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神風連の乱と陽明学の思想2
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0002名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/10/29(金) 13:29:03ID:o4GRl6d60
王陽明
0003名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/11/07(日) 22:12:45ID:cOu3cjU/0
うめ
0004名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/11/19(金) 04:38:41ID:/OeWfB230
あげ
0023名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/02/21(月) 23:50:29.16ID:KT05hXLl0
  ⊂⊃
(U´ω`)
                ┼ヽ  -|r‐、. レ |
                 d⌒) ./| _ノ  __ノ
0026名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/04/04(月) 16:50:13.36ID:414fLF8V0
0027 【東電 73.6 %】
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2011/04/18(月) 00:04:23.84ID:kQfjb1fD0
熊本藩も国権派と開明派でモメまくってますなあ。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/04/28(木) 21:37:13.21ID:v0x3dSKI0
王陽明は孟子以来の傑物である。
0029名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/05/16(月) 22:05:20.61ID:sCNnJMmh0
10 日本@名無史さん New! 2001/06/13(水) 13:16
「天照す神をいはい現身の世の長人と吾は成りなむ」
太田黒伴雄の歌。
三島由紀夫の少年時代の精神上の師だった国文学者の蓮田善明が
陸軍中尉として最後の出征をする際に高吟したと伝えられている。


11 日本@名無史さん New! 2001/06/13(水) 13:49
概要はこちらを。
http://203.174.72.111/ohotaguro/shinpuren.htm
0030名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/02(木) 22:24:25.48ID:3KP18HQ80
16 日本@名無史さん 2001/06/14(木) 03:01
太田黒伴雄も、加屋霽堅(神風連副将)も、幕末の頃は
肥後勤王党の中堅格として活躍していた。太田黒伴雄は
若手の中でも特に人格的に優れ、勤王党盟主の宮部鼎蔵
(池田屋事件で自刃)も太田黒だけは同格扱いにしていた。
0031名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/04(土) 07:05:03.94ID:rFEzsyMt0
少数で熊本城陥落させたし
実は反政府反乱者の中で一番成功し凄みのある連中だった
0032名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/06/05(日) 22:07:56.94ID:NftVt0WhO
勤皇党の生き残りが神風連になったの?
0033名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/03(日) 21:36:20.27ID:39uhYq/00
神風連は敬神党
0036名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/07/28(木) 19:19:43.43ID:Z0QbKpdk0
138 日本@名無史さん 01/09/27 03:10
司馬遼太郎の『翔ぶが如く』の何巻かに神風連が詳しく出ているね。


139 日本@名無史さん 01/09/27 18:04
溝口健二に「神風連」という作品があったそうな。
当時の批評では一部の評論家が絶賛した以外はボロクソに言われたが、
本人は大のお気に入り作品だったそうな。
見てみたい・・・・
0037名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/08/18(木) 22:06:01.93ID:MKpkeF6r0
10 日本@名無史さん 2001/06/13(水) 13:16
「天照す神をいはい現身の世の長人と吾は成りなむ」
太田黒伴雄の歌。
三島由紀夫の少年時代の精神上の師だった国文学者の蓮田善明が
陸軍中尉として最後の出征をする際に高吟したと伝えられている。


11 日本@名無史さん 2001/06/13(水) 13:49
概要はこちらを。
http://203.174.72.111/ohotaguro/shinpuren.htm
0038名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/08/19(金) 01:17:10.08ID:36O2hM9c0
まずは安岡正篤あたりから語りましょう。
0039名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/08/19(金) 01:17:48.94ID:36O2hM9c0
「人は天地の心にあたり、天地万物はもともと自己と一体のものである」
                                  王陽明
0041名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/09/05(月) 19:50:39.30ID:o1GhPpO+0
石光真清「城下の人」中公文庫
0042名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/10/19(水) 10:20:30.23ID:bNkZVvK60
神風連血涙史
0043名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/10/27(木) 00:12:39.91ID:FOfqK4xK0
林:それぞれの民族には十万年くらいは変わらない核心性格がある。神風連的なものは日本民族の核心性格の
発現でしょう。この核心は(中略)日本民族の意識下にひそんでいる。奈良、平安時代のシナ文化と仏教文化の
流入もこの核心を変え得なかった。(中略)十万年と、二千年または二百年の「外来文化」は勝負になりませんからね。
日本人の民族性格は、天然真珠の玉のように、十万年の核心(core)をつつんで、儒教文化、仏教文化、西洋文明が
重なっている。(中略)人間の性格の外皮は真珠のように固くないから、核心がときどき流れ出し、爆発する
ことがある。これが国粋主義で、どの民族にもそれがある。ロシアでも、西欧派のツルゲーネフに対して、
スラブ派のドストエフスキーがいたようなものだ。復古主義の形をとるが、実は、求心運動としての革命的
爆発ですね。神風連はたしかにその旋風で竜巻でしょう。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より
0044名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/10/27(木) 00:13:20.51ID:FOfqK4xK0
三島:僕はこの熊本敬神党、世間では、神風連と言っていますが、これは実際行動にあらわれた一つの芸術理念でね、
もし芸術理念が実際行動にあらわれれば、ここまでいくのがほんとうで、ここまでいかないのは、全部現実政治の
問題だと思いますよ。それでは、彼らがやろうとしたことはいったいなにかと言えば、結局やせても枯れても、
純日本以外のものはなんにもやらないということ。それもあの時代だからできたので、いまならできないが、
食うものから着物からなにからかにまで、いっさい西洋のものはうけつけない。それが失敗したら死ぬだけなんです。
失敗するにきまってるのですがね。僕はある一定数の人間が、そういうことを考えて行動したということに、
非常に感動するのです。
思想の徹底性ということ、思想が一つの行動にあらわれた場合には、必ず不純なものが入ってくる。必ず戦術が
入ってきて、そこに人間の裏切りが入ってくる。それがイデオロギーというものでしょうが、そうして必ず
目的のためには手段を選ばないことになっちゃう。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より
0045名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/10/27(木) 00:14:07.33ID:FOfqK4xK0
だけれども神風連というものは、目的のために手段を選ばないのではなくて、手段イコール目的、目的イコール手段、
みんな神意のまにまにだから、あらゆる政治運動における目的、手段のあいだの乖離というのはあり得ない。
それは芸術における内容と形式と同じですね。僕は、日本精神というもののいちばん原質的な、ある意味で
いちばんファナティックな純粋実験はここだったと思うのです。もう二度とこういう純粋実験はできないですよ。
その後いろいろなテロリズムが起こりました。いろいろなものがあったでしょう。しかしこれくらいの純粋実験と
いうものはないですよ。日本の歴史のなかで、こういう純粋実験があったということは、みな忘れていますが、
当時は笑うべきことだったかもしれないが、なにごとかだったと思うのですよ。それで僕はいまの(中略)
あいまいな日本精神とかなんとかを、ここでもってもう一度よくこれを振り返ってほしいのです。そういう意味で、
僕は神風連を言うのですよ。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より
0046名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/10/27(木) 00:14:49.08ID:FOfqK4xK0
三島:たしかに日本人が外国に対して徹底的に受け入れるというのは、十九世紀の全く正しい方法だったと思います。
(中略)近代化することによって、植民地から身を守るか、あるいは受け入れないことによって敗北するか、
どっちしかなかった。一つの道しかなかった。(中略)
僕は政治的に、たとえば明治維新において、もっと日本的にやるべきだったとか、外国の武器を使うべきではないと
言っているのではないし、日本の西欧化をするべきではなかったと言っているのでもなんでもない。西欧化は、
十九世紀には単なる西欧化であったが、二十世紀においては単なる西欧化ではない。(中略)西欧化という段階を
通り越していると思うのです。だけれども、その必然的結果としての大衆社会化という問題が、いまわれわれの
前にあって、それに対抗する概念を僕はさがしている。僕がさがしているものは、どうしてもその前にいかなければ
ならない。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より
0047名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/10/27(木) 00:15:23.78ID:FOfqK4xK0
三島:僕たちはもうハカマもはかない、ズボンをはいてる、西洋的な生活をしていますね。しかし禅は、そうで
あってはいけないという考えです。それは天皇制の考えにつながるのです。禅はそうであってはいけない。何か
究極的なものは、そうではあってはいけないという考えがあるのです。(中略)いまに(日本人は)日本酒の味も
わからなくなるでしょう。そういう一面をもっているが、精神の本質的な価値というのは、僕たちのなかにある
かもしれないが、カソリックにおける教会みたいなものがどこかにあって、精神の本質的な価値を守らなければ、
われわれにはとても生活全般で守ることはできない。われわれは電話もかけなければならない。テレビを見なければ
ならないし、自動車にも乗らなければならないから、どこかに自動車に乗らない、テレビを見ない、電話をかけない、
ガスを使わない、電気を使わないというものがなければならないと思うのです。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より
0048名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/10/30(日) 21:53:07.09ID:hD1+eoo+O
三島:(僕は)文学的な目で見るといま日本とか、日本人という、みんなの言っている概念のあいまいさに
耐えられない。いったいどこを根拠にして言っているのか。(中略)日本人はたしかに、いろんなものを取り入れて、
雑然と消化してしまう国民であるけれども、日本および日本人ということは、いまこんなに問題になっているなら、
それの純粋実験ということを、どういうふうにしてやるかということを僕は考えるのです。たとえ無力であってもいい。
(中略)なにがそれでは、そういう純日本的なもの……純日本人的なものの純粋実験だろうかと考えると、結局、
神風連にいっちゃう。あすこにガンジーの糸車があって、かならず敗北するでしょう。それは勝つわけはありません。
つまり西欧化のほうが正しいに決まっている。(中略)かならず敗北するのだけれども、そこに純粋性と正当性が
あって、そういうものがつまり、われわれが日本および日本人といっているものの核になっているのではないか。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より
0049名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/10/30(日) 21:54:03.02ID:hD1+eoo+O
三島:いったい日本では抵抗精神というのはどこにあったか。純日本の抵抗精神というのはどこにあったか。(中略)
僕はへそ曲りですからね、そういうものをさがす。そうすると、禅寺が電気冷蔵庫を持っていてはいかんではないか。
ガンジーは糸車を回したではないか。そうすると、神風連が電線の下を通るときに、あれでもって電報がくるのだ、
あんなものはバテレンの妖術だというと、頭の上に白扇を乗っけて、下を通ったという、あの白扇に、つまり
西欧文化というものはどういうものを日本にもたらすか、というものの予感がはっきりひらめいていたように思う。

林:大きな予言ですよ。

三島:大きな予言ですよね。いまから白扇を持ってもどうしようもないが、白扇で電線の下を通ったということは、
あの電線がただの電線ではないのだぞ、あの電線が、あれから、百年たってこういうような状態をもたらすのだぞ、
という予言としか思えない。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より
0050名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/10/30(日) 21:54:55.88ID:hD1+eoo+O
三島:神風連のことを研究していて、おもしろく思ったのは、かれらは孝明天皇の攘夷の御志を、明治政府が完全に
転倒させ、廃刀令を出したことに対して怒り、「非先王之法服不敢服、非先王之法言不敢道、非先王之徳行不敢行」
という思想を抱いていた。万世一系ということと、「先帝への忠義」ということが、一つの矛盾のない精神的な
中核として総合されていた天皇観が、僕には興味が深いのです。
歴史学者の通説では、大体憲法発布の明治二十二年前後に、いわゆる天皇制国家機構が成立したと見られているが、
それは伊藤博文が、「昔の勤皇は宗教的の観念を以てしたが、今日の勤皇は政治的でなければならぬ」と考えた
思想の実現です。僕は、伊藤博文が、ヨーロッパのキリスト教の神の観念を欽定憲法の天皇の神聖不可侵のもとに
したという考えはむしろ逆で、それ以前の宗教的精神的中心としての天皇を、近代政治理念へ導入して政治化した
という考えが正しいと思います。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より
0051名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/10/30(日) 21:55:30.07ID:hD1+eoo+O
三島:(神風連の起こった)その時代の天皇観念には、天皇を宗教的精神的中心として純粋に確保したいという
強烈な考えが、一方にあっても少しも不思議はなかった。
明治憲法の発布によって、近代国家としての天皇制国家機構が発足したわけですが、「天皇神聖不可侵」は、
天皇の無謬性の宣言でもあり、国学的な信仰的天皇の温存でもあって、僕はここに、九十九パーセントの西欧化に
対する、一パーセントの非西欧化のトリデが、「神聖」の名において宣言されていた、と見るわけです。神風連が
電線に対してかざした白扇が、この「天皇不可侵」の裏には生きていると思う。殊に、統帥大権的天皇の
イメージのうちに、攘夷の志が、国務大権的天皇のイメージのうちに開国の志が、それぞれ活かされたと見るのです。
これがさっきの神風連の話ともつながるわけですが、天皇は一方で、西欧化を代表し、一方で純粋な日本の最後の
拠点となられるむずかしい使命を帯びられた。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より
0052名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/10/30(日) 21:55:59.99ID:hD1+eoo+O
天皇は二つの相反する形の誠忠を、受け入れられることを使命とされた。二・二六事件において、まことに
残念なのは、あの事件が、西欧派の政治理念によって裁かれて、神風連の二の舞になったということです。
ところで僕は、日本の改革の原動力は、必ず、極端な保守の形でしか現われず、時にはそれによってしか、
西欧文明摂取の結果現われた積弊を除去できず、それによってしか、いわゆる「近代化」も可能ではない、という
アイロニカルな歴史意志を考えるのです。
福沢諭吉と神風連が実に対蹠的なのは、明治政府の新政策によって、前者は欣喜し、後者は幻滅した。僕は
幻滅によって生ずるパトスにしか興味がない。幻滅と敗北は、攘夷の志と、国粋主義の永遠の宿命なのであって、
西欧の歴史法則によって、その幻滅と敗北はいつも予定されている。日本の革新は、いつでもそういう道を
辿ってきた。唯一の成功した革新は、外国占領軍による戦後の革新です。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より
0053名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/10/30(日) 21:59:55.33ID:hD1+eoo+O
僕の天皇に対するイメージは、西欧化への最後のトリデとしての悲劇意志であり、純粋日本の敗北の宿命への
洞察力と、そこから何ものかを汲みとろうとする意志の象徴です。しかるに昭和の天皇制は、内面的にもどんどん
西欧化に蝕まれて、ついに二・二六事件をさえ理解しなかったではないか。そのもっとも醇乎たる悲劇意志への
共感に達しなかったではないか。「何ものかを汲みとろう」なんて言うとアイマイに思われるでしょうが、僕は
維新ということを言っているのです。天皇が最終的に、維新を「承引き」給うということを言っているのです。
そのためには、天皇のもっとも重大なお仕事は祭祀であり、非西欧化の最後のトリデとなりつづけることによって、
西欧化の腐敗と堕落に対する最大の批評的拠点になり、革新の原理になり給うことです。イギリスのまねなんか
なさっては困るのです。

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より
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