月刊WiLL:2018年3月号
明治百五十年
■中西輝政
試練に立つ日本
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特にイギリス・アメリカに代表される、アングロサクソン勢力が日本をどう見ているのか。そして反対に、我々は彼らをどこまで理解して
いるのか――。
 この150年、日本はそういうことが問われていたのに、その点では今もって落第したままです。今日のように中国とアメリカがせめぎ合う
時代には、はなから中国を信頼できない日本人にとって、もう一方のアングロサクソンのアメリカについては、より深いところで理解する
ことが一層重要なのです。
 彼らは「その時」にどう振る舞うのか――同盟や約束についてどう考えているのか。
 これについてもう一度、根底から考えてみることは、日本人が米欧の文化に触れ始めた明治開国から150年たった今が、ちょうどいい
機会ではないでしょうか。その時に参考になるのが、当時の香港総督(イギリス植民地の最高責任者)の通訳官を務めたカール・
ギュッツラフ(1803〜51年)の日本観です(加藤祐三・川北稔著『アジアと欧米世界』/中央公論社から引用)。
 ギュッツラフはイギリスのアジアにおける覇権拡大の最前線に立った人物で、アヘン戦争後、中国以外の他のアジアの国々をどう開国
させるべきかを説いています。そこでは当時の日本の実情を正確に分析したうえで「日本が一番開国させやすいだろう」と結論づけている。
さらに日本の情報分析能力の高さや国民性の誠実さ、科学技術への関心の高さを称賛している。
    (中略)
 結局、このときイギリスは日本に開国を迫らず、代わってアメリカのペリーが来たのですが、これも英米間での取引と計算があっての
ことです。これは、ジェームズ・スターリングという、当時のイギリス東洋艦隊の司令官が述べていますが、
「日本は商業的に重要な国になるが、それ以上に政治的にも重要なパートナーになりそうだ。すでにアヘン戦争のニュースを聞いている
日本人を無理に開国させるとイギリスの敵になり、商業的、政治的な利益を失いかねない。だからアメリカ人にやらせよう。覇権国の
イギリスより、新興国のアメリカの方が日本も警戒心を持たないだろう」
 と。これが「日本開国の原理」だったのです。「明治150年」を言祝ぐだけでなく、こういう真の歴史を今日の日本人はもっと学ぶべきです。
 ペリーの日本に対する印象も重要なカギです。日本の高度に進んだ都市文明や技術の高さ、好奇心や知識について非常に高い評価を
下しているからです。

 日本人が危ういのは、こうやって高く評価してくれる国は、日本に好意的だろうと手放しで思ってしまうこと。これが日本人の世界認識の
もっとも危ういところです。
 他国のことを「高く評価する」ということは、好意よりも即、警戒心が強くなることを意味します。
 とくに覇権を握っている国は、きわめて敏感に、自分の地位を脅かす、危険な潜在的ライバルはどの国か、目を皿のようにして世界を
見ているのです。こうした徹底的な自己中心主義と性悪論が、一神教や近代の西洋思想の根幹にはある。

 1865年〜66年は長州征伐が挫折し、幕府に未来がないことがわかった年です。
 でも薩長は反目し、国内は混沌としている。そこにきて、翌67年の3〜5月にパークスがサトウを使い、横浜居留地で発行されていた
『ジャパン・タイムズ』という英字新聞に「英国策論」という記事を掲載した。この記事には「討幕のために薩長は手を結ぶべきだ」という
明治維新の基本イデオロギーと、その後の現実となったシナリオが説かれていた。
(続く)