鏡の副葬とデカい墓を作るのはどう考えてもデカい墓を作る方がはるかに難しいのであって、数十年、のべ数100万人の労働力を要する
この点から、楯築の被葬者を倭国王帥升と見る松木武彦の説は一定の支持を得られるだろう
鏡が出てこなかったことは、「吉備には鏡を副葬する文化がなかった」と、その通りであろう