【新田楠木】後南朝スレ4【西陣南帝】
『妙法寺記』明応八年条
此年霜月、王、流されて三島へ付き玉ふ也。
早雲入道諫て、相州へ送賜也。 後醍醐天皇(建武政権)は、自ら武家社会を統括するならば、鎌倉幕府が認定した土地所有関係を継承した上で、倒幕に功績のあった者に新たに恩給を与えるべきであった。武家社会運営の難しさと複雑さを理解しないまま、公武合体政権を軽々につくり上げてしまったのではないだろうか。源頼朝や執権北条氏がどれほど苦労したかを理解していれば、このような軽率な行動は取らなかったはずである。 後醍醐天皇の突出した個性が、その後の長い混乱の一因となった可能性はあるな