新撰組/白虎隊/京都見廻組/彰義隊
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明治初期に日本にも海兵隊があったという事実は世間一般で有名? あちこちの観光地で木刀が売られてるのは白虎隊記念の木刀がウケたから……
ってのは、本当なんですかね? 元々木刀を供えるといえば源義朝。
そこから鶴岡八幡(鎌倉)での土産物の販売に移行し、全国に流布した。
白虎隊は俗説 >>791
5メートル以内なら銃より剣の方が有効ってのを聞いたことはあるな
点であわせなきゃいけない銃(狙う→撃つ)よりも
線であわせれる(狙いながら斬れる)剣の方がアドバンテージがあるって理屈 新選組ゆかりの地として有名な東京都日野市の高幡不動尊。
異教徒であるはずの高幡不動の敷居をまたぎ、その境内や参道で
「高幡まんじゅう」や「土方歳三まんじゅう」を売っている
創価学会員がいる。
公明党の日野市議会議員、みねぎし弘行は自分のHPに「ことばの道しるべ」と
題して、池田大作の言葉を紹介するような政教一致の市議会議員であり
高幡まんじゅうの製造販売で、何も知らない参拝客から金を巻き上げる
「松盛堂」のオーナーである。
http://www.e-giin.net/minegishi/
http://www.syoseido.co.jp/
>>797,799
其の辺は完全に会津捏造・誇張扱いにするのはどうなんだろうね?
鶴岡八幡宮に倣った流れと会津白虎刀の好評からの流れとの二つが
全国あちこちで混在してるって事じゃないのかと思うんだが。 >>801
こういうものは木刀に限らず気がついたら自然にあっちゃこっちゃで出まわっとるよなぁ
新選組の法被とかも東京名物だっていうから買って暫くして京都いったら京都名物になってて
挙句に函館いったら函館名物って売り文句ついてたwww 原口清名城大学名誉教授は(「禁門の変の一考察」『原口清著作集第2巻 王政復古への道』2007年9月刊)において
新選組らによって浪士による京都放火計画がでっちあげられた可能性が高いと述べている。
この人は作家ではなくちゃんとした日本近代史の歴史学者だけど
この説はどれだけ支持されているんだろう? >>807
当時の京都は新撰組も長州激派も化かし合いの状況だったってことは
幕末の勉強してる先生たちなら知ってることだけどね
まあ原口さんみたいなじっちゃん先生はともかくとして(失礼)
若手の学者さんを中心に新撰組を歴史のなかでどう理解するかってことで
頑張ってる人も多いようなので
そういう最前線のひとたちの論文から色々池田屋事件のことを
掘り下げて考えたら案外面白い意見の一つもでてきそうではあるね
自分としては世間でいうほど
新撰組が池田屋のことをどうこうできたとは思わないけどね
彼らの義挙だとか陰謀ってすんのはちと表面しかみてないかなって気はする
要するにコマのやったことなわけだし
新撰組だけつかまえて色々いったところで大したことは分からない 池田屋のときの放火計画云々は、まぁ新撰組の裁量でどうにでもできる自白だし
真相は永遠に藪の中じゃないかな。
新撰組としては、むしろ攘夷を柱とした政治的集団になろうとしてたって論の方が興味あるな。
長州征伐を優先したことで立ち消えたとか、誰の論だったっけ。 >>809
松浦玲さんの「新選組」かな?
こないだ出た中村武生さんの「池田屋事件の研究」を今読んでるけど、
結構細かく掘り下げてて面白い 新撰組じゃなくて「浪士組」のメンバーがそのまま拡大していたら、天下を取っただろうね。
まあ結局は内ゲバだけだった。 清河八郎は朝廷との直結を意識したことから在野の活動に徹して
幕府が攘夷しなきゃいけないような状況を無理矢理でもつくろうってした人だけど
そういうやり方はあんまし長続きしてないね
そのまま拡大したところで天誅組だとか天狗党のような末路になってしまう
現に多くの清河系新徴組士が天狗党に身を投じた 他のスレッド(龍馬暗殺の黒幕6)に出ていたのだけど、龍馬暗殺の新資料が
出るらしい。
それを、転写する。
料類の再検これですね。アマゾンに仮だけど出ているよ。
真面目なノンフィクションみたいだから、新聞社も動くかも。
題名は、
「龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた」 出版:彩流社
内容紹介(「彩流社」HPに出ている。)
・闇に葬られていた日記が語る衝撃的新事実!!
・暴かれた黒幕と新撰組の近藤勇らが複雑に絡み合った背後関係。
・巧みに仕組まれた暗殺の実行過程が詳らかに…。
「本書は、龍馬らの暗殺事件関係の資証を行ったものである。
そして、特にその中の『寺村左膳道成日記』の読み直しを通して、
そこに眠っていた、これまで語られることのなかった新事実を見つけ出し、
近江屋事件の真実や真相、真の黒幕を解き明かし、
事件の歴史的な評価をしたものである。
寺村左膳とは土佐藩の山内容堂の側用人で
大政奉還の建白書の草稿を執筆した人物である。」(「まえがき」より)
NHK-BS時代劇ドラマ『新選組血風録』
[ 2011年4月〜6月 NHK BSプレミアム放送 ]
幕末という変革の時代。その大きな流れに逆らって、「武士」であることに異様ともいえる情熱を傾けた男たちがいた。
剣の腕ひとつでひとかどの武士に成り上がった男たちは、新選組として日本の行く末を左右する苛烈な戦いの最前線に身を投じたのである―――。
司馬遼太郎原作「新選組血風録」は、混乱の時代を懸命に生きた新選組隊士たちの激しく切ない人生を、毎回読み切りの形式で描く<新選組外伝>。
時代劇初主演の永井大が、新鮮かつダイナミックなヒーロー土方歳三を演じる!
DVD-BOX好評発売中 http://www.toei-video.co.jp/DVD/sp21/shinsengumi.html NHK-BSはNH犬の中でもとびきり歴史捏造ぶりがひどい
● ▲ ★ ● ▲
2月29日
サッカー日本フル代表
2014年ワールドカップ アジア3次予選 第6戦
日本×ウズベキスタン (愛知 豊田スタジアム)
● ★ ▲ ★ ●
斎藤一って新撰組より会津藩に尽くした人ってイメージがある。
警官になって政府側に行った後も会津藩とは親しかったんだっけ? >>822
斎藤一は旧幕府脱走軍(新撰組)と決別してからあとは
会津(斗南)藩士の身分を与えられて廃藩置県をむかえているね
たしか会津の殿様や重臣たちの世話で就職や結婚もしている >>823
政府側である警察への就職も会津が協力したの?
…漫画だったら会津側から新政府へのスパイを頼まれて…とかなりそう。 >>825
ごめん就職については正直詳しくは知らないんだけど
斎藤一が警察に奉職した西南戦争の時代には
旧会津藩士も何人か軍隊や警察で偉くなっていたこと
いきなり下級ながら幹部になってること
士族は大抵旧藩の世話で就学や就職する時代だったこと
などの理由から会津の人脈で職業を得たって可能性は高いかな
っと勝手に考えた >>826
ああ、そういうことか。就職の経緯については詳しく分かってないみたいだからね。
しかし殿様や家老の仲介で結婚なんてすごいよね。
斎藤って男は謎の多い人物だけど信頼出来る人だったんだな、と勝手に想像してしまう。 ガキかなんかに、戸口から出る際は
「足から」
と言った言わない話は斉藤さんだっけか?
砲煙天に渦巻きて
ああ鶴ヶ城落ちたるか
心は千々に逸れども
折れたる剣をいかにせん
死をもて守るこの砦
ああ破れたる哀しさよ
主君に殉ず他無しと
覚悟を定む十六士
飯盛山の頂を
ああ血に染めて散りたれど
忠烈永く香を止めて
誉れを残す白虎隊
高幡不動尊の境内でまんじゅうを売る創価学会員。
東京都日野市市議会議員であり、高幡饅頭「松盛堂」オーナーである
峯岸弘行のプログです
http://www.komei.or.jp/km/hino-minegishi-hiroyuki/2012/05/
恩師のことば
2012年 5月 10日
人は困難に負けるのではない。
闘魂を失うことによって自らに敗れるのだ。
これ、小説「新・人間革命」の一節です。
池田大作、いやゴーストライターがこいつの恩師なんですね。 また馬鹿な新撰組ヲタが
【横浜】土方歳三に憧れて・・・駅のホームで水色法被姿で模造刀を振り回した元JR職員を逮捕
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1337081268/
斎藤一について卒論書こうと思って色々調べてるんだけどやっぱり御陵衛士へスパイにいったってエピソードすら信憑性が無いの?
それとお勧めの資料があったら教えて欲しい…斎藤一についての資料はどの本が一番いいのかわからなくて… 新撰組に攘夷の志があったなら、薩長と同志になるはずだが。。
やったことは長州系攘夷派浪士の弾圧。
そもそも会津の傘下に入った時点で間違っとる。志と行動が始めから矛盾しておるからな。
つまり近藤・土方らには功名の野心があるだけで、政治思想などハナからなかったという事になる。
山南さんの末路を見ればわかるだろう。 治安維持を目的とした特殊部隊に政治思想なんて要らないだろw >>832
もしスパイじゃなかったら生きていないと思うが?
>>832
新撰組で卒論書けるのかが疑問
史料が乏しいから無理だよ。教授に散々に叩かれて終わりw 自分も836に同意。
斎藤は新選組の中でも特に難しいと思うな。
まず資料自体がほぼ無いし、不確定事項が多すぎて諸説の域を出ない。
結論の持って行き方も相当難しいと思うよ。 >>832
自分の担当教授曰く新撰組や戦国武将で書きたいってヒトには好きな気持ちだけ先走り
>>838が指摘しているように結論にもっていけずに諦めてしまうヒトが多いんだそうだ
だから最後まで書いて単位をとって欲しい教授はお薦めしない
ようするに研究素材としての新撰組が特に扱いづらいといのではなくて
余計な仕事や気苦労を増やしたくない大学側の事情で新撰組のテーマは嫌煙されている
そもそもはっきりと分からないとこや史料が少ないとこから調べるのが学問なわけだし
他人の意見は気にせず大学生活にしかできないことなんだし好きに書いたらいいと思う
自分も卒論書いて思ったが結局は書き手の着眼点と根気強さの問題だな
斎藤一といっても具体的にどういうテーマなのか分からないからあれだけど
宮地正人さんや平化新さん三野行徳さん辺りの論文は基礎として読んでいて損はないかも
あと作家さんだけど相川司さんの『新選組隊士録』という本が役立つかも知れないよ 新撰組関連って重要な資料がほとんど明治政府に焼かれてるから
実際の姿が大筋しか分からないんだよな
だから作家が想像働かせてフィクション書きまくりでこんなに人気出たんだろうが
近藤はともかく、土方の権限や思想もよく分かってないと知った時はビックリしたwww
同時に司馬を始めとする作家の想像力のたくましさには恐れ入ったよ
斎藤一がほとんど過去を残さなかったのって、やっぱり賊軍にいたのを公にすると色々不都合があるからだったんだろうか?
永倉、よく板橋に近藤の碑なんて建てられたな…
単に深く考えてなかったのかもしれないが、あんだけあの時世で記録残してのは凄い 会津落城のどさくさ、会津藩家老らが記録や書類を殆んど焼却処分したので
会津側の史料はあまり残ってないって、磯田道史が言ってたけど
その時燃やした中に新撰組関連の史料も含まれていたかも >>841
明治7年8月18日付の太政官達第108号で「賊軍」戦死者の祭祀が許可されたこと
そして新撰組と親しかった陸軍軍医総監松本順はじめ政府高官の後援を得られたことで
どうにか永倉新八は板橋の碑を建立できたそうだ
永倉以外の旧新撰組関係者もこの前後から名誉回復に奔走しはじめていて
斎藤一なども自ら筆を執らなくても永倉や島田魁に情報提供するかたちで
間接的に自らと新撰組の軌跡を伝えたようだよ
明治政府の記録に新撰組屯所および残されていた物品を押収したってある
記録が失われたとすればこのときなんだろうなぁ・・・
まだまだ発見&翻訳されてない史料はあるから今後に期待というところか 意外と新撰組に関しては史実発見されない方が夢があっていいんじゃないかと最近思うようになった
もちろん知りたいことはいっぱいあるが…
板橋は今でこそ周り建物だらけだけど
当時は草ボーボーの何もないとこだったんだよね
そんな中にポツリと建つ碑を想像すると泣ける
しかし、わざわざ近藤と土方の名前を正面に並べて書いてあるってことは永倉から見ても仲良かったんだろうな いろいろ創作があるからこそ、実像を知りたいな
近藤の書簡集とか出してくれないものか・・・ 新撰組は2ちゃんじゃ俗っぽい勧善懲悪みたいなハナシや陰謀論のネタにされてばっかだけど
それでも最近ではリアルの世界じゃ十分アカデミックな議論が可能になってきているわけだし
新撰組関係史料の再整理や発掘作業が進んで真の意味での『新撰組史料集』を刊行して欲しいな 勝海舟研究で知られる松浦玲先生の「新選組」
東大史料編纂所の宮地正人先生の「歴史のなかの新選組」
の2冊を読んでみた。
定番の創作で飾られていない新選組の実情が感じ取れる読み応えのある内容だった。
でも愛好家の創作が引用されてさらなる創作を生み出して、
いわば誇張が定説化してしまっている現在では
こういった学術面からのアプローチの書籍は物足りないと信者に批判されてしまうんだろうな。 坂本龍馬好き的に見廻組は日本の将来に
大いにマイナスになることした酷い集団でしかないなあ
でも人気者殺した割にあまり悪く描かれる事ねえのが不思議
明智光秀なんて一時期は酷いもんだったのになあ 仏敵のはずの高幡不動尊の境内で饅頭を売る高幡まんじゅうのオーナーは
池田大作のことばを自分のプログで紹介する創価・公明党の日野市議!
http://www.komei.or.jp/km/hino-minegishi-hiroyuki/
東京都日野市の市議会議員 みねぎし弘行 「ことばの道しるべ」
新しい仕事は自分の枠を破ることから始まる 2011.4.9
青春の失敗とは、失敗を恐れて挑戦しないこと。2011.2.23
人間として、確かな目的をもって、生き抜く人こそ、偉大であり、幸福です 2011.2.16
挑戦なくところに青春はない。あくなき挑戦の気概にこそ、青春は脈動する 2011.2.5
みんな「恩師」の言葉だそうだが、検索してみれば一発でわかる。
全部 池田大作先生のお言葉だ。政教一致の違憲政治結社、
公明党の市議が高幡まんじゅう「松盛堂」の オーナーなのだ。
http://www.syoseido.co.jp/ >>834
京都政治から長州が失脚して一会桑になってからは、慶喜も腹の中はいざ知らず公的には攘夷を主張してるべ
つか孝明帝を奉じるならそうなるしかない罠
もちろん功名の野心は否定しないがw
>>843
その押収資料を元に残党を追及するとかそんなことも無かったようだし、多分うっちゃって置かれたんだろうなぁ
どっかからひょいと出てきたりしないかな 新撰組って今でいうAKBだよな
近藤勇 大島優子
沖田総司 前田敦子
土方歳三 高橋みなみ
ってとこかな 谷田川惣 ?@yatagawaosamu
http://twitter.com/yatagawaosamu
歴史分野で私の師匠にあたる八幡和郎先生の新刊がまたまた出ました。『本当は謎がない「幕末維新史」』760円+税。
案外知られていない歴史の真実がたくさん記されています。新撰組は会津藩が雇った用心棒、会津藩士は会津人ではなく信州人で地元民から嫌われていた、
龍馬はバリバリの倒幕派、等々。
坂本龍馬を勝手に穏健派にするから暗殺に謎が出てくる。龍馬は最後まで尊皇攘夷派で倒幕派。池田屋事件は無茶苦茶で京都人は新撰組が嫌い。
土佐の郷士が悲惨な差別を受けていたのはウソ。等々。 元新撰組の中島登が戦友を描いた絵を見て「まるで歌舞伎役者の錦絵じゃん」と思った。
要するに自分たちをヒーローに見立てて描いているわけで。 竜馬が討幕派なんて当たり前の話だよ。
大政奉還を徳川延命のための運動と捉えるから竜馬観を見誤る。
大政奉還は王政復古と新政府樹立を宣言するための重要な布石であった。
竜馬は殺されなかったら海援隊を解散して土佐閥の重鎮になっていたであろうし、
後世でこれほど取り沙汰されることもなかった。 >>854
中島登は赤穂浪士の錦絵である「誠忠義士伝」を参考に「戦友絵姿」を書いたとは言われてるね
新撰組を中心に戦死した戦友たち(誤解されがちだけど「絵姿」は新撰組だけを描いたものではない)の雄姿を
君主に忠節を尽くした武士の鑑と評される赤穂義士を重ね合わせて描くことが
彼なりの死んだ戦友の弔い方であって国家からの賊軍という評価に対する精一杯の抵抗の意思表示だったのかも
文章や石碑ではなく絵に生きた証を残すっていう方法はけっこう珍しくて貴重な史料だね
中島は無骨な剣客というか、周囲よりも近代的というか、新しいもの好きの洒落たセンスの人だったようだ
維新後も開墾事業、質屋、葉蘭栽培、鉄砲販売など色んなことに挑戦して、それなりに成功したり 白虎隊二十士をそれぞれ、昆虫に例えるとどんな虫になりますか?
また、蝶系は誰で、甲虫系は誰で、トンボ系は誰で、バッタ・キリギリス・コオロギ系は誰で、
蜂・蟻系は誰で、セミ・カメムシ・アメンボ系、蝿・蚊系はそれぞれどの隊士に当てはまりますか?
答えてください。 >>857
蝶系は伊藤俊彦(アオスジアゲハ)、間瀬源七郎(オオムラサキ)、簗瀬武治(モンキチョウ)かな。色白の美少年だからね。
甲虫系なら篠田儀三郎はホタル(幼少時代のエピソードの印象が強くて)。
あと津川喜代美も。優しげで儚げなイメージがあるから。カミキリムシなら野村駒四郎。熱血漢だから。
伊東悌次郎と井深茂太郎はミツバチ。可愛いから。飯沼貞吉はコオロギかな。安達藤三郎は
クツワムシ。大柄だから。有賀織之助はカナブン。津田捨蔵はウマオイ。永瀬雄次はキリギリス緑だから。
林八十治は鈴虫。黒っぽいから。後は皆トンボ系。 >>398
>>400
>>402
近藤勇=クワガタ…強そう、エラが張ってるから
土方歳三=カラスアゲハ…黒を基調としていて尚且つ綺麗
沖田総司=シオヤトンボ…細身だから
まあ、こんなもんでしょう アホがおる
新撰組を雇ったばかりに、会津は辛酸なめ子という話だったのに 白虎隊が対峙した薩摩軍の指揮官は18歳って本当ですか? 白虎隊の自決方法が
顔を汚さない割腹という武士の作法ではなく
喉を突く女の作法だったのはなぜでしょうか? 飯沼貞吉は年齢を詐称して、白虎隊に入隊した嘘吐きです。
酒井峰治の手記が正しい。
介錯人が居なければ、切腹で数時間は生き地獄を味わいます。 >>872
一部では集団自決ではなく、仲間割れ説も耳にします。
背中の傷というのは薩軍との戦闘中に負ったものではなく
仲間割れの際に負ったといいますが。
どちらだと思いますか? 逃げる白虎隊士の背中に薩摩の示現流剣士の一撃が掠っただけでも示現流剣士は調子に乗り、
白虎隊士に更に斬撃を浴びせるでしょう。
白虎隊士は戦死するので、飯盛山に辿り着けません。
酒井峰治は飯盛山に辿り着いて居ません。
白虎隊は飯盛山で解隊状態に陥り、集団自決ではなくて、
多くても三名のグループで脱落して自決したのでしょう。
背中の刀傷は年長者の気が変わり、年下の白虎隊士に「薩摩の隊長と刺し違えに一緒に行くべ」と強要して、
飯盛山から薩摩の隊長と刺し違えに向かう年長者の白虎隊士を背後から斬り付けた死にたくない気の弱い年下の白虎隊士
深手を負って激怒した年長者の白虎隊士が裏切った年下の白虎隊士に斬り付けた。
上記の事が起きて居たのならば、仲間割れも有ったのでしょう。 >>874
やっぱり味方にやられた傷っぽいのですね。ありがとうございました。 白兵戦なんてほとんど起きてねーんだけど。小説脳が。 薩摩の中村半次郎と沖田総司の対決見たかったな
殺し合いの途中でやはり沖田が吐血したため、半次郎がこれでは意味がないと延期にしたとか
その後、半次郎は明治になってからも幕末の決着をつけようと、密かに沖田の所在を配下に探させたそうだが、
ついに西郷の下野までに見つからず、心残りながら鹿児島に帰ったそうだ
さらにその後、西南戦争では上京して決着をつけるのを楽しみにしていたのだが、最期を城山で迎えたため、
ついに沖田が生きていると思い込んだまま、この世に未練を残して死んで行ったそうだ 877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/08(金) 09:11:24.32 ID:D55v0ZJi0
白兵戦なんてほとんど起きてねーんだけど。小説脳が。
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%88%90%E7%94%B0%E6%89%8D%E6%AC%A1%E9%83%8E&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=
http://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/15345414.html
http://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/15348786.html
http://aizu.sub.jp/honmon_1/45.html
田中土佐は兵を指揮し、近所の藩士宅から畳を運ばせてこれを門前に積み胸壁に
しようとしたが、僅か数畳を横に並べたところへ早くも敵弾が飛来してこれを貫き
防禦の役にはたたなかった。この郭門に進攻してきた西軍は、中村半次郎(桐野利
秋)・小笠原謙吉の率いる薩摩・土佐の精兵で、郭門に向かって突進してきた。こ
れに対し会津兵は、蜷川友次郎・田原助左衛門らがまず門を開いて躍り出し、田中
土佐・黒河内式部の指揮で幼少組隊長佐瀬清五郎・砲兵隊長井深数馬・遊撃組頭馬
場清兵衛が各々手兵を率いて突っ込んでいったが、この場における会津兵は銃を持
つ者は極めて稀で、武器は刀槍だけであったから、忽ち敵の狙撃に遭って死傷する
者続出。井上丘隅・山内遊翁・牧原一郎・原新五右衛門・春日郡蔵・高橋伴之助・
三宅弥七・多賀谷勝左衛門・丸山弥次右衛門・柳田自休・宇南山良蔵らは味方の屍
を踏み越え踏み越え、刀槍をかざして奮戦するが、敵兵は益々加わって凄惨・悲壮
の死闘が展開された。
http://aizu.sub.jp/honmon_1/46.html
http://aizu.sub.jp/honmon_2/064.html
同じ頃、西出丸の讃岐門にも敵が押し寄
せ、今にも破られそうになったというので、松平容保は喜智に命じ戦況を見にやら
せた。喜智は婦人十人ばかりを引き連れ、薙刀を小脇にかかえて駈け付けてみると
味方は苦戦している。婦人達は左翼めがけて斬り込み、これを見事に撃退したとい
う。
■籠城中、喜智は山川大蔵の母唐衣(からころも)と共に城内の女子の総取締りに
任じ、死者の埋葬、傷者の介抱、食糧の炊出し、弾丸の製造などに従事した。しか
るに戦況が振るわず、遂に喜智は操銃法を知る婦人数名を集め、一夜潜行して城を
出、二ノ丁の敵兵を襲撃、敵兵の狼狽して逃走したのちの遺棄品を獲得して凱旋し
た。ところがこれが城内に知れ問題となった。というのは出撃の志は嘉すべきも、
もし、屍体を敵に見せるような事にでもなれば、城中に兵尽きて婦女子をもって代
わらしめたかと思われ、却って敵の侮を招くことになりかねないと言うのである。
かくて婦女子の出撃は以後固く禁じられた。 >>880
刀槍で銃隊に立ち向かって37564。
新政府軍が刀をふるったのは突撃や追撃の際、それも一部。
第一刀槍戦はしないように通達されており、後半戦になると刀が邪魔で背に背負っている。 >>881
示現流が初太刀のみというのも作り話だけどな。 当時の侍であれば島津家の示現流は知っていても、多摩の百姓由来の天然理心流って何?ってバカにしてたと思う 講武実用流 江戸幕臣(東京都)
中西派一刀流 江戸の浪人(東京都)
天真一刀流 江戸高崎藩士(東京都)
天真白井流 江戸岡山藩士(東京都)
一刀流高柳派 江戸幕臣(東京都)
北辰一刀流 陸奥の富農(宮城県) →明治大正最強流派(下江=栃木、門奈=茨城)
浅利派一刀流 下総松戸の町人(東京都)
一刀正伝無刀流 江戸幕臣(東京都)
直心影流男谷派 江戸幕臣(東京都) →剣聖(男谷=東京)、三剣士(島田=大分)
直心影流長沼派 江戸沼田藩士(東京都)
神道無念流・戸賀崎流 武蔵埼玉郡の富農(埼玉県)
神道無念流・岡田派 武蔵埼玉郡の富農(埼玉県)
神道無念流・斎藤派 越中仏生寺の百姓(富山県)
鈴木派無念流 江戸尾張藩士(東京都)
扶桑念流 武蔵熊谷の町人(埼玉県)
不二心流 肥前島原藩士(長崎県)
鏡心明智流 駿河沼津藩士(静岡県)
心形刀流 江戸幕臣(東京都)
馬庭念流 上野馬庭の富農(群馬県)
本間念流 上野赤堀の富農(群馬県)
神道一心流 上野利根郡の富農(群馬県)
柳剛流 武蔵葛飾郡の富農(埼玉県)
天然理心流 武蔵多摩郡の富農(東京都)
甲源一刀流 武蔵秩父郡の富農(埼玉県) →三剣士(比留間=埼玉)
法神流 上野勢多郡の富農(群馬県) →昭和最強流派(持田=群馬)
気楽流 上野緑野郡の富農(群馬県)
立身流 下総佐倉藩士(千葉県)
大石神影流 筑後柳川藩士(福岡県) →三剣士(大石=福岡)
加藤田神蔭流 筑後久留米藩士(福岡県)
示現流 薩摩藩士(鹿児島県)
薬丸示現流 薩摩藩士(鹿児島県) >第一刀槍戦はしないように通達されており、後半戦になると刀が邪魔で背に背負っている。
具体的にはいつ、どういう通達があったの? >>886
www7a.biglobe.ne.jp/~soutokufu/boshinwar/military/military2.htm >>91
新選組がロマン(笑)
ネトウヨもロマンですな(笑) ☆☆☆☆☆
☆ 自民党、グッジョブですわ。 ☆
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html
☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が
3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。
私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆ 先週末に長崎に行ったのは、長崎歴史文化博物館で開催された
シンポジュウムに出席するためだった。元はといえば、私が所属
していた「戊辰戦争研究会」が企画したものだった。
『龍馬の望まなかった戊辰戦争』というテーマで作家の星 亮一氏
が講演をするはずだった。しかし、戊辰戦争研究会が解散してしま
った。(実は主宰者の星亮一氏が偽装解散して、路線の違う役員
を閉め出してしまった。その後、同じ名称で新たに?再出発してい
るのだが、会費の大半を着服するという詐欺まがいの問題を起こしている)
http://qlove-1947.at.webry.info/201010/article_17.
星亮一は会津や新撰組を美化して
薩摩、長州を絶対悪に仕立てあげてる
会津プロパガンダ制作者の中心です。 野口武彦 のぐち-たけひこ
1937−昭和後期-平成時代の国文学者,文芸評論家。
昭和12年6月28日生まれ。早大在学中,学生運動のリーダーとして六○年安保闘争に参加。
星亮一の捏造を評価してるドサヨクwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています