邪馬台国畿内説 Part965
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4~6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1700122973/l50
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にあり得ない。 九州文学小説から始まった一人一説雑多九州説は個人的感情を挟むので
どうしても連呼や荒らしになってしまう 九州文学小説から始まった一人一説雑多九州説は個人的感情を挟むので
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どうしても連呼や荒らしになってしまう 都合が悪くなると必死にスレを埋めようとするキナイコシw 3世紀の奴国の中心地大都市博多は山門あたりとは交流関係がまったくない >>193
そんなことどうでもいい
とにかく畿内説が嘘だと分かったことがうれしいわ
橿原考古学研究所のお墨付きw 3世紀の日本は畿内〜吉備〜筑前博多の政治連合が成立し、
有明海沿岸では稲作農耕社会がまだ形成されていなかった つまり奥山は虚偽の畿内説を流布した罪に問われますよと 邪馬台国は後漢時代ですでに代々王を継ぐ30国で形成されていました
魏の時代で7万戸なので後漢時代ですでにそれなりの規模であったという事
畿内奈良盆地にそんな痕跡は全く見られません
つまり畿内は邪馬台国では無い倭種の国でしたと 魏志倭人伝によると
「女王国の東の海を渡ると倭種の国があった」
との事
つまり3世紀に畿内にも倭種の国がありましたと
それだけの事 こりゃ九州説さん自分らの全面敗北がよく分かってらっしゃる これが逮捕間近の霊感商法詐欺師の鳴き声ですよ
>199:日本@名無史さん:2023/11/17(金) 13:48:45.19
>こりゃ九州説さん自分らの全面敗北がよく分かってらっしゃる >>197
邪馬台国が30国で形成されていたなど後漢書のどこにも書かれていない >>201
とにかくお前のテンプレは間違いだ
それを認めて謝罪せよ >>197
畿内と奈良盆地の区別がついてない九州説老人
この地理オンチぶりは日本で初等教育受けてないとしか思えない これが何の反論も出来ない霊感商法詐欺師がよく使ってる韓国式つぶやき
>205:日本@名無史さん:2023/11/17(金) 13:56:45.56
>>>197
>畿内と奈良盆地の区別がついてない九州説老人
>この地理オンチぶりは日本で初等教育受けてないとしか思えない 大物主神の子孫を自称した者達の痕跡かもしれない遺蹟を発掘破壊し、
ジグザグの溝を、「方形周溝墓の溝なのだ。」と誤認したのと同時に、
明確な切り合い関係も確認できないスケッチを示すだけで、(ホウケイシュウコウボの)溝が、建物Dの(ハシラの)穴を破壊したのだ、と発表した者達が、いるのだが、撮影された風景写真の中の、最東のハシラ列の南から5番目の箇所の、発掘面の何の変哲も無い所に、白い塗料で書かれていた白線は、
「発掘では発見できなかったが、「後世の削平面の上にあって確認出来なかったのだ。」と想像された、建物Dの(ハシラ)穴の底面を囲う、想像の線の一部」なのだろうか。
それとも、発掘面の何の変哲も無い所に、白い塗料で書かれていた白線が、
「後世の削平面と発掘面の十数センチ程の間にあって、かろうじて確認出来た建物Dの(ハシラ)穴の底面の境界」だった可能性も、全く0ではないが、それならば、なぜ、発掘破壊面の白線が分割した両側に、段差すら残さず、発掘破壊してしまったのだろうか。
それとも、発掘破壊面の何の変哲も無い所に、白い塗料で書かれていた白線は、調査報告のスケッチに、実在しない痕蹟を書き加えるための、つまり、有り体に言えば、捏造するための前工作だったのだろうか。
0082日本@名無史さん2023/09/04(月) 15:13:24.15
貴方は、この白線には根拠が無いと言おうとしているのか
その主張は謎の熱血青年の反発を招く
https://i.imgur.com/Upb4Cl6.jpg >>207
その疑惑の箇所とは別に、建物Dのハシラ群の最南列の東から2番目のハシラ穴の箇所は、発掘破壊直後に示されたスケッチでは、ハシラ穴だけが描かれていました。スケッチ(以下、「笑いリラックス図」と呼びます。)では、このハシラ穴(以下、ハシラ穴★南1東2)は、別のどのような穴や溝とも、切り合い関係どころか、接触も確認できません。
ところが、後日、その遺蹟の南側を、更に、発掘破壊し、調査し、ジグザグの溝を、「方形周溝墓の溝なのだ。」と断定したことは、完全に、間違いだったことに、気付き、
また、ジグザグの溝の先に、桃の種等のゴミが捨てられた、祭祀の跡なのだと断定されてしまった、マツリの穴を、発見したのだが、その発掘破壊では、布留1式期の溝が、発見されました。
そして、布留1式期の溝が、マツリの穴やジグザグの溝やそれ以前に発見された建物Dのハシラ穴とともに、「笑いリラックス図」に繋げて、スケッチされました。
このスケッチを「疑惑のスケッチ」と名付けます。なぜならば、驚くべきことに、疑惑のスケッチでは、笑いリラックス図では確認できなかった、ハシラ穴★南1東2に重複する溝が、布留1式の溝の延長として、描かれているからです。
疑惑のスケッチ https://i.imgur.com/4W4mle2.png
同空撮 https://i.imgur.com/A1eBwbR.png
「笑いリラックス図」ならば、「巻向遺蹟第166次調査報告」という語句で、画像検索という物事を、実行すれば、獲得することが、出来ます。 >>208
成る程。ヤマタイコクキナイセツにとっては、致命的だね。
最初の発掘破壊で、建物Dのハシラ穴★南1東2を発見し、その底面まで、掘り下げたにも関わらず、そのハシラ穴内の堆積土では、他の痕跡との切り合い関係が、発見できなかったのだから、
後日の調査で、ハシラ穴★南1東2と重複して存在していた事が確認された、布留1式の溝は、やはり、その堆積後に掘られた建物Dのハシラ穴★南1東2に、痕跡が破壊されたことになるな。
つまり、建物Dは、布留1式期以降の建物だったのだ。
頭が普通の者達ならば、ごく自然に断定できる、
【布留1式の溝を、ハシラ穴★南1東2が破壊した】という真実を、否定するためには、
コウテキキカンによる最初の発掘破壊で、建物Dのハシラ穴★南1東2を発見し、その底面まで、掘り下げたときに、その、
【ハシラ穴内の堆積土に、地層が不連続となる明確な変化があり、発掘空間の側面からは連続していた他の痕跡との切り合い関係が、発見でき】ていて、
【白線の件で、スケッチの証拠能力の是非を指摘されているコウテキキカンによるスケッチではなく】、
その写真を示すしかないな。
完全に発掘破壊した今となっては、他には、
【布留1式の溝が、ハシラ穴★南1東2を破壊したこと】
の証明は、出来ないよ。 最大限、好意的に解釈するとすれば、
「ハシラ穴の底面が、ちょうど庄内式期に整地された地層にあった。」という理由だけで、庄内式の建物であると推定されてしまった可能性もあるのでは、ないのかな。
だが、現代の建築物でさえ、基礎は、庄内式期の地層に達するが、
頭の出来映えが普通ならば、基礎が、庄内式期の地層に達していたからといって、庄内式期の建築物だとは、考えないよ。
そして、庄内期の整地層を発掘破壊した時に発見したハシラ穴を、庄内期に掘られた穴なのだ、とした(笑いリラックスされるべき)バイアスがあったので、先行していた遺物との切り合い関係の存在の可能性に気がつかず、発掘作業の撮影記録を怠っていた可能性は、あるな。
だが、ヤマタイコクキナイセツが想定する建物Dのためだという整地層は、ヤマタイコクキナイセツには、あまり、深く考えることが出来なかったのかもしれないが、ハシラ穴の平面プランや、宣伝してしまった建物の規模からの想定からは、深さ2メートルの土壇場になってしまうね。
だから、やはり、悪質な捏造ではなく、頭の出来映えが、あまり良くはない、ヤマタイコクキナイセツのリーダーが、部下には有無を言わせることなく、発表させてしまったのでは、ないのかな。 それにしても、不思議なのは、二度の調査の平面図を見比べれば、容易にバレてしまう、布留1式の溝と建物Dのハシラ穴★南1東2の切り合い関係の逆転の誤認の可能性に対して、なぜ、関係者や報道機関からは指摘がないのだろうか。
客観的精査を通じて積み上げられる理数系科学分野とは方法論が、完全に異なり、主観的な意見が罷り通る文学部では、権威者に反対できないのだろうか。
つまりは、権威者が、ゴッドハンドを、擁護し続けていたときにもあったように、権威という💩のような物事に、文学部出身の者達は、体質的に、怯んでしまうのだろうか。
そして、疑惑は、まだ、あるぞ。これは、建物Bの北側の図だよ。
西
口★口★口★口★口口口口口口口口口口
口口口口口口口口口口口口口口口口口口
口口口★★口口★口口口口口口口口口溝
口口口★★口口口口口口口口口口口溝溝
口口口口口口口★口口口口口口口溝溝口
口口口口口口口口口口口口口口溝溝口口
口建口★★口口★口口口口口溝溝口口口
口物口★★口口口口口口口溝溝口口口口
口B口口口口口★口口口溝溝口口口口口 北
口口口口口口口口口口溝溝口口口口口口
口口口★★口口〇口溝💩口口★口口★口
口口口★★口口口溝溝口口口口口口↑口
底より下に土器が埋まった穴
東 >>211
最北の★のハシラ穴の発掘側面は、発表された写真を見る限りでは、ハシラ穴の中央の底の東半分を破壊して、さらに掘り下げ、途中で発見された土器を撮影できる深さまで、掘り下げられたようにしか見えないね。
そして、実際の抜き取り穴の底の断面は、土器の上部から、もう一つ土器一個分、上の黄ばみのある層と黄ばみのない層の境界では、ないのかな。
そして、サクレツのハシラ(だと断定されてしまった)穴は、何かのために、整地層の上面にあった、石か何かの異物を取り除いただけのようにも見えるし、
なによりも、その上面の上の布留0式の(層なのだと断定された)層と、(本当に)連続していなかったのならば、サクレツのハシラ穴としては、浅すぎるぞ。
だか、少し、妙だな。土器の埋まっているハシラ穴の写真は、東からではなく、西からの撮影では、ないのかな。
コウテキキカンの報告者が、間違えたのだろうか。 報告された(推定ではなく、)状況が事実ならば、整地層が出現した時期は、整地土より上層の布留0式期=庄内3式期の可能性が、高いな。なぜならば、整地層に、主に庄内古式が含まれていたならば、整地土は、周辺の庄内古式の地層を掘り起こし運搬されたことになるからだ。
そして、整地層から、整地作業中に使用され混入した【割れていない庄内3式期の土器】が発見されても、全く、不自然ではないね。
つまり、サクレツFの北端のハシラ穴から発見された【割れていない庄内3式期の土器】は、実際には、発掘破壊時にハシラ穴の底を見逃し、さらに、発掘破壊で掘り下げられた整地土の中に、布留0式期の整地作業中に何らかの目的で使用され、埋もれていた土器だったのだ、というのは、ごく自然な意見だよ。 >>213
整地が庄内式期になされたとして、
使用される土器が布留1式や布留2式に入れ替わるまで、つまり、せいぜい半世紀程度の間で、人の活動痕のある、その地表面には、せいぜい数センチの厚さの堆積はあったかもしれないが、ヤマタイコクキナイセツは、発掘破壊調査で、布留式の地層があるかのように報告しているね。
だが、その布留1式期前後の地層の厚さを確認できる、記録写真は、残されては、いないのでは、ないのかな。
連続しながら重複していく他の活動痕があるにも拘わらず、建物や柵のハシラが整地時に立てられ、庄内式期中に抜き出されたと断定してしまったのは、やはり、ホウケイシュウコウボの誤認や建物Dのハシラと布留1式期の溝の切り合い関係の見逃しの件でもわかるように、色々な物事に対して、考えが至らず、早とちりする体質があるからではないのかな。 そもそも、庄内式期は、馬力利用時代直前の4世紀だよ。
なぜならば、直後の布留1式期の地層から、5世紀の木製鐙が、発見されたからだ。 >>207
近くに住んでるなら橋本に聞いてみたらいいんじゃないか? 橋本w
寺からも白からもダメ出しされてたヤル気0の畿内説かw テンプレートを書いている者と、テンプレートを貼り付けている者が、別の人物である可能性は、無さそうだな。
なぜならば、人の書いた文章を、365日24時間体制で、タイミングよく貼り付ける者が、いたならば、精神が、異常過ぎるからだ。 >>218
だが、自分の文章を、365日24時間体制で、タイミングよく貼り付ける者も、精神が、異常だよ。 >>207-215
ヤマタイコクキナイセツが、追い詰められたな。
好古学芸会のメンバーであるかのようにして、コウテキキカンを擁護しているが、たかだか、5ちゃんねるを活発化させる係員のプロ固定でしかない、年中無給のキウス奥山氏も、なぜか、最近は、異常に興奮してきたが、
無知で無能のキウス奥山氏ではなくして、
謎の熱血青年の反発は、楽しみですね。 年代観を目一杯遡らせることによる畿内説ゴリ押しは春成秀爾あたりがA級戦犯なんかね いくらわめいてももう無駄
奈良には邪馬台国はありません
県立橿原考古学研究所の公式見解です
>青柳正規所長は調査の意義について「邪馬台国(やまたいこく)が北部九州か畿内かといわれているが、
>3世紀末の奈良盆地には、邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在したことが明らかになった」と述べた。
https://www.sankei.com/article/20231106-YQ2CEHEOWRLK3EV2AME3WDEYFU/
邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在した
邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在した
邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在した
邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在した
邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在した 畿内説の終焉キタ━━━━━━━━━━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━━━━━━━━━━!! 邪馬台を引き継ぎながら比較すれば圧倒的な政権…とか言っていないのか?
茶臼山のことだろ?
祭祀跡もなし、三段格下、大王墓と言えるか?も疑問の墓だよ。
大体、勲章を貰ってる時点で倭側の発言はせんわ。 卑弥呼は、日巫女 ヒノミコ
言ってる人がいるが、じゃあ卑弥弓呼は、どうなんだ?
と言いたいw
確かに卑弥呼は1人じゃない
魏志倭人伝に出てくる卑弥呼は2代目だと考察してる、俺は
>信鬼神 國邑各立一人主祭天神 名之天君
韓伝に書かれた馬韓の説明と、倭人も同じだと思ってる
天神 = 倭人では女王のこと
天君 = 倭人では卑弥呼のこと
答え見えてますw 信鬼神…それ解釈違ってないかい、
朴赫居世を誰かに各々の国が見立て祀っているだろ。 卑弥呼が鬼神なら鬼道とは記さないんだよ。
で列島にあるのは朴鬼神と太一鬼道、後仏教。だよ。 魏志倭人伝の鬼道は、いわゆるイタコ芸だよ
自身の身体に神降ろしする
記紀でもイタコ芸ばかり、神功皇后もウズメも
そして、鬼は死者の魂のこと
まさにイタコ芸w 要するに九州邪馬台国時代が幕を閉じる頃、畿内では纒向に古墳造営基地局を作って古墳造りに没頭してましたよと
それだけのこと >>234
妄想ばっかりだな九州説は
卑弥呼が女王に冊封された瞬間に邪馬台国という国は無くなって倭国の首都圏になったんだよ
だから3世紀後半は邪馬台国地代じゃないの >>236
お前のその主張は妄想ではないとでも?w 奈良には邪馬台国はありません
県立橿原考古学研究所の公式見解です
>青柳正規所長は調査の意義について「邪馬台国(やまたいこく)が北部九州か畿内かといわれているが、
>3世紀末の奈良盆地には、邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在したことが明らかになった」と述べた。
https://www.sankei.com/article/20231106-YQ2CEHEOWRLK3EV2AME3WDEYFU/
邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在した
邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在した
邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在した
邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在した
邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在した >>240
アホですかw
平安時代から日本の国の中のあちこちに国がありましたけどw >>234
3世紀初から纏向古墳群が造られる同じころ
奴国の中心地博多には那珂八幡が造られる
3世紀中ごろ最初の定型化された箸墓古墳が造られた後、
九州各地でも古墳造りに没頭した >>242
>九州各地でも古墳造りに没頭した
はいデマの流布という現行犯ですね
そもそも纒向には当初東日本式の前方後方墳が造られている
つまり古墳文化は東日本から西へと広まったものであり特に纒向が発祥というものでもない 前方後方墳の纒向メクリ1号墳を削って小さな墳墓へと改変したのは何か意味があるのかな?w >>237
邪馬台国だった頃と統一倭国では
王権の強さが段違いなのは当然んなんだけど >>242
>そもそも纒向には当初東日本式の前方後方墳が造られている
証拠ないんですけど 三国志の時代、後漢帝国の下に魏公国(AD212~216年)や魏王国(216~220年)があった
国の下にレイヤの違う国は古代中国では普通にあった
そもそも周の時代、中華に王は周王一人なので、各地の実力者は公を称した(斉の桓公、晋の文公など)
この時、周という国の下に斉という国や晋という国があったということだ
しかし周の権威がさらに低下すると、各地の実力者は周を無視して王を称するようになった(楚の荘王、越王勾践など)
中華に王が何人もいるようになったので、天下統一した秦の始皇帝は王の上に皇帝を置いた
このように国は重層的だ
当時の「倭」の地域にも、邪馬台国や伊都国のような単体のクニと、それが連合した倭国が重層的に存在していたように魏志倭人伝は読める >>243
メクリ1号墳(28m)は纏向石塚(96m)の3分の1以下の小さな古墳
博多の那珂八幡古墳は86mの前方後円墳
九州各地では前方後円墳造りに没頭した ネトウヨ思考
・日本人は縄文人の子孫
・日本語は縄文語の子孫
・Y遺伝子Dが自慢
・縄文文化を縄文文明という
・邪馬台国は九州と主張
・日本が中華に朝貢したのが許せない
・アイヌ人はシベリアからやってきた虐殺者
・なぜかエベンキという民族に関心がある
・古史古伝や日ユ同祖論などのオカルトを信奉
・邪馬台をじゃまたいと呼んでしまう低学歴
・国学者の九州説をなぜか反皇国史観と思い込む
・魏志の漢字を何故か現代音で分析してしまう 京都の五塚原古墳は4世紀だよな
いわゆる纒向プロトタイプ型のw .
投馬国(ダウマコク)は岡山にあった「たまのくに」
都は倉敷市と岡山市の中間あたりに位置する上東遺跡あたり
当時はヤマトに奈良という呼称がまだなかったように吉備という呼称もまだない
玉や玉島など、当時の「たまのくに」という呼称の名残というか残骸が周辺に
残っている
投馬国の場合、当時は穴海になっていて海岸線が今よりもはるかに内陸にあったため、
都である中心港の遺構がかなり内陸にあったのだ
今の倉敷市と岡山市の大部分は当時はまだ海の底だったのである
郡使は今の岡山の玉に寄港したのではなく、今では内陸になってしまった当時の
たまのくにの中心港だった上東遺跡に寄港したのである
https://stat.ameba.jp/user_images/20170602/00/kadoyas02/c9/40/j/o0454031313951122410.jpg?caw=1125
. >>248
那珂八幡の前に前方後方墳である焼ノ峠古墳が造られてるが?w
いい加減古墳の形式が勢力圏と無関係な事を認めろよ低能 >>241
>アホですかw
>平安時代から日本の国の中のあちこちに国がありましたけどw
それ、中国の認識じゃないから
国王より上なのは皇帝
治天下大王や天皇は日本独自の制度だからね
日本列島に国王よる上の地位のものがいることを中国は承認しない
だから倭人人の島に倭国王と周辺にある属国や敵国の王はいてもいいが、国の中には国はない >>253
那珂八幡古墳(86m)は3世紀前半、焼ノ峠古墳(38.8m)は3世紀後半
九州では稀な前方後方墳の九州最大の大きさ >>250
>無知w
罵りしか返答できなくなった人は
論破された敗北者です >>253
このように
間違った情報ばかり盲信するのが九州説
つまり負け組確定 顔真っ赤にして誤魔化そうと必死なキナイコシという奥山w
>257:日本@名無史さん:2023/11/17(金) 17:36:36.78
>>>253
>このように
>間違った情報ばかり盲信するのが九州説
>つまり負け組確定 つまり箸墓古墳はかなり新しい古墳だと判明したわけよ >>252
上東遺跡は洪水で全てが封印されたタイムカプセルみたいな貴重な遺跡
鉄器がほとんどないことから、
リサイクルとかではなく単に遅れていたことが露わにw 敗北九州説は手も足も出ないので
もはや抵抗手段はニセ情報流しと荒らしばっかりという敗残兵状態だ >>260
泥と接触した鉄器は、ふつう200年くらいで溶けて無くなる >>262
このように
九州説は証拠のないことだけ言う >>263
青谷上寺地遺跡では泥に埋まったから弥生人の脳が保存されていたのだが? ミュオグラフィは内部が空洞でないと密度の差がでない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています