その底面まで、掘り下げたときに、その、
【ハシラ穴内の堆積土に、地層が不連続となる明確な変化があり、発掘空間の側面からは連続していた他の痕跡との切り合い関係が、発見でき】ていて、
【白線の件で、スケッチの証拠能力の是非を指摘されているコウテキキカンによるスケッチではなく】、
その写真を示すしかないな。
完全に発掘破壊した今となっては、他には、
【布留1式の溝が、ハシラ穴★南1東2を破壊したこと】
の証明は、出来ないよ。 >>129-131
「笑いリラックス図」ならば、
「巻向遺蹟第166次調査報告」という語句で、画像検索という物事を、実行すれば、獲得することが、出来そうですね。 >>129-132
それにしても、不思議なのは、二度の調査の平面図を見比べれば、容易にバレてしまう、布留1式の溝と建物Dのハシラ穴★南1東2の切り合い関係の逆転の誤認の可能性に対して、なぜ、関係者や報道機関からは指摘がないのだろうか。
客観的精査を通じて積み上げられる理数系科学分野とは方法論が、完全に異なり、主観的な意見が罷り通る文学部では、権威者に反対できないのだろうか。
つまりは、権威者が、ゴッドハンドを、擁護し続けていたときにもあったように、
権威という💩のような物事に、文学部出身の者達は、体質的に、怯んでしまうのだろうか。 >>133
確かに、一理あるね。
そして、ヤマタイコクキナイセツが想定する建物Dのためだという整地層は、ヤマタイコクキナイセツには、あまり、深く考えることが出来なかったのかもしれないが、ハシラ穴の平面プランや、宣伝してしまった建物の規模からの想定からは、深さ2メートルの土壇場になってしまうね。
だから、やはり、悪質な捏造ではなく、頭の出来映えが、あまり良くはないリーダーが、部下には有無を言わせることなく、発表してしまったのでは、ないのかな。 それにしても、良くわからない物事が、あるな。
発掘破壊後の遺蹟で撮影された風景写真の中の、最東のハシラ列の南から5番目の箇所の、発掘面の何の変哲も無い所に、白い塗料で書かれていた白線は、
「発掘では発見できなかったが、「後世の削平面の上にあって確認出来なかったのだ。」と想像された、建物Dの(ハシラ)穴の底面を囲う、想像の線の一部」なのだろうか。
それとも、発掘破壊後の遺蹟で撮影された風景写真の中の、最東のハシラ列の南から5番目の箇所の、発掘面の何の変哲も無い所に、白い塗料で書かれていた白線が、
「後世の削平面と発掘面の十数センチ程の間にあって、かろうじて確認出来た建物Dの(ハシラ)穴の底面の境界」だった可能性も、全く0ではないが、それならば、なぜ、発掘破壊面の白線が分割した両側に、段差すら残さず、発掘破壊してしまったのだろうか。
それとも、発掘破壊後の遺蹟で撮影された風景写真の中の、ハシラ列の最東の南から5番目の箇所の、発掘破壊面の何の変哲も無い所に、白い塗料で書かれていた白線は、調査報告のスケッチを捏造するための前工作だったのだろうか。 >>131
最大限、好意的に解釈するとすれば、庄内期の整地層を発掘破壊した時に発見したハシラ穴を、庄内期に掘られた穴なのだ、とした(笑いリラックスされるべき)バイアスがあったので、先行していた遺物との切り合い関係の存在の可能性に気がつかず、発掘作業の撮影記録を怠っていた可能性は、あるな。 >>135
0082日本@名無史さん2023/09/04(月) 15:13:24.15
貴方は、この白線には根拠が無いと言おうとしているのか
その主張は謎の熱血青年の反発を招く
https://i.imgur.com/Upb4Cl6.jpg ヤマタイコクキナイセツが、追い詰められたな。
好古学芸会のメンバーであるかのようにして、コウテキキカンを擁護しているが、たかだか、5ちゃんねるを活発化させる係員のプロ固定でしかない、年中無給のキウス奥山氏>>1も、なぜか、最近は、異常に興奮してきたが、
無知で無能のキウス奥山氏>>1ではなくして、
謎の熱血青年の反発は、楽しみですね。 また捏造ウソ情報をコピペして荒らしてんのか九州説は ところで、最古の須恵器の年代を、西暦400年前後とする根拠はあるのだろうか。 >>140
半世紀程、繰り上げた可能性も、あるのでは、ないのかな。 なんの根拠もなく年代ズリ下げをしつこく狙う九州説は
学問的に死亡済み つまり、最古の須恵器の年代を、西暦400年前後とする根拠は、ないのだな。
0142日本@名無史さん
2023/10/19(木) 08:27:55.61
なんの根拠もなく年代ズリ下げをしつこく狙う九州説は
学問的に死亡済み 客観的精査を通じて積み上げられる理数系科学分野とは方法論が、完全に異なり、主観的な意見が罷り通る文学部では、権威者に反対できないのだろうか。
つまりは、権威者が、ゴッドハンドを、擁護し続けていたときにもあったように、
権威という💩のような物事に、文学部出身の者達は、体質的に、怯んでしまうのだろうか。 >>89
まだ土器編年だけでやってるの?
炭素年代測定と併用してるでしょ
その上で纏向は遺物から見ても卑弥呼と無関係って言う話じゃないの? やはり、須恵器出現の編年も、ヤマタイコクキナイセツを前提にしているな。 >>146
やはり、出現を3世紀と誤推定した前方後円型物体以降に続く、その埴輪の編年と繋げただけなのだな。 >>1-82
また捏造ウソ情報をコピペして荒らしてんのか畿内説は 何か奇妙だな。
そもそも、編年の確かな基点が、無いな。 https://www.yamataikokunokai.com/katudou/kiroku294.htm
考古学者の石野博信氏氏が『邪馬台国と安満宮山古墳』のなかで、次のように述べている。
墓から出てくる三角縁神獣鏡について土器で年代がわかる例を見ると、四世紀の『布留式土器』と近畿で呼んでいる土器と出てくる例はありますが、その前の、三世紀の土器と一緒に出てくる例は一つもない。
それは埋葬年代を示すのであって、製作年代は示さないということはあるでしょうが、それにしても、一つもないのはおかしい。だから新しいんだろう。つくったのは四世紀前半ぐらいだろうと思うんです。 >>151
土器で炭素年代測定じゃなくて、出土した地層とその層から出土する木製品で、だよ
ココまで書かんとわからんか? 【基礎知識】
・考古学者はアホ
・年代測定は必ず古く出る
・柱穴のみから年代を推定する事は不可能
・遺跡が造られる際に更に古い地中の遺物を掘り出している可能性もある
・堆積層は一定の速度で蓄積される訳ではない
・スレ主の目的は霊感商法詐欺である キウス奥山氏>>1の脳内対話は、やはり、レベルが低いな。 >>152-153
客観的精査を通じて積み上げられる理数系科学分野とは、方法論が完全に異なる文学部で、💩権威者の主観的な意見が罷り通る理由は、
絶対編年の基点となる文字遺物が、無いからではないのかな。 畿内説に反論できず、ただ罵るだけなのは
九州説が完敗している証拠 このスレで最も理系らしくないのがデータやファクトを全く使わないお前キウス 年代が確定している最古の須恵器から遡って、最古の前方後円型物体の年代を決定したのではなく、
最古の前方後円型物体の年代を、【或る物事のために】、まず断定し、それを前提に、最古の須恵器の年代を決定した可能性が、高いな。 >>1
このスレで最も理系らしくないのがデータやファクトを全く使わないお前キウス >>1
ところで、最古の須恵器の年代を、西暦400年前後とする根拠は、ありますか。 >>164
ほら
このスレで最も理系らしくないのが全く証拠を出さないお前キウス >>1
ところで、最古の須恵器の年代を、西暦400年前後とする根拠は、ありますか。 追い詰められて、キウス奥山>>1が、興奮してきたな。
0166日本@名無史さん
2023/10/19(木) 09:52:52.46
>>164
ほら
このスレで最も理系らしくないのが全く証拠を出さないお前キウス >>169
木製鐙は、他の物体に比べて、年代が確かなのでは、ないのかな。 年代が確定している最古の須恵器から遡って、最古の前方後円型物体の年代を決定したのではなく、
最古の前方後円型物体の年代を、【或る物事のために】、まず断定し、それを前提に、最古の須恵器の年代を決定した可能性が、高いな。 そういえば奥山が理系で無いことが判明したのは
電子が原子核の周りを周回してるという発言だったな >>141
日本の考古学は素人が始めたものだから何でもあり
いとも簡単に捏造が出来てしまう。 >>167
>ところで、最古の須恵器の年代を、西暦400年前後とする根拠は、ありますか
1じゃないけど日本に入ってくる韓式土器が伽耶系から百済系に変わり始めるのが高句麗の南征期、いわゆる辛亥年
初期須恵器も特徴が伽耶系から百済系に変わる
TK73型と一緒に出た木器の伐採年が412年
最古の須恵器と一緒だった木材が年輪で389年伐採、炭素年代で359〜395年 >>175
なにごとも証拠を出さないのが九州説
まったく理系っぽくない 伐採年が412年の木材と同年代だというTK73型とは、最古級の次の世代ではないのかな。 >>177
つまり、結局は、須恵器の出現の年代を、年輪と炭素の物事で、決定したのでは、
前方後円型物体の出現の年代を、誤認定した方法と、全く同じだよ。 【韓式土器が伽耶系から百済系に変わり始めるのが高句麗の南征期、いわゆる辛亥年 初期須恵器も特徴が伽耶系から百済系に変わる】のだ、という主張は、真偽を含めて、須恵器の出現した年代を決定する証拠になるのか、それとも、ならないのかを、詳しく研究する必要があるな。 日本政府が設置した公的機関から、ヤマタイコクキナイセツには、具体的な証拠は、全く無い、と判定されました。 キウスと間違われて
喜ぶ奥山
ワハハ
奥山キウス連呼爺はキウスを知らない
わはは
奥山よ。
喜んでないでキウスらしく論理的に反論しろよ。キウスだろ。
ワハハ
俺が本物キウスなんだよねテヘ 万が一、年輪や炭素の物事が、正しいのだとしても、
【最古の須恵器と一緒だった木材が年輪で389年伐採、炭素年代で359〜395年】
という、あまり出来栄えの良くない文章だけでは、
検査に使用された年輪か、外皮から何年分の年輪かが、全くわからないな。 >>184
いつも楽しく拝見してます
>日本政府が設置した公的機関
具合的な機関名を教えてください。
奥山さんみたいに地方機関の桜井市教委みたいなんでもいいですよ 炭素の物事を、外皮で、実行し、伐採年と一致したのだろうか。 >>178
強力な磁界に置いてある原子について、
お前が原子核を周回しているという電子の軌道は真円か?楕円か?
答えてみろ >>169
まるで、外皮のサンプルが残っていて、伐採年が確定でき、
さらに外皮直下の部位を、炭素の物事で検査したようにも、読めるな。
読み方は、それで、正しいのだろうか。 >>186
まるで、外皮のサンプルが残っていて、伐採年が確定でき、
さらに外皮直下の部位を、炭素の物事で検査したようにも、読めるな。
読み方は、それで、正しいのだろうか。 邪馬台国論争
特に纏向では土器編年なんてどうでもいいと思うのです。
三世紀に纏向近辺に人がいたと言う証拠にしかならないのです。
纒向の建物、箸墓が三世紀であろうと言う推測を完全に否定する推測も推測でしかないのですから。
3世紀うんぬんより
纒向・・・都では無いですね、住居跡があまりにも少ないですね。倭人伝記述の物証もすくないですね。
箸墓・・・前方後円墳ですよね。男の墓かもしれませんね・・・・・・・
いいかげん土器編年からはなれませんか
話がループしすぎで得るものがありません >>191
あの優れたブラックボックスは、どの年代の年輪まで、保護しているのだろうか。 >>145さんのおっしゃる通りです
>まだ土器編年だけでやってるの?
炭素年代測定と併用してるでしょ
その上で纏向は遺物から見ても卑弥呼と無関係って言う話じゃないの? 万が一、年輪や炭素の物事が、正しいのだとしても、
【最古の須恵器と一緒だった木材が年輪で389年伐採、炭素年代で359〜395年】
という、あまり出来栄えの良くない文章だけでは、
検査に使用された年輪が、外皮から何年分の年輪かが、全くわからないな。 >>190須恵器を研究している若者。 さん
植田隆司 「古墳時代須恵器編年の限界と展望」
という論文はお読みになりましたか?ネットで見れるかも。
もし、まだでしたら一読をおすすめします。
土器編年に正解はないのでしょうね。 >>195
まるで、外皮のサンプルが残っていて、伐採年が確定でき、
さらに外皮直下の部位を、炭素の物事で検査したようにも、読めるな。
読み方は、それで、正しいのだろうか。 そういえば、ブラックボックスの裁判は、どうなってしまったのだろうか。 >>194
>>>145さんのおっしゃる通りです
でも>>89がガセネタなのは証拠出てるぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています