中塚氏の酸素同位体比年輪年代法では、ある抗材は230年を示したと
ありとあらゆる理化学的年代測定法において、年代が遡っている
やはり纒向石塚177年は正しいと見るべきで、卑弥呼共立前から畿内の勢力は外来者と共に纒向を完成させていたと見るべき
庄内0を200年〜とする従来の説を遡上させて、1世紀前半〜半ばと見るべきだろう

そうでなければ、鉄器に乏しいことや、纒向石塚から鏡が出てこなかったこととの整合性が取れない
225年のホケノ山の極めて素晴らしい画文帯神獣鏡は舶載鏡であり、素環頭大刀1口、鉄製刀剣類 10口も舶載でしょう。

こちらの年代観の方がしっくりくる