>>234

弥生時代中期末以来、須玖岡本周辺で、
レベルの高い鉄器生産が行われた可能性があり(鉄戈や剣類の製作など)、
それに関連する工房遺跡があるが(赤井手、仁王手、須玖唐梨)、
大規模で集約的な生産ではなかった。
しかし、UA期に始まる博多遺跡群での鍛冶は生産規模(工房範囲)が大きく(久住 2007、比佐陽一郎 2010、次山淳 2015)、
さらには断面蒲鉾形羽口を用いて原料鉄の精錬鍛冶も行ない、
その推定生産量から古墳前期の各地鍛冶遺跡は
「博多遺跡群経由の鉄素材への依存度も高かった」と評価される(村上恭通 2000)。