【花神】大村益次郎でアリマス。【その8】
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【花神】大村益次郎でアリマス。【その7】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1208765358/
一人の男がいる。
歴史が彼を必要とした時、忽然として現れ、
その使命が終わると大急ぎで去った。
もし維新というものが正義であるとすれば、
彼の役目は、津々浦々の枯れ木にその花を
咲かせて回ることであった。
中国では花咲爺いのことを花神という。
彼は花神の仕事を背負ったのかもしれない。
彼──村田蔵六、後の大村益次郎である。 裏口入学は許さない、大阪大学医学部出身の私でアリマス。 >>775、>>776
大村は大阪の適塾(阪大医学部の源流)で蘭学を学んでいるから、間違ってはいない。
最も優秀な塾生が務める「塾頭」になっているから、才能は際立っていたのだろう。
福沢諭吉も同じ頃、大村の前か後かに塾頭を務めている。
<from Wikipedia> せごどん続けて観ているが面白い。話の面白さも俳優もとても良い。
花神と並ぶほどの楽しみであります。
ところで梅之介温帯の『そばや・・』がBS161で火曜から再放送始まる
なぜか16話からだけど >>771
>神代直人(石橋蓮司さん)
ありゃマジで怖かったな〜 >>771
当時ひきこもりだったおらは神代が怖くて見てない回がござる。
この話ご本人に伝えてもらっただよ すまぬ用件忘れた。せごどんでは岩倉具視釣瓶ででかく取り上げてる。
花神にも岩倉は出てたがこの時演じてたのはアニメ、ムーミンのスナフキンの
声をやって御方なんだよ >>784
子どもたちにはこの役で知られていたな。多少は
↓
帰ってきたウルトラマン
第13話「津波怪獣の恐怖 東京大ピンチ!」、
第14話「二大怪獣の恐怖 東京大龍巻」(1971年) - 赤木工場長 最近のせごどんは、花神や翔ぶが如くのインスパイヤァばかり。 西郷ドンにはまだ先生が登場なさらぬ。こぶ平がやるのか
キャラの影の薄いヤツのほうが役の上ではいいのか
俺は歴史ファンの松村にやらせたかった ゆうべの「せごどん」に先生が登場なさった。
林家正蔵(こぶ平)が演じたのだが、嫌な奴という
演出のようだったな。たしかに花神の先生もぶっきらぼうの
扱いだったが、愛すべき人柄を梅之助さんがきれいに演じてくれた。
こぶ平のはイヤ〜な顔で、なんかあいつ死相だったぞ >>792
こぶ平さんは体調不良っぽい感じだったな。 高校生のうちに花神読んでたら大学では絶対にオランダ語履修してたわ
母校にオランダ語の講義あったか忘れたが こぶ平はくそつまらん芸人だと思ったが、もっとつまらんいっ平のおかげでまともに見えてくるから笑える
まともといってもかなりの低レベル域なのは変わらんけどさ 日本大学と早稲田大学の違いは 長州藩出身者と佐賀藩出身 [無断転載禁止]©2ch.net
https://medaka.2ch.net/test/read.cgi/jsaloon/1506120669/l50
陣頭指揮突貫 日大の山田顕義と慶応の福沢諭吉、早稲田の大隈重信との違いは血みどろの戦いを [無断転載禁止]©2ch.net 1
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/joke/1501510625/
陣頭指揮突貫 日大の山田顕義と慶応の福沢諭吉、早稲田の大隈重信との違いは血みどろの戦いを [無断転載禁止]©2ch.net 2
https://tamae.5ch.net/test/read.cgi/jsaloon/1481985949/
狂騒のパジェント 靖国神社の大村益次郎像についての批判
http://pagent.seesaa.net/article/388231675.html 大村益次郎のラッキーは
弟子の山田市之允が内務卿に
出世し、師匠の大村益次郎の
銅像を靖国神社に建立したことだなぁ。
日本軍隊は大村益次郎と山田顯義の2トップから
スタートしたことの証明書が
靖国神社の銅像なのさ。 愛エメ 村医者・村田蔵六改め、大村益次郎(日本の近代兵制の創始者)が第二次長州征伐の時、長州藩の
奇兵隊に授けた戦略・戦術が「散兵線」作戦だ。
ミニエ銃などの飛距離が長く、命中精度が高く、殺傷能力が大きい新式銃の実戦配備によって従来の
密集隊形型突撃では膨大な死傷者が出るようになったので、全軍を各々独立して戦える少人数の班
を基本単位として編成し、各班が目前の戦況を独自に判断しながら全体的作戦に則って全軍司令官
の指揮の下に秩序を保って戦うというものだ。
散兵線は各兵士の自立性と協調性が求められる戦術なので、近代文明の根底にある「個の自立」の
考えを体得した人でないと全軍にそれを納得させ、戦場で実行させるのは難しかったはずだ。
大村が大阪・適塾で福沢諭吉や橋本左内らと共に必死で学んだ蘭学を通して身に着けた近代的知識
と思想が生きたのではないか。
これらは旧幕府側の儒教に縛られた事大主義では理解できないことだった。 >>805
大日本帝国陸軍の軍歌「歩兵の本領」
https://www.youtube.com/watch?v=FJreugfgJUw
<歌詞>抜粋
万朶の桜か襟の色
花は吉野に嵐吹く
大和男子と生まれなば
散兵線の花と散れ
[中略]
携帯口糧あるならば
遠く離れて3日4日
荒野千里にわたるとも
散兵線に秩序あり
[後略] >>805
大村益次郎 頑張る!
近代日本最初の軍歌(行進曲)「宮さん宮さん」
作詞:品川弥二郎
作曲:大村益次郎
https://www.youtube.com/watch?v=DVc-UNU48g0 河井継之助をどう思ってたんだろう?岩村のごときを越後へ行かせるとは。 毛利敬親役の人がが好きだった。
「デ、デコ?何か?それは。」 >>810
宣戦の布告
戦うんじゃい!
ニッポンの武士がどう言うもんか
世界に見せてやるんじゃい!! ああ、declaration of warのことね? ガランマチカを写し終えたでアリマス。
次の段階のセインタキスに進むでアリマス。 タクチーキのみを知りて、ストラトギーを知らざる者は、国を滅ぼすのでアリマス。 村田先生が指揮を取った西南戦争を見たかったでアリマス。
村田先生は抜刀隊の編成を許可したか興味が有るでアリマス。 >>818
たしかにそういわれると興味俺もわいてきた 堅固な陣地を作り、野砲の砲撃を絶やさぬことでアリマス。
弱兵で強兵を打ち破るのは無意味でアリマス。
薩摩の精鋭を田原坂で迎えつつ、別動隊で鹿児島を制圧するでアリマス。
山縣には戦略眼がないのでアリマス。
山田を前線に送るのは、愚かなことであります。
総指揮を山田がとっておれば、西南戦争は短期間で終息したはずでアリマス。 大村先生。
映画「柘榴坂の仇討」をご覧になって
どのように思われましたか? それは一見センセイらしいかもしれんが、実はセンセイじゃないな
「夏は暑いのは当たり前です」
これはその通りで、センセイらしい
しかし、「新年が訪れる」の「新年」ってのはそりゃ人が作った制度、概念であって、夏が暑いというのとは全く違ったことである 769名無しさん@お腹いっぱい。2019/01/19(土) 20:17:14.75ID:VmUsqP2v0>>776>>801>>812
>>764
西郷は軍事に通じていたとはどう見ても言えないね
そもそも実戦経験あんまりないからね。
大村と板垣については定評があるところだけど、
大村については過大評価ではないかという指摘もあったりする。
というのは石州口の戦いは旧式の小藩が多く相手として比較的戦いやすかったこと、
彰義隊戦争は実は前日までに立てこもっていた部隊のうち精鋭が関東の戦いに身を投じて
数が相当減っていたこと、また未熟練の部隊を相手にした割に官軍の損害が大きいことなど
奥羽戦争についてもいわゆる「枝葉」戦略が実行されていたら戦争が長期化していたわけだから。
前はよく幕府士官の未熟が挙げられたりしたけど、その後幕府陸軍の研究が進むと、
英仏軍人に評価されてた少壮軍人が多くいたことが明らかになって(窪田鎮章などがそう)
現場指揮官のレベルではそれほど差がなかったと思われる >>825
>熟練の部隊を相手にした割に官軍の損害が大きい
官軍のマイナー藩が後方から大砲を打って、薩摩兵が巻き込まれてけっこう死んでいる。 >>825
四境戦争のとき、大村はすべての戦線を指揮した。
石州は指揮官がいなかったから、大村自身が前線へ向かっただけ。
石州の闘いだけで、大村の才能を評価してはいけない。 >>825
>大村については過大評価ではないかという指摘もあったりする。
大村益次郎の功績は、現場指揮官として優秀でいくつかの戦闘に勝ったことよりも、軍略家
として長州藩を封建的な武士集団から近代的な軍隊を持つ藩に変えたこと、更に明治維新後、
その軍制(「散兵線」* を基本とする)を日本全体に及ぼして日本に近代的な軍隊を生み出し
たことだ。
軍を組織する際、士農工商の身分制を壊し、武士も商人も職人も農民も互いに対等な一人
の兵士として各々銃を持ち、その兵たちで10人ほどの目前の状況を自前で判断し、独立して
戦える班を構成し、それを基本単位として軍組織を編成し(例えば、分隊→小隊→中隊→大隊→)、
全体を指揮官が統率する。
これが明治維新以後の日本陸軍の軍制の基本になった。他にも、鎮台、鎮守府の設置など。
大村が日本陸軍の父と称される所以だ。大村自身は武士から恨まれて暗殺されたが。
*) <1911(明治44)年に作られた大日本帝国陸軍の軍歌「歩兵の本領」>
https://www.youtube.com/watch?v=FJreugfgJUw
この中で「散兵線」が歌われている。 基本的にこの人、最悪の状況を想定した上で戦略立てるタイプだからね
大村さんが長生きして陸軍の実験を握っていたら、日清日露はやっていなかったと思う 長州征伐って10倍の兵力に攻め込まれているのに
守り切るどころか逆に反撃して相手の領土切り取るという
冷静に考えると頭オカシイ事やっているからね 大村先生の才覚ならば、日清日露の闘いは楽勝だったと思われ。
軍略の才に乏しい山縣が策を練ったから、損害も多かった。 今日は中村梅之助の誕生日。
花神のオープニングにリンクを貼っておく。
花神・第1話オ−プニング
https://www.youtube.com/watch?v=y0LuczMCHRU 大村〜高杉〜山田ならかなり陸軍も変わった形になったのかな プロイセンから教官を招いたのが、間違いであります。
陸軍は英国から学ぶべきだったのです。
異国の統治方法も学べたでありましょう。 狂騒のパジェント 靖国神社の大村益次郎像についての批判
http://pagent.seesaa.net/article/388231675.html
「兵は隊伍に偏し、銃砲を取り敵前に進ましむることを以て、
本務とすべからず、人民一般の知識敵兵に超越するを以て最要とす」。
山田顯義はヨーロッパ視察後、「軍政建白書」という長大な意見書を
提出しているが、その中に次のような一節がある。
「兵は隊伍に偏し、銃砲を取り敵前に進ましむることを以て、
本務とすべからず、人民一般の知識敵兵に超越するを以て最要とす。
ここにおいて、国民中貴賤貧富の別なく、幼稚のときより
郷学において、普通学を教え、兼ねて銃器訓練を行はしむ」 靴の記念日と言う事で
村田先生のことがTwitter上で呟かれているでアリマス。 youtubeでも出てる作家の原田伊織先生は
五代友厚や伊藤博文なんかもクソガキだったって評価するかな? 花神については、
司馬の他作品に比べて創作は少ないものと思っていたが、そうではないみたい。
う〜ん、残念。
<http://www.e-furuhon.com/~matuno/bookimages/18112.htm> ↑
大村益次郎先生事蹟・解説
<http://www.e-furuhon.com/~matuno/bookimages/18112.htm> >>840
「その内容は詳しく正しい」
歴史学者ならこんなことは絶対に書かない。
ちょっと危うさがある。 元号を発表した官房長官も「令和でアリマス。」と言ってたでアリマス。 センセェ!
関東で靖国神社以外に行くべき所はあるのでありますか? 東郷神社、乃木神社、戦艦三笠、海上保安資料館 横浜館の「工作船」などでアリマス。 大河ドラマ板の「花神」スレが落ちて久しい。誰か立ててください。 >>847
総集編しか映像が残っていないから再放送しようがない。
つまらん「いだてん」を放送するより、花神リメイク版を放送してほしいものだが。 太陽暦に換算すると、明日は村田先生の誕生日ですぞ(1824年)
花神OPへのリンクを貼っておきますぞ。
https://www.you tube.com/watch?v=y0LuczMCHRU 関先生が辞表出して徳島に帰った時、
少し羨ましかったのではありませんか? 大河ドラマ「花神」、全話の映像ついに発見!
という夢を見た・・・ 今日は彰義隊討伐の日でアリマス(1868・太陽暦換算で)
旧歴を新暦になおすと、梅雨の時期に戦ったことがわかるのでアリマス。 本日、日本史板、徳川家斉ゴッドファーザースレにて会津系の徳川家広信者が殺害予告をして通報されまくり逮捕確定
どうして会津はこういう奴ばっかなんだ?
http://itest.5ch.net...i/history/1500998436 先生!
今日は下関の砲台が攘夷を始めた日ですぞ!(太陽暦換算で) つけっぱなしにしてたら梅雀が出ていた。
NHKファミリーストーリーで中村翫右衛門・梅之助・梅雀やっていたのだ。
途中からだったが素晴らしいぞ。先生もいっぱい出てくださっている。
幸い木曜深夜に再放送が有る(NHK総合)。
絶対見ろよな。 追加。途中花神の映像有るがなんと昭和50年とテロップ出る。
NHKって本当に花神をコケにしてるんだな ↑
よかった一人でも伝えられて嬉しいヽ(`Д´)ノ 洪庵先生のお通夜の席で福沢に向かってオランダを罵倒するシーンが面白かったな
大河放映当時はバリバリの反日国家だったオランダへのNHKからのご挨拶ってとこか
思えば昔は少しは骨があったんだな、NHKも 本当のことだと思うよ
「竜馬がゆく」原作にもあったけど、戦っても勝てないからといって日本が黙っていたら
ますます欧米は図にのって日本に何をしたかわからない。
福沢は本当にどうかしていると思うよ。
あんな無礼なことをされても、向こうの方が強いからと言って怒ることさえしないのかね。 あそこらのはなしは「福翁自伝」とか記録に残ってるんだっけか?
司馬の話は創作捏造多過ぎてもう全然信用できんから困るわ 戦国時代とかそこらまではまあかまわんけどさ
幕末辺りになるとあんまりひどいのはちょっと勘弁してほしくなるな
司馬は物語作家だとは心得てはいたつもりだが、「坂の上の雲」の時、資料駆使してなるべく事実に即して書くから、あるいは小説としてはつまらなくなるかもとか宣言したのにもかかわらず、
捏造オンパレードになったという犯罪的なことやってるのが気に入らんのや
そうやって見るようになったら、晩年のエッセイのなかでも、事実(個人的な)をずいぶん曲げて書いてることが見つかるのよね
性根ってもんがよくわかったわって感じなんだな
エンタメ作家の才能とは、事実を面白く脚色すること。 >>869
> 「坂の上の雲」の時、資料駆使してなるべく事実に即して書くから、あるいは小説としてはつまらなくなるかもとか宣言したのにもかかわらず、
> 捏造オンパレードになったという犯罪的なことやってるのが気に入らんのや
梶原一騎の空手バカ一代と全く同じだな
面白いからセーフ NHKが「坂の上の雲」をドラマ化した頃はもう司馬の作り話はバレバレだったんだろ
明治とか日露戦争を描くんじゃなくあくまで司馬の小説のドラマ化だから捏造部分もそのままにしたのだろうが、
脚本家の野島が日露戦争パートの前に死んだのは、そこら辺どう描くかで揉めたのが原因だったとかあるんじゃないのか? >>867 諭吉のに 「大村は人が変わってしまったと皆で言い合った」みたいな感じの
記述はあった。
洪庵の亡骸に寄り添い、「先生に報いることが少なかった」と
村田先生は嗚咽なさったのだった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています