初代陸軍少将・桐野利秋
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桐野利秋は典型的なボッケモン。
いくら鹿児島出身とはいえ、榎木孝明みたいな線の細いインテリ、
しかも50過ぎのオッサンじゃ無理がありすぎる。
馬鹿プロデューサーさんよ、他にいなかったのかよ 僕の先祖は草牟田の弾薬庫見張り番で討死しました
ちょうどうどんを食べていた時らしいです Q : 西南戦争は西郷さんと鹿児島士族にとって、
日本のために自ら滅び、武士の世に幕を引くのが目的だったいうのは本当なの?
A :
敗色が決定的になると西郷は桐野と口をきかなくなり、
桐野のほうでも西郷を避けるような気配を示すようになったといわれる。
むろん、西郷の性格として桐野を責めたりなじったりすることはなかった。
この男に乗せられ、賊として最期を迎えるはめになった自分に対する嫌悪が、
西郷の桐野に対する感情を重くしたのではないかと思える。
敬天愛人が信条の西郷信者のみなさん、
みなさんが大好きな「実行力」が生かせる時が来ましたよ!
今すぐ原発作業員に志願して、この国難を救ってください!
日本の隅っこで、議を言ってる場合じゃありませんよ! >>15
具体的な指示もせずに突っ込ませるだけの指揮官いなかったっけ
死に場所得たりなのも多少いたんじゃないかね そう云えば陸軍中将山田顕義が部下の山川浩、児島源太郎共々
西南の役以降姿が見えないと思っていたら
昨日の新聞の一面で、福島の原子炉に高々と
ホースで水をかけていたのには驚いたわい^。 「人斬り半次郎」という異名を持つ桐野利秋(1838-1877)は明治10年、西南戦争で西郷に殉じて戦死するが、
幕末のころは中村半次郎として、ひそかに長州藩の内情を探るなど奔走していた。在京時代、煙草屋の娘村田さとという恋人がいた。
さとは明治になって桐野を鹿児島に尋ねたが、妻帯者であることを初めて知り、むなしく京都に帰ったという。さとはその後、
新島襄と八重夫妻に出会い洗礼を受けてクリスチャンになった。さとは生涯独身を通した。さとの墓には「大正10年8月11日就眠、享年81」とある。
その4年後、「ももちゃん」こと市川百々之助主演の無声映画「桐野利秋」が大ヒット、
紅顔可憐の美少年の利秋がミーちゃんハーちゃんの心をとらえたことを村田さとは知らない。
http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-a941.html もともと桐野グループみたいな派閥を率いていたみたいだぞ
それが西郷さんに人望買いされ、とりこまれた形
人斬り半次郎と言われているが、wikiによると偶発的に一人斬ったことがあるだけで、
基本的にインテリ枠だった >>27
格上っていうか村田は大久保の後継者だからな
西南戦争で死んだから実現しなかっただけで >>33
村田は松方よりも上だったから、西南戦争が無かったら
最初の総理大臣になった人物。 村田なんて何の功績も無いじゃんw
村田推してる奴は親戚かなんかか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています