廃仏毀釈について語りましょうよ2
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廃仏毀釈が遂行された時、鹿児島は県内の寺をすぐに全廃した。
数年間、県内に一つの寺も無くなったし、僧侶も一人もいなかった。
元々、鹿児島人は仏教にまるで興味なかった事が原因だ。
ダサツマンは至上最低最悪のカルト日本神道の狂信者の塊だ。
鹿児島人は今でも、カルトばっかりやってて仏教を疎かにしている。
鹿児島人以外の日本人への挑戦と思っていい。仏罰よ鹿児島に下れ。
鹿児島の神社及び神代三大陵が天災で全滅しますように。
と言う譯で廃仏毀釈の甚大なる歴史的物理的被害を語りましょう。
その背景となったのは薩摩藩である事は言うまでもありませんが。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1097339766/ >>162
歴史の破壊者、共産党残党乙。
それとも原田氏の本でも読んで感化されてしまった人でしょうか?
もともと神道の素朴な信仰を犯したのは仏教の方でしょうな。
時代の必然だったのかもしれませんが。
しかし、明治維新の起こる前より江戸時代から各地で神仏分離の
流れは起きていたのです。それは仏教が歴史的役割を終えたからでしょう。
それも歴史の必然です。
南朝天皇がどうのなどのオカルト話は相手にしないのであしからず。
>廃仏希釈の逆をやる時がきたな
>全て焼き払え、寄生虫神社を
書き込み内容に気を付けた方がいいですよ?
犯罪予告ですか? >>163
廃仏希釈の逆をやる時がきた
と言っている
神道の素朴な信仰とは何だ?
物部氏や秦氏らが持ち込んだ神道より前に
土着の信仰があったとすれば、神道とは別の名前で言うべjきだ
とは言っても誰も伝承していないから消滅しているけどもな
今の神道は明治天皇が言う通り、ユダヤ教だ
騙せ、奪え、殺せ!のタルムードを日本は明治からやってきた
人を人とも思わない強烈な選民思想の朝鮮神道のどこが素朴な信仰なんだ低脳
神道の祭で神輿に乗って「わっしょい!」と言っているのは
ヘブライ語でどういう意味だ?
敵を倒せ=日本人を殺せの意味じゃないのか
そんな寄生虫と共存できるか 神道の素朴な信仰とか幻想や妄想を言うより
国家神道だった明治から昭和の終戦まで
日本が何をしてきたかを見れば神道の実態は明々白々
神道は日本人の敵、世界人類の敵
但し、日本の支配層の朝鮮人は酒池肉林でとても美味しい 満州事変、昭和の殺人テロ、
軍部独裁国家への道を開いた
2・26クーデター、
皆、某仏教宗派の人物が黒幕ですが、 みんな馬鹿だな〜(笑)
宗教に優劣なんてないって!
神(宗教)が人間を作ったんじゃなくて、人間が神(宗教)を作ったんだよ(笑) >>167
それって近代西洋文明の決め台詞だが、
その近代分明が行き詰ってる現状についてはどう思われますか? 神道なんて幻想に過ぎなかった
明治天皇は神道はユダヤ教だと言っている
昭和天皇は単なる儀式だと言っている
なんせ日本に神社を広めた秦氏というのは
中央アジアでブイブイ言っていた騎馬民族であり
つまり人間を襲っていた狂暴なサイコパスなんだ
日本会議の面々を見れば納得だな
正義も道徳も人情も知性も持ち合わせていない外来種
そろそろ廃仏希釈の逆をやるときが来た 仏像を敬うとか、仏教にまじめに取り組んでいない
人ほど神仏習合を評価している傾向にある。
幕末に日本を訪れた外国人は僧侶や仏教がいかに腐敗し、民衆に
蔑まされていたか証言している。
「僧侶はいかなる尊敬も受けていない。彼らは愚かな怠け者で、
教義について何も知らない」
「教養ある日本人は、本当は仏教徒その僧侶を軽蔑している」
(ベルク「オレインブルク日本遠征記」)
「(日本人は)僧侶は詐欺師、寺は見栄があるから
行くだけのところ、などと語ってくれた」
(スエソン「江戸幕末滞在記」)
「およそ精気のない目つき、白痴のような顔つきをした彼ら
僧侶や神官には、ただ驚かされるばかりであった。とくに仏僧が
神官よりもひどかった」
(ヴェルナー「エルベ号館長幕末記」) 上記の第三者である外国人の客観的な意見から
廃仏毀釈の背景には特権階級的地位にあぐらをかいた
当時の日本仏教界の腐敗があったと思われます。
そもそも民衆の支持があったならばそこまで打ちこわしなどが
まかりとおるとは思わない。民衆が加わったからこそ廃仏毀釈が
大きくなってしまったのだろう。 >>1
研究不足の独りよがりな見解ですね。
明治政府は廃仏毀釈を命じてはいません。穏やかな神仏分離を
進めようとしただけです。
「神仏分離を慎重にすべき令」
(太政官布告第二に六号、慶応四年4月10日)
「神仏分離は廃仏毀釈ではない旨の論達」
(御沙汰第第五〇四号、慶応四年6月22日)
「僧侶が妄りに復飾することを禁じた件」
(行政官布告七五二) 近頃の神社朝鮮人が酷すぎる
もう動物みたいな連中がやりたい放題になってきた
そろそろ廃仏希釈の逆をやる時がきたようだぞ 銅鐸の役割ってなんだったんだろな
兵庫県南あわじ市で2015年にみつかった弥生時代の青銅器
「松帆銅鐸(まつほどうたく)」の科学分析を実施した結果、
朝鮮半島産の鉛を含むなど弥生時代中期前半(紀元前4〜前3世紀)の
最古級の銅鐸と同じ特徴を持つことが分かった。市教委が27日発表した。
多数の銅鐸が土中に埋められたのが、紀元前にさかのぼって最古の事例と
なる可能性が強まった。(朝日新聞デジタル) いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
3O2 明治維新は英国が薩長に最新の銃器と戦費を与えて起こしたもの
それで出来上がった明治政府は完全に英国の傀儡
明治の天皇制は英国製
英国の目的は、日本をISIS化して中露と戦わせ疲弊させること
となれば日本の中の中国由来の仏教は取り除いた方がいいよな
中国と戦わせるんだから
そんで半島由来の神社神道を残したというわけだ
神社の招魂という考えは朝鮮独特のもの 全国各地の修験霊山でも種々の形で神仏分離が行なわれた。
けれども明治2年(1869)5月18日まで戊辰戦争が続いたこともあって、
神仏分離の実施は諸藩の霊山、社寺でそれぞれ異なっていた。
その際多くの霊山や社寺では、各藩県に伺い出て、その指示にもとづいたが、
それでも決裁がつかない時は、中央官庁に伺ってその指示に従って実施した。
近世以来、本山派を統轄した聖護院では、慶応4年1月8日に聖護院門跡が還俗して海軍総督となった。
もっともその後も園城寺別当と修験道管領は兼職した。
一方当山派を統率した三宝院門跡の易宮は明治4年(1871)に復飾して閑院宮載仁親王となっている。
こうした中にあって、東国に多くの霞を有した本山派の若王子殿役所では、
明治2年(1869)2月に奥羽両国并に常州本山修験中に対して、
神仏分離令で両部(神道と仏教)習合は相成らずとしているのは、
神は神式で祀り、仏には仏の作法で勤め、両者を混淆しないということである。
それ故修験者は従来通り有髪妻帯し、古例にのっとった奉幣式、
七社引導、院主の自葬祭を実施するように、との触を出している。 近頃の神社朝鮮人が酷すぎる
もう動物みたいな連中がやりたい放題になってきた
そろそろ廃仏希釈の逆をやる時がきたようだぞ | Hit!!
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ぱくっ|
/V\
/◎;;;,;,,,,ヽそんなエサで
_ ム::::(,,゚Д゚)::| 俺様が釣られると思ってんのか!!
ヽツ.(ノ:::::::::.:::::.:..|)
ヾソ:::::::::::::::::.:ノ
` ー U'"U' ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧
( (-( -( - ( -д( -д)
(つ(つ/つ// 二つ
ハァ─) .| /( ヽノ ノヽっ ─・・・
∪∪とノ(/ ̄ ∪
∧
(( (\_ ∧ ∧ ∧ ∧ Д)っ
⊂`ヽ( -д-) _)д-) ) ノノ
ヽ ⊂\ ⊂ ) _つ
スゥ──(/( /∪∪ヽ)ヽ) ノ ──
∪ ̄(/ ̄\)
(\ ∧ ∧ カッ
< `( ゚Д゚)
\ y⊂ )
/ \
∪ ̄ ̄ ̄\) なうまくさまんだ〜
前 臨~
在~ 八 兵~
二ヽ )ノ
烈~ ⌒(゚д゚)ノ 闘~
/. ( ヽ
陳~ 者~
皆~ お寺と神社を比べると神社には中身が何もない
仏教には教義なり経典があるが、神道には中身がない
だから多くの神社でチンチンや岩や適当なものを御神体にしている
チンチンが神とかバカでしかない
神社の連中は朝鮮ヤクザだ
祭になれば前身入れ墨の指定暴力団が神輿に乗って、ヤクザが露店を出す
朝鮮ヤクザといえば覚せい剤と闇金だが、そのルーツがまさに神社にある
神社の敷地内にサラ金の広告があったりする
神社は大麻販売所だった、そしてその収益で金貸しをしていた
神社の敷地に玉砂利が敷いてあるのは、そこでラリった男女が乱交するため
戦争をやれと煽るし、神もへったくれもない
神社本庁なんてマジで殴る蹴るの暴力支配(朝堂院談 江戸時代は八百万の神道と仏教は敵対してないよ。
まともな信仰は争いの種にはならない。
神仏習合こそがバランスのとれた思想。 神仏習合はおもに中世の思想だな。おもに仏教が日本に進出するために
利用した考え方だ。
江戸時代は庶民文化のが栄えた時代で神仏混淆といった方が実態に近い。 仏像という偶像崇拝、生老病死、地獄極楽への恐れ、修羅道、畜生道、餓鬼道、六道輪廻の恐怖
これらの仏教的弊害からせっかく解放されたというのに、またこれらの仏教的世界におびえる世界に戻して
しまうのでしょうか?
神仏習合しの復活を支持している人たちは仏教者かそうでなければ、本気に信仰を考えている人ではないと思います。
神仏習合復活は信仰の退化だと感じます。
神仏習合の復活を支持する人は本気の偶像崇拝者なのでしょうか? >>188
神仏混淆ってはじめて見る字だから検索してみたけど
神仏習合と同じ意味扱いだった。
詳しい人が細かく分類したら違うんだろうけど。
平安時代の陰陽師はちょっと気になる。
仏教と神道と両方取り込んで、天文道やって呪術もしていた。
手広すぎ。節操ないなー。 陰陽道の根幹は中国の陰陽五行説であり天文や呪術はその近縁。
陰陽道で祀る神様は泰山府君とか南極老人とか道教の神様である。
仏教や神道とははっきり言って関係ない。 泰山府君? 道教ってなんか超人出てきそう。
仙人がバトルする封神演義思い出したわ。
神仏習合って神仏とその他いろいろごった煮の闇鍋みたいだけど
現代人がトンデモ系のファンタジーマンガやラノベ読んだりして
楽しんでいるのと変わらないノリで信仰されていたのかも。 奈良時代の諸大寺の国分寺の官度僧が、従者の沙弥にかしずかれてただ学問だけ
しておればよかったにもかかわらず、
わざわざ不自由と危険をおかして原始修験道の山林修に身を投じたのはなぜだろうか。
やはりこれは仏教にはない日本固有の宗教が、彼らを駆り立てて山にのぼらせ、
苦行をさせたのである。これを中国からつたわった神仙術で説明する研究者もあるが、
修験道の神仙術はおそらく二次的なもので、
仏教はそのうえの三次的な付けたりということができよう」
(「山の宗教」五来重) 江戸時代まで神と仏は共存していたが仏の方が上だった
神道は仏教のわき役だった
たぶん天皇は神道の祭祀なんかしてなかったんじゃないかな
北朝は仏教ぽいよね
しかし明治政府を作った英国は、中露と戦争させるために中国由来の仏教を切った
そんなことまでするんだ
植民地支配のノウハウが凄いんだな
戦争させるには一神教がいいから下劣な朝鮮人天皇を神にした
ちょっと前まで乞食のようだった天皇が神になるなんてなんとバカバカしいのでしょうか
そして戦争するにあたって神道に足りない部分に朝鮮儒教を組み入れたという
英国&バチカンに好きなようにいじられているアジアの土人、情けない 大日本帝国憲法では信教の自由が保障され
それまでの各宗教に対する弾圧が解けた。
日本臣民 ハ 安寧秩序 ヲ 妨 ケ ズ 及 臣民 タ ル ノ 義務 二 背 カ サ ル 限 二 於 テ 信教ノ
自由ヲ有ス
(明治 二 十二 年 , 大 日本帝国憲法第二 十八 条) 廃仏毀釈って文化の破壊。
明治政府は日本人を愚民化して徴兵に従いやすくして
中央集権化した。
狙いが汚い。 英国が薩長のチンピラに最新の銃器をタダで渡して明治維新をやらせた
銃器配布係の坂本を消して、英国と薩長の接点を消したので
日本人は英国の存在に150年も気付いていない
日本が中露と戦争したのは、英国の世界覇権で中露が邪魔になるからだ
皇居の隣に異常に敷地の広い英国大使館がある
そこに英国の軍隊が駐留して明治政府を作り、天カスと伊藤を操縦した
ならば日本は英国の傀儡であり、廃仏毀釈は英国の指示だと分かるだろうに
日本人というか文系脳は視野が狭い狭い、女のようだ
思考力が無いから本に書いてある嘘を暗記することしかできない 修験道研究の権威・五来重は日本の山岳信仰においては仏教はその
表面にすぎず、本質ではないと喝破されている。
明治の修験禁止令が廃止となり、新宗教法が発布されて70年以上も
経つのにいまだに仏門の配下に甘んじて本来の山岳信仰の姿を見失っている
現代の修験道に対する厳しい警鐘とも言えよう。
奈良時代の諸大寺の国分寺の官度僧が、従者の沙弥にかしずかれてただ学問だけ
しておればよかったにもかかわらず、
わざわざ不自由と危険をおかして原始修験道の山林修に身を投じたのはなぜだろうか。
やはりこれは仏教にはない日本固有の宗教が、彼らを駆り立てて山にのぼらせ、
苦行をさせたのである。これを中国からつたわった神仙術で説明する研究者もあるが、
修験道の神仙術はおそらく二次的なもので、
仏教はそのうえの三次的な付けたりということができよう」
(「山の宗教」五来重) 奈良仏教はまだ金食い虫の新興宗教だった。
それが嫌になった派閥が京都へ遷都させたというのが通説。
7〜8割がた合っている。
実際、奈良の大仏は金箔を塗るために大量の水銀を気化させたというから
水銀中毒の水俣病患者、大発生した可能性大。
当時は奈良の風土病扱いされて、それで遷都せざるをえなくなったとか
なんかの本で読んだことがある。うろ覚えだけど。
また空海や最澄の世代の「ホンモノの仏教」を探究する僧らが権力者たちと
一線を隔して山で修行する形態を選ぶようになった。
そうやって日本人向けカスタマイズされていく仏教は八百万の神々と出会って
神々が仏教に帰依した姿の仏像が彫られていった。
うまいこと混ざったものだ。 忘れてはならない。
江戸時代、坊主は幕府の出先機関として横暴を極めた。
廃仏毀釈は特権地位に甘んじて横暴を極めた寺、僧侶に対する大衆の怒りだ。 と、神社朝鮮人は言うが
確かに一部で欲ボケ坊主はいたろう
しかし朝鮮神社と比べてどうなのか
朝鮮神社は大麻販売所であり、戦前には戦争を煽った連中だ
神もへったくれもないヤクザでしかない
対して寺は、寺子屋と言うように
日本土人に初めて教育をもたらしたものだ
その教育なくして明治の近代化は無いのだ
日本人の識字率を世界一にした功績だけとっても素晴らしい 仏教とは終わりなき苦しみの世界、地獄、餓鬼、畜生、修羅、
古代日本人の明るく素直な心を蝕んだ暗い屁理屈の宗教、
その暗闇、地獄行きの恐怖から日本人を解き放った偉業こそが
神仏分離、廃仏毀釈ですよ。
仏教文化の美術品を惜しむあまり大事な心の問題を見落としていませんか? そもそも宗教というものは支配者用のツールとして開発されたものであって
信者が期待しているものではない
信者とは愚かな存在だ
民衆は支配者と戦うべきところを、神と対話することで済ませてしまう
そして異教徒には攻撃的になる
支配者はとても楽だ
人間には生まれもった善悪の基準は無い
仏教が善悪の基準を定義してくれるなら一部の人間にはお勧めのものになり得る
しかし神道には、そういうのが無いな
チンチンを御神体にして拝むとかバカも休み休みにしろ
てゆうか朝鮮に帰れよと 男根崇拝レベルの原始宗教はどっかから伝播するようなもんじゃないと思うが 聖おにいさん
テルマエ・ロマエ
鬼灯の冷徹
ノラガミ
最遊記
魔法使いの嫁
夏目友人帳
蟲師
根底はまんが日本昔ばなし?
こういうジャンルを見て楽しめていれば神仏習合感覚は
分かっているということ。 神仏分離は江戸時代からはじまっているのであるが、
当時の人々は幕府の支配体制に組み込まれた仏教思想に洗脳され
生老病死、四苦八苦、地獄、極楽の仏教的迷信に脅えながら
生きていたということを忘れてはならない。
また幕府と幕藩仏教もこの恐怖を利用して民衆を支配していたのである。
この仏教的迷信から人々を解放した行為こそ神仏分離だったのである。 >>207
精神レベルに応じて見えてくるものがあるのだが、
この書き込みはあなたにはまだ善悪を説く旧来の宗教の段階に
しかいないということを吐露しているにすぎない 八百万の神々と仏教と儒学をいっしょくたにするレシピは絶妙に美味しい。
実際そういう信仰する習慣は日本人にはうまく溶け込んでいた。
だから廃仏毀釈のあと、バランスを欠いた人心はモラルハザードを起こした。
田中正造が政治家になって正攻法で足尾銅山の鉱毒問題をなんとかしようとしたら
四面楚歌で無理で単独直訴せざるをえなかったのも、南方熊楠が鎮守の森を守る
ために奔走するも、焼け石に水。
水俣病もイタイイタイ病も工業地帯の喘息などの公害問題は、原因分かっているのに
対処されない状態が愚かとしかいいようがないほど長く続いた。
現代も試用期間が過ぎて廃墟になったら100%死地になるという呪われた原発が
地水火風を穢し続けている。
ニホンオオカミ・ニホンカワウソなど、多くの動植物が乱獲されて絶滅したり
絶滅危惧種になったりと、廃仏毀釈の影響は人間社会の生活文化だけでなく生物界の
多様性まで損なった。
八百万の神々という概念が自然への畏敬の念となっていたなら西洋式スポーツ
ハンティングや商業乱獲によって種を絶滅させることなど許さなかった。
仏教が道徳の教科書になっていた江戸時代なら、大商人も大地主も現世功徳を施さねば
ならないという当時の「常識」の縛りによって、飢饉や災害時には備蓄米を開放して
炊き出しをしたり復興の指導をしたり、水害対策の堤防や防砂林を作ったり維持管理して
いたから、公害なんて起こらないように重々考えてお金儲けをしていた。
江戸時代の常識 >>>>>>> 明治維新後の常識
神仏への救いを求められなくなった大衆の意識が、レミングの集団自殺のごとき選択を
してしまうようなものへ劣化したのは廃仏毀釈のせいだ。 ネットの記事からも仏教的苦しみの世界を信じているとますます苦しみを
引き寄せてしまうという危険な現象が起きるということを証明する話が載っていました。
古事記、日本書紀を読めば上古の日本人はもっと牧歌的、楽天的に生きていたことがわかります。
神代からのほほんと生きてきた日本人にありがたそうな小難しい哲学的体系や異国伝来の強烈な呪術を
もった仏教がやってきて、思想をもたなかった日本人を地獄・極楽思想で脅し、現世は苦しみの世界で
あると洗脳してしまったんですね。
この仏教的洗脳は1480年も続いてしまったので、いまも日本人は現世は苦しみの世界であるという
ような価値観を潜在意識的にもっていると思われます。 >>212
それは資本主義による弊害で、近代化の過程ではどこの国でも
起きていることですね。廃仏毀釈と関連付けるのは無理があり
こじつけにすぎません。 現状の資本主義経済中心の社会では国連のサミットなんかで言われている
持続可能な社会など人類には不可能ということになっている。
廃仏毀釈される前の江戸時代では余裕で実現できていたのにな。
神仏への信仰を潰してからの近代化は善いものではなかった。 お前が率先して江戸時代の生活に戻れよ
とりあえずネット禁止な ワインとパンを神の子の血肉と誤認させる排他的一神教まじやばい。
新兵器入手の目的で布教を許した信長は日本一有名なサイコパス武将。
秀吉は怪しいと思ったのか禁教令を出している。
徳川幕府になってからも禁教令は続行。
九州はその思想の流入を防げずに島原の乱が勃発。
一歩間違えていたらスペインやポルトガルに攻め込まれていた。
その後は鎖国。一神教の流入を徹底的に禁じて200年以上戦が
起きない治世という世界史的に稀少な実績を残した。
異端審問 → 拷問 → 火炙り処刑 絶対回避不可能!
そんな闇々しい歴史が日本史に刻まれなくて済んだのは鎖国の効果。
孝明天皇が開国に嫌悪感全開だったのはそのことを認識していたからだろう。
天皇は代々、それはもう長いこと神仏両方の加護を得るための祀りごとに関わってきた。
外国から来る洗脳ツールとしての一神教への不信感もそうとうあったのでは?
だからなのか孝明天皇は暗殺が疑われる不審な死をとげた。
ゆえに「天皇暗殺の真犯人は○○論争」がいまだに絶えない。 そろそろ「薩長が〜」の幼稚な意見はもう卒業しましょう。
みんないい加減に飽きてきてますよ。
実際には長州は西本願寺派だし、徳川将軍家は山王一実神道に公然たる信者
だったわけだし、会津藩は吉川神道、尾張徳川家は代々の尊皇家系で神道も
重んじた。
廃仏毀釈の胎動は江戸時代にあったわけで、明治時代に突如前触れもなく
始まったものではない。 >>215
じつは日本における仏への信仰というのはかなりあやしいものです。
その証拠に江戸時代以前から日本の僧侶は妻帯者が多くいたし、
中世には僧兵など人を殺傷する武力ももっていた。
すべて仏教の戒律に違反することばかりですね。 一番アウトだと思う仏教は日蓮宗。信者が配っているチラシを見たら
○ホバとどっこいどっこいの迷文だった。
次にインパクトがあったのは道鏡。
称徳天皇とただならぬ関係になって天皇になろうとしたとして悪名を轟かす。
だが、実際やったことといえば
・鷹狩りは殺生だから禁止。
・寺にたくさん寄付せよ
・貴族は開墾禁止
・寺は開墾してもいい。
・百姓が開墾するのもいい
なんかショボい? 殺生を厭う坊さんだからこの程度か。
生臭坊主で有名どころなら禅宗の一休宗純。
NHKアニメで大人の一休さんという番組で見たら憎めない
キャラクターになってしまった。
堂々と妻帯した僧は浄土真宗の親鸞。
以降、浄土真宗は坊さんが結婚しても良い宗派になった。
師であった浄土宗の法然とは道を違えるも険悪になるほどではなく
暖簾分けして分家が独立したような関係。
戦闘する仏教徒なら浄土真宗本願寺派の信徒の一向一揆。
一揆は何度もあった。調べてみたら理由もいろいろだった。
もっとも世俗的な仏教のせいか清濁併せ持ちすぎている。
変わり種は鳥好き? 元禄に東叡山寛永寺の住職をやっていた公弁法親王。
「江戸の鶯は朝早くから鳴かない」といちゃもんをつけて京都から早鳴きの
鶯を3500羽連れてこさせて根岸の里(鶯谷駅付近)に放して江戸最大の
鶯の名所を作ってしまった。
江戸の生態系への影響、悪くはならなかったけど、深く考えては
いなかったんだろうな。 仏教伝来以降、仏教が半ば国共扱いされて神社に神宮寺やら別当寺やら
を建てられて、しまいには神社をのっとる勢いだったのを明治時代に
分離した。
それを逆手にとって左翼は「明治になって寺が壊されてむりやり神社に
させられた」と言ってるわけだ。
巧妙な歴史ねつ造ですね。 ものの例えとして。
神仏習合をお皿に乗ったカレーライスとするなら、明治政府がやった神仏分離令で
神道を保護ってのはすでに出来上がって美味しく食べられる完成品のカレーライスを
「調理前の米とじゃがいもとたまねぎと肉とカレールーに戻せ。そして調理前の生で
ガチガチの食材が元の純粋な状態だからそれを食しとけ」って言うのと同じ。
……無茶苦茶すぎるな。 廃仏毀釈がなかったら日本人は今でも仏教的苦しみの世界観と
地獄極楽の恐怖に怯えながら生きていただろう。
神仏分離、廃仏毀釈の恩恵を受けているのは現代日本人ですよ。 神仏習合で有名なのが七福神。
恵比寿 = ヒルコ = 日本(神道)イザナギとイザナミの第一子
大黒天 = シヴァ神 = インドのヒンドゥー教の神
毘沙門天 = クベーラ神 = インドのヒンドゥー教の神
弁財天 = サラスバァティ神 = インド(ヒンドゥー教)の神
布袋 = 中国に実在した禅僧・契此(かいし)がモデル
福禄寿 = 泰山府君 = 中国の道教の神
寿老人 = 南極星の化身 = 中国の道教の神
一柱は日本、三柱はインド、三柱は中国から。
はるばるシルクロード経由で渡ってきた神々だから国際色豊か。
カレーライスの例えはうまくハマっている。 福禄寿と泰山府君は違うでしょ。福禄寿の内の「寿」と寿老人は同体とはいうけど。 >>226
福禄寿と寿老人はキャラ被りしているから同体異名って説がある。
でも七福神の絵では福禄寿は長頭人で、寿老人とは外見が違いすぎる。
ということで、寺社関連の豆知識
http://www.geocities.jp/mitaka_makita/kaisetu/hukuroku.html
を参考にしてみた。
余談だけど恵比須の元になったヒルコは親神に捨てられたのを
人の信仰心が神に祀り上げた。
とても深いエピソードだと思う。 そのページでは泰山府君と結びつけてるね。初めて聞いたよ。泰山府君は五岳の一つ泰山の
神格化されたものであってそれと福禄寿が後から習合することがあったとしても元々は別の存在だったはずです。
https://www.kyosei-tairyu.jp/shichifukujinn/fukurokuju/89.html
ここに「もとは福人、禄人、寿人の三人の仙人が信仰されていたが、二人の仙人が合わさって福禄寿の神になった
と説明されることもある。」と書いてあります。この寿人が単独で信仰されるようになったのが寿老人と考えられます。
南極星が道教の開祖とされる老子と結びつけられて南極老人星と呼ばれるようになったので寿老人は杖をついた
老人の姿になってます。 福禄寿が長頭人ってところがなんかツボ。
長頭人といえば仙人。仙人といえば封神演義。
毛沢東がやらかす前の中国もまた多神教と仏教が混在していた。
封神演義はおそらく古代中国のリレーファンタジー。作者はおそらく一人ではない。
登場する神仙や妖怪。その中には後に日本に渡ってきて仏教に帰依して護法神に
変身する存在もいて、ルーツの神話がああなのになんでこうなった? と興味深い。
そういえばこれまで発見されてきた長頭人間の頭骨は横長型と縦長型とがあった。
仙骨を持つという仙人はどっちだったんだろう?
また、纏足のように矯正して長頭の形状にする地域文化があったことは史実だが、
中には先天的に長頭型の人類もいた。
ペルーで発見された長頭型の人骨は、DNAが現状の人類とは違っていて
ホモ・サピエンス以外の人類だったらしいとのこと。
ギリシャ・ケルト・北欧神話に登場する巨人や小人もホモ・サピエンス以外の
人類だったのかな? ……もう会えないのが残念。
長頭族はオカルト好きにはたまらないネタだが、骨は実在しているから
人類史・考古学の分野で掘り下げることもできる。
異形の民族は畏怖されて信仰されたのか、迫害されて絶滅させられたのか。
唯一の生き残った人類のホモ・サピエンスも黒人・白人・黄色人種など、姿形は
だいぶ違うし、言語・文化も違うから同一種族の認識はあまりない。
異文化交流の進捗は原理主義一神教の選民思想気質に邪魔されがち。
今にも滅ぼしあいそう。
多様性のもたらすカルチャーギャップは、在るがままを受けられれば良い未来への
選択肢が増やせるものなのにな。
廃仏毀釈されなかったら八百万の神々も現在進行形で増えたり進化し続けたろうに。
本当にもったいないことをした。 >>229
>封神演義はおそらく古代中国のリレーファンタジー。
元の「武王伐紂平話」をもとに明の時代に書かれたと考えられている。古代というほど古くはない。
もっとも中華は清までずっと古代という見方もあるけど。一般的には宋あたりから中世でしょう。
「三国志演義」も元の「三国志平話」をもとに明代に書かれたからそれと同様だ。 お寺は中国
神社は朝鮮
仏教を広めるのに百済を使ったり例外はあるが
こういう対立があることは知っておこう
神社の職員?がチマチョゴリのような単色の服装だ
あれは白丁がやっている
そして靖国で知られているが「招魂」は朝鮮独特のもの
そして神社のルーツは寄生虫ユダヤである 【仏教の方こそ、インチキ宗教である。】
@そもそも日本に伝わった仏教は、中国製の偽物。
本物の釈迦の教えとは全く別物。
日本に伝わる釈迦の説法も、中国人が勝手に捏造したまがい物。
A庶民に仏教が広まった理由は、江戸幕府が市民を監視するために強制した
檀家制度による。
江戸幕府は庶民に仏教を強制し、寺は私服を肥やしていた。
江戸幕府の政策によって、寺は莫大な資産を蓄え、膨大な土地も手に入れ
寺の住職は贅沢三昧。
その結果、維新後に庶民の反発が爆発し、寺に対する攻撃も一部でおきたに過ぎない。
日本人が葬式を仏教でやるようになった原因は、江戸幕府の強制によるもので
それ以前に日本にそのような風習は無い。
釈迦の説法に基づく本物の仏教と、
日本の偽物の中国製(笑)仏教は、まったくの別物である
B戦時中、戦争を煽っていたのは仏教。
戦時中、寺の住職は戦場で弾に当たって死ぬと極楽へ行けると説いて
国民に戦争を煽っていた。 【キリスト教は、インチキ宗教である。】
自由だの平等だの善人ぶってるが
その背後にいるっ連中は
世界中をグローバル化し、世界中で金もうけをしたい
金もうけしか考えて無い薄汚い連中ですw
キリスト教が伝染した国は、その国の伝統や文化が
崩壊します 信仰は生活習慣そのものだが
カルトは人間脳をバグらせるウイルスソフト。
混同している人が多いが、だいぶ違う。 仏像を敬う偶像崇拝とか、仏教にまじめに取り組んでいない
人ほど神仏習合を評価している傾向にある。
幕末に日本を訪れた外国人は僧侶や仏教がいかに腐敗し、民衆に
蔑まされていたか証言している。
「僧侶はいかなる尊敬も受けていない。彼らは愚かな怠け者で、
教義について何も知らない」
「教養ある日本人は、本当は仏教とその僧侶を軽蔑している」
(ベルク「オレインブルク日本遠征記」)
「(日本人は)僧侶は詐欺師、寺は見栄があるから
行くだけのところ、などと語ってくれた」
(スエソン「江戸幕末滞在記」)
「およそ精気のない目つき、白痴のような顔つきをした彼ら
僧侶や神官には、ただ驚かされるばかりであった。とくに仏僧が
神官よりもひどかった」
(ヴェルナー「エルベ号館長幕末記」) 第二次世界大戦後の日本仏教の赤っぷりと言行不一致(世界の仏教徒同胞を見殺し)
ぶりには激しく幻滅しますね しかし戦後の新興宗教でも少しは公然と
神仏習合説が正しいと主張するところがあってもよさそうなのにな。
神仏習合説を堂々と教義に取り入れてもよさそうなのにな。
実質的に神仏習合のごっちゃ混ぜ宗教になっているところはたくさんあるけど、
堂々と神学的に主張しているところはほとんどないよな。 >>236
ちゃんと読んでないね。
外国人目線で日本の文化をベタ褒めしている本ばかりじゃないか。 宗教に偽物とかインチキとか無いだろ
宗教はヒクソスがユダヤ人を奴隷にするために考案された
人々は支配者と戦うべきところを神と対話するようになってしまう
それを見た他地域の支配者が、これは便利だねと
各地域でカスタマイズされ広がっていった
カスタマイズされてしまう時点で真実など無い
信者は単なるバカということになるが
宗教が善悪を定義するので住みやすい社会になるという効果はある
しかしそれが支配者にも都合がよいというわけだ 神道には実体が無い
だからチンチンを御神体にしている神社が多い
実にバカバカしい
神社は古代イスラエルの幕屋を模したものだが
もし神社がプレハブでチンチンが祀ってあったらどう思う?
神社の建築物としての見た目が重要なだけだ
何もありゃしない
大麻販売所として全国に広がり
敷地に玉砂利が敷いてあるのは、そこで男女が乱交するためだ
大麻を売った収益で金貸しをしていたが
それが朝鮮ヤクザの覚せい剤とサラ金のルーツだ
神社本庁を見よ、実際に殴る・蹴るというヤクザだぞ
神輿に乗ってる全身イレズミのヤクザは有名な指定暴力団だ
神社の所有者である天皇のコンプライアンスを厳しく問えよ
天皇は朝鮮ヤクザの親分だろ
天皇を批判した者は、表では特高、裏ではヤクザに袋叩きになった 教えてください。
日本の仏教僧侶や仏教徒のみなさんはなぜ世界で仏教国のチベットが不当に
侵略されて,
同じ仏教徒が弾圧されているのを見て見ぬふりを
しているのでしょうか?
それが仏教の教えなのでしょうか? 教えてください。
日本の仏教僧侶や仏教徒のみなさんはなぜ世界で仏教国のチベットが不当に
侵略されて,
同じ仏教徒が弾圧されているのを見て見ぬふりを
しているのでしょうか?
それが仏教の教えなのでしょうか? 何もしないと批判するためだけにチベットの惨状を軽々しく語るとは
恥知らずだな。
>>243はここでネタにする以外にチベットのために何かしたか?
なぜ見て見ぬふりをしているのかの問いは、それが答えだ。
世襲ではなく転生者リレー方式で国家の代表が引き継がれるチベットの
国家形態は世界史的にも稀。独特な文化とともに失伝するのが惜しい完成度。
しかしダライ・ラマの後継者は失われた。
後継者になるはずのパンチェン・ラマの転生者とされる子どもが
中国に奪われたのはとりかえしのつかないことだった。
神仏分離令で、社会セーフティともいえる現世功徳のシステムを潰されて、
冠婚葬祭ビジネスで糊口をしのぐ日本仏教にできることがないのは当たり前。
日本仏教はもはや生きた文化ではなく保存記録として残っている遺跡状態。
廃仏毀釈のせいで。 >>244
幕府や時の権力に庇護されてさんざん専横を極めておきながら
いざ、庇護がなくなれば「セーフティネットがはずされた」とは
片腹痛い。
権力者の庇護がはずされた程度で立ち行かなくなり、宗教的実践が
できなくなるようでは、そもそも地域、民衆に根付いた宗教では
なかったということだ。
宗教的実践ができないことを何かのせいにして何もしない現状を肯定して
いるのはただの惰性。日本仏教はすでに宗教的パワーを失っているという事実が
あきらかにされてしまいましたね。 鎌倉期以降の宮中祭祀のうち重要視
される祭祀は天皇自身が行幸して儀礼を
整える 天皇親祭であり、
仁寿殿におかれた観音像(醍醐天皇の個人的
仏事として発足した)や 経典などは
他の場所に移し、僧侶たちの供物は
神饌に供してはならないなど、
完全に仏事を 分離・隔離した神事優先・仏事排除の純神道が行われていたのである。
また、民の負担を避けるために
夜の行幸が行われるなどの民への配慮が
見られる。
大化年代には蘇我石川麻呂が
「神祇を祭鎮し、然る後に応に政事を
議すべし」と孝徳天皇に奉答した
ことなど古代、中世に仏事を制限して
神事を実行している神事優先の歴史的
事実をはじめて指摘したのは
成蹊大学名誉教授だった小島氏であり、
従来の神仏習合論一辺倒の左翼歴史学会に
一石を投じた 明治政府は廃仏毀釈を命じてはいません。穏やかな神仏分離を
進めようとしただけです。
「神仏分離を慎重にすべき令」
(太政官布告第二に六号、慶応四年4月10日)
「神仏分離は廃仏毀釈ではない旨の論達」
(御沙汰第第五〇四号、慶応四年6月22日)
「僧侶が妄りに復飾することを禁じた件」
(行政官布告七五二) 被害者面した「たかり」、半島の人々の手口とそっくりですな 荒らしが貼るコピペの内容が粗悪。
こんなくだらない言いがかりが廃仏毀釈のモチベーションに
なっていたのか。
扇動された集団心理は思慮喪失状態で破壊的。
本当に廃仏毀釈は残酷なことだった。
目に見える寺社仏閣等の建築物、収蔵された文物の略奪と破壊だけ
でなく、鎮守の森を神域でなくすことで破壊。生態系バランスの崩れて
多くの動植物が絶滅。
地域信仰の喪失による人心の荒れ、それは人が信仰に馴染ませて
得てきた思慮分別を全否定して世紀末救世主伝説を始めるような
暴挙だった。
その後に愛国教育で上書きする狙いだった?
そんな排他的選民思想おしつけられたら、気持ち悪くて鳥肌立つ! 着る者も移動の自由も制限され、迷信と神仏の祟りに怯えて暮らさなければ
ならなかった人々を解放したのが廃仏毀釈だったんだな。
廃仏毀釈を否定したい連中は前時代的な低級オカルトマニアなんどろね。 自由って言葉の使いどころが薄っぺらい。
使い古されたテンプレすぎる。
扇動者臭いことこの上ない。 【日本人はサマリア人】 日ユ同祖論、もう証明完了って感じ、ようやく月刊ムーに科学が追いついてきた
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1543029282/l50
ムー編集長 UFO「存在する」「自衛隊は隠してる」「米国は正体を知ってる」「生きているうちに分かる」
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1543627498/l50
ブッシュも安倍も、世界教師マ¥トレーヤにはかすりもしない! 嘘に嘘を重ね誤魔化し続ける神社本庁の大醜態
−関係者は毅然として正常化に進路をとれ−
(月刊「レコンキスタ」平成30年11月号)
「今回の神社本庁の大醜態に対して、未だに態度を明確にしないどころか、
田中ニセ総長を支持している役員関係者も存在しているようであるが、
この際だから言っておこう。あなた方は物事の判断力が全く欠落しているのではないか。
刑事事件に発展する可能性すら関係者の間で囁かれている問題であり、
後になって『私もおかしいと思っていた』と言っても、すべて後の祭りなのだ。
もはや残された時間はない。関係者は団結して田中−打田体制に毅然として対処し、
正常化へ向けて舵を切るべし。」
問題となっているこの神社本庁総長・田中恒清氏こそ神仏習合を推進した
元祖神仏習合神社である石清水八幡宮の宮司である。 僧侶ハ擅ニ国土ヲ横領スル叡山高野山ノ如キハ既ニ其ノ高百万石ヲ掠[カス]メ奢リニ乗
スルニ度無[カキリナ]キハ王城ニ勝レル大加藍ニ住シ綾羅錦繍ヲ身ニ纏ヒ加之国財ヲ費
スニ度無キモノハ偶像ヲ設ルニ限リ無ク堂塔ヲ建ルニ限リ無キモノハ国土ノ大害タル第
六例ナル 頭のイッちゃっている人か!ってヤバイ電波来たって
思ったらただのコピーペーストだった。
それでドヤァって、……羞恥プレイ? 戦国の英雄・織田信長も比叡山を焼き討ちして廃仏毀釈を行った。
しかし、織田信長も永禄12年に伊勢神宮に参拝している。
また合戦前に熱田神宮に祈願し、今川義元を討ち破っている。 織田信長は典型的なサイコパス。
罰当たりという畏れを持たないから比叡山延暦寺の焼き討ちを命じることができた。
信仰心の持ち合わせがないから、宗教儀式をショープロデュースして大衆心理を
操作することに利用した。
信長は自分こそが絶対の一番につきたい系の戦国武将。
ゆえに多様性のある多神教も、道徳心を育む系の仏教も
邪魔と感じれば殲滅することに抵抗がなかった。
敵将の頭蓋骨で酒を飲んで魔王ごっこをしたり、兵器を入手するために
宣教師の布教を許可したり、長年仕えてきた家臣も用済みになれば
冷遇したり左遷したり、……そりゃ裏切られるわ。
明智光秀が失敗していたとしても、第二第三の謀反が起きたんじゃないかな。 何度も言うように明治政府は穏便な神仏分離を進めようと
しただけです。
廃仏毀釈は政府の意向ではなく、当時の民衆たちが行ったものです。
仏教思想に支配されて1300年近く。
日本の民はいい加減、仏教にうんざりしていたということでしょう。
それが廃仏毀釈という形となった。
廃仏毀釈を行ったのは政府でなく、民衆。この歴史的事実を間違えない
でいただきたい。
(以下、参考までに政府からの通達)
一、「神仏分離を慎重にすべき令」
(太政官布告第二に六号、慶応四年4月10日)
一、「神仏分離は廃仏毀釈ではない旨の論達」
(御沙汰第第五〇四号、慶応四年6月22日)
一、「僧侶が妄りに復飾することを禁じた件」
(行政官布告七五二) >>258
それは織田信長がわざわざ比叡山を焼き討ちした理由の説明には
なりませんな。
仏教僧の社会に対する害毒があまりにも目に余るものだったから
織田信長が焼き討ちしたのです。この信長の焼き討ち行為がなければ
中世ヨーロッパのカトリック支配のように仏教勢力が世俗を支配する
暗黒時代となっていたかもしれないと言われています。 既存の文化を破壊して更地にしてしまう無神論は魔女狩り・異端審問しまくりの
原理主義一神教の呼び水になってしまう。怖い怖い。
新大陸と呼ばれたアメリカも入植者たちが自由に先住民を殺し、自由に浚ってきた
黒人を奴隷にし酷使して、自由にバッファローを列車の窓から撃ち殺す遊戯をして、
自由にリョコウバトを絶滅させて、ステラーカイギュウを絶滅させて、
……そういうことやってもいい自由なんて害にしかならない。
で、今のアメリカ人が何やっているかというとアメリカ第一主義。
ない袖は振れないと移民を規制する必要があるところまではわかる。
だがかつての移民で略奪し放題だった先祖の業はなかったことにしている。
同じ白人同士でも少し後に入植してきたアイルランド系移民も差別してきたし。
今も昔も原理主義一神教の文化圏は差別と迫害することで優位性を勝ち取り
社会を維持する様式に依存している。
現状、風前の灯になっているネイティブアメリカンの口伝は味わいあって
好きだったからもったいなかったな。
ステラーカイギュウの性格もものすごく情が深くて魅力的だから遊び気分で
ハンティングした連中の方がすごい嫌なやつらだったなとか。――いろいろ腹立つ。
自然信仰・精霊崇拝・先祖供養・その他の地域信仰と道徳学系な仏教を
混ぜこぜでうまくやってきた日本にはマルクス思想だの無神論だのは必要なかった。
だから今も各地に多くの観光客が集まる祭事が残っている。
廃仏毀釈がその程度で済んで、史実から日本の昔をうかがい知ることができるのは
南方熊楠や柳田国男、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲が海外にまで日本文化の
奥深さを知らしめたため。
とはいえ、失われたものの多くは二度と取り戻せない。
神仏分離令は悪法だったよ。 もとはといえば素朴な原始信仰しかもたなかった日本に
難解な教義をたずさえて現れた国際宗教が仏教で、当時の原始神道に
仏教に対抗できる要素があろうはずがなかったが、仏教という知識の
流入は日本人の性格も変えてしまうほどのいわば文化侵略に等しいもの
であった。
その後、日本では宗教といえば仏教という時代が長く続いたが、
その底流には日本独自の宗教である神道が常にあったことは
客観視できる多くの外国人の指摘するところである。
しかし、仏教仏魔による文化侵略に対して、たとえば桓武天皇は
南都仏教による世俗支配を嫌い平安京に遷都したし、織田信長は
仏教の腐敗と傲慢を嫌い比叡山を焼き討ちにした。
また日本で生まれた新仏教の多くは、釈迦の仏教とはかけ離れた
日本独自の仏教であり、その機根は神道にあるといえよう。
そして、江戸時代になるといよいよ仏教を排して神道を打ち立てようという
気風が各藩で見られるようになり、ついに明治維新に至って穏便な
神仏分離が図られたが、それまでの仏教支配に不満を募らせていた
民衆が過激化し、廃仏毀釈のやむなきとなってしまったのである。
そして廃仏毀釈で多くのものが失われたというが、じつは明治以降も
江戸時代またはそれ以前から伝わる風習や行事は日本各地に残って
いて戦前までちゃんと続いてたものが多い。
これらの伝統が失われたのはじつは戦後の左翼思想全盛期の方が多くて
信仰だとか風習だとかは徹底気に馬鹿にされ、時代遅れの田舎行事か
観光用の見世物扱いされて、日本の多くの伝統はこの時期に断絶したというのが
歴史的事実である。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています