倭国(日本)は高句麗(韓国)の植民地だった
【瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)】
高句麗の東夷大将軍、倭国征伐を命令され大軍勢を率いて博多から上陸して九州を席捲し邪馬台国を滅ぼす。
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東は美濃、西は長門まで勢力を拡大していた大和王国の抵抗に逢い本州戦線は苦戦、日向を本拠地として九州統治の安定化を優先させる。
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倭国征伐が長期化して苛立った高句麗王によりニニギは大将軍を解任され、ヒコホホデミ(後の神武天皇)が新たに大将軍として派遣される。
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ヒコホホデミは戦況を打破する為に四国方面から大和へ攻め込む策を考える(神武東征)
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関西に乗り込んだヒコホホデミは大和軍と交戦、大和王国側の最高指導者邇芸速日命(ニギハヤミノミコト)を破り処刑
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大和征伐の完了を聞いた高句麗王は高句麗から人民を移住させ、奈良盆地に倭国都督府を設置しヒコホホデミが都督に就任する
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それから数百年後、倭国は宗主国の高句麗から独立し、高句麗より上の存在であることを示すため倭王は天皇を自称する 新羅の金城、百済の慰礼城、熊津、四ビ、高句麗の丸都山城、平壌城クラスの都邑が
日本に現れるのは城壁抜きの規模で比較しても藤原京(百済人が奈良につくった都)からだし
百済から瓦職人が渡来するまでは、板葺の掘っ立て小屋を皇宮としてたくらい
飛鳥時代に百済によって仏教の教えと共に寺院建築が伝えられ、飛鳥寺造営で初めて瓦葺の屋根が作られた
瓦製作は、百済の「瓦博士」が直接指導したことは有名で、軒瓦の文様には百済風の蓮花のデザインが採用されている
当時の日本列島住人はその最新の建築に目を見張ったことだろう
要するに現代日本の匠、職人さんたちってのは、朝鮮半島からの職能集団(品部)の子孫 百済の南遷よりは可能性は高いよね。
魏や前後燕に虐められて高句麗が弱体化して倭が独立って感じ。
高句麗は山岳民で三韓を沿岸民とすれば山彦海彦の関係でもあったり。
>>2
そんななんちゃって都邑があっても日本の方が人口ずっと多いんで。
中国の超高層ビルがたくさん建ってる市街と日本の首都圏を比較してるようなもんだし。 高句麗の淵蓋蘇文(イリガスミ)と天武天皇は同一人物で、高松塚古墳に葬られてるらしい
高句麗は満州で
新羅こそが韓国だろ 朝鮮の由来は中国
高麗の由来は満州
韓国の由来は日本 高句麗の東夷大将軍、倭国征伐を命令され大軍勢を率いて博多から上陸するも、九州北部で激しい抵抗に遭い進軍が頓挫。
その後、本拠地を日向に移し、九州南部を平定する。
倭国征伐が長期化する中、高句麗王はニニギを解任し、新たにヒコホホデミを大将軍に任命する。
ヒコホホデミは四国方面から上陸し、大和王国へ攻め込む(神武東征)。
大和王国との戦いで勝利し、邇芸速日命(ニギハヤミノミコト)を討ち、大和を平定する。
高句麗王は倭国都督府を奈良盆地に設置し、ヒコホホデミを都督に任命する。
その後、倭国は高句麗から独立し、天皇号を称する。 >>7
高句麗語と日本語古語とは数詞の他の家族呼称などの言語の
基礎語にはどの程度の類似があるの? 半島日本語ってあるけど
高句麗の本拠地だった満州南部には日本語の痕跡とかないんだけどね >>2
うーん、確かに百済文化は日本文化に大きな影響を与えたわね。でも、それだけじゃないと思うの。日本の匠・職人の技術は、朝鮮半島からの技術だけじゃなくて、日本国内の技術や文化の発展も融合して培われてきたんじゃない?それに、城壁の有無だけで都市の規模や重要性を判断するのは、ちょっと短絡的じゃないかしら?