箸墓のあのデカさ、桜井茶臼山のあのデカさ、西殿塚のあのデカさ
あれは畿内人だけでは作れない
墓作る人々も米を食うのであって、墓作りに全フリすることは不可能だ
吉備、出雲、東海、北陸、関東まで多くの外来者が来たことが分かっている

畿内の人口は膨大に膨れ上がっていたはずだろう(邪馬台国7万戸)