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【派閥】統制派vs皇道派・条約派vs艦隊派【抗争】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2010/11/28(日) 19:52:38ID:iZIsiJvG0
派閥抗争で優秀な人材を失った陸海軍。結果開戦時の軍首脳部は
とんでもないメンツで挑まざるを得なかった。永田鉄山や堀悌吉がいたら
違った結果になったのでは
0573名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/11/10(日) 19:58:18.48ID:fgD/lB1X0
>>572
述語の 組織する の主語は 多数派 じゃないの?
ジタバタと(笑)言い訳してみても少数派の組織した内閣があるのは動かぬ事実。
組織された ぐらいだったら多少できた苦しい言い訳だったんだけどねえ。


> 内閣成立時点で少数派で、倒れるまで少数派のままだったなら「政党内閣制にのっとった内閣」では無いが
> 内閣成立時点で少数派でも、途中の選挙で多数派になったのであれば「政党内閣制にのっとった内閣」だろうが

だろうが なんて見得を切られましても?そんなわけなかろうもん。びっくりしちゃう意見ですね。
もう政党内閣制の定義もむちゃくちゃ。この程度の日本能力なら永田信者もつとまるんだろうね。ちょっと前までは石原信者でもやっとったんじゃなかろうね?
0574名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/11/10(日) 21:41:41.46ID:1dR69aWl0
>573
>述語の 組織する の主語は 多数派 じゃないの?

そうだよ?

選挙で勝った後は多数派になってるだろw

>少数派の組織した内閣があるのは動かぬ事実。

なにか問題でも?

その少数派が政権獲得後には選挙を行って多数派になってるんだから「多数派が組織する」という
状況は現出している。

「政党内閣制」的な慣例が定着している証だね。
0575名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/11/11(月) 06:24:34.85ID:+PSMOXC40
>>574
まさか第二次加藤高明内閣が政党内閣ではなかったという基地外論理とは思わなかった…

政党内閣に多数も小数もない。
0577名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/11/11(月) 21:49:48.08ID:VJXeuZRL0
>574
>第二次加藤高明内閣

何とトチ狂ったことを言ってるのかな?w

こちらはちゃんと5・15や2・26が起こった頃の時期を指して話をしているんだけど?

<539>
>当時は「議会の多数派が内閣を組織する」という政党政治が定着し始めていたんだが。
>内閣が「議会の多数派」を元にしている以上、両者を無関係なモノだとする君の見方こそ
>当時の政治状況に対する理解の乏しさを示すものだ。
>また、牧野を襲撃した5・15も2・26も、どちらも軍人が起こした事件なんだが。

大正末年の第二次加藤内閣の話なんざ誰もしてねぇっつのw
0578名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/11/12(火) 06:10:59.27ID:mikQ5rNC0
>>577
226の斎藤内閣は政党内閣じゃないのに

515の犬養内閣も議会の少数派が組織した内閣だったのに

なに言ってんだ、あんた?
0579名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/11/12(火) 14:00:33.52ID:r1lFukvUO
>579

2・26が斎藤内閣?
もういっぺん小学校の社会科の授業を受け直してから来た方が良いんじゃねーの?w
0580名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/11/12(火) 19:09:05.24ID:mikQ5rNC0
>>579
ああ、岡田内閣の間違いだったね。
僕は間違いを認めて訂正しておくよ。
誰かさんと違って直さなかったり自分勝手に打ち切ったりしない。
0581名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/11/14(木) 10:32:32.20ID:bLv5CWWf0
その場のリーダーだっただけで永田がその前後のリーダーと比べて特別ということもない。

特筆すべきは下克上による陸軍と政府の傀儡化システムに先鞭をつけた元凶だってこと。
0582名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/11/16(土) 21:01:10.33ID:h3PKNEuA0
>>563
「政治的非常事変勃発に処する対策要綱」は皇道派への対抗策ではなく非常事態における
権力掌握のためのシミュレーションなんだが、首相任免を記しているように最終目的が統制派
によるクーデターにあることがわからないのかな。どうもこの永田信者は永田好きの永田知らず
の傾向があるな。

片倉の苦しい言い訳をそのまま載せるとかその本の著者はボンクラだな。
「政治的非常事変勃発に処する対策要綱」の内容も載せずによく書けるな。

「一、現下ノ世相二鑑ミ政治的非常事変勃発二際シテハ軍部ハ之ヲ契機トシテ国内事態改善ノ為撃固ナル決意ヲ以テ目的ノ貫徹ヲ期ス」
「ニ、軍ハ其統制ヲ堅持シ革新ノ原動カトナルモ事変ノ渦中二投セス
「三、革新ハ国策遂行上ノ国カノ充実ヲ目的トスルモ一方昭和十年以降激化スヘキ対外危機二応シ得ルノ準傭二遺憾ナカラシム」
「四、現下ノ状勢二鑑ミ革新ヲ断行スル時期ハ成ルヘク遠ナルヲ希望ス」
「五、軍部自ラハ非合法手段タル直接行為ヲ行使セス」
「六、非常事変干与ノ軍人、群集等ハ一時保護監禁ス」
「七、軍隊軍人ノ妄動ハ厳二戒事ス」
「八、革新二対シ適正ナル与論ヲ指導シ国民多数ノ信頼ヲ獲得シ又諸外国ノ誤解ヲ生セサル如クス」
「九、革新妨害者ハ強制拘束ス」

この内容は皇道派への敵意を剥き出しにするものだが繰り返される「革新」が皇道派の言う「維新」と同じことぐらい馬鹿でもわかるわな。
さらに、

「方策」
「一、軍ハ非常事変勃発二対スル準備ヲ完成シ若干ノ応急施設ヲ講ス」
「ニ、事変突発二際シテハ希望スル後継内閣ノ組閣ヲ図リ之ヲ通ジ革新ヲ断行ス」

「実行期間ノ処置」
「非常事変突発ノ為現内閣其責ヲ負フノ期二至ラハ遠二左記諸項ノ処置ヲ講シ以テ希望スル後継内閣ノ機運ヲ醸成ス」、
(イ)「戒厳ノ宣告(又ハ必要ナル警備)但其時機ハ過早ナラサルヲ要ス」
(ロ)「現総理二対スル処置ニ奏請スヘキ後継首班ノ強制」
(ハ)「予想スル新総理二対スル処置(新総理ノ決起ト革新二対スル態度ノ慫慂)」
(二)「宮中府中其他軍内外主要人物二対スル処置(兵カヲ以テスル保護監禁)」

これの一体どこが「議会否定、内閣否定ではなかったのです。」なんてことを言えるのか。天皇まで
押さえる念の入れようだよ。

>>565
で、斎藤内閣時の永田に協力した農林省官僚は誰?大蔵省官僚しか上げていないんだが。
「全部の名前は上げきれんよ。」なんて逃げないでよ。
0586名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/18(水) 09:54:47.02ID:puNi2V6/P
上のほうに皇道派が軍の近代化を進めたとか言ってる人がいたけど
統制派以外が普通に仕事をしてただけなんじゃないの?統制派は国家の統制と派閥抗争それ自体が目的となった陸軍でも異様極まりない集団だろ
床次50万元事件みたいな酷い謀略とかやってるし

あと青年将校と皇道派って派閥としては別物じゃないの?
陸パン事件では青年将校は統制派についたみたいだし
0590名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/27(金) 12:42:34.08ID:+AM5B3NM0
>555
>自力更生運動は斉藤内閣が行ったもので蔵相の是清だったように戦時体制や
>革新官僚とは無縁のものだよ。

自力更生運動を行ったときの農相は後藤文夫だろ。
岡田内閣時の内務大臣で、永田が連携を取っていた「新官僚」の代表じゃねーか。

>「政治的非常事変勃発に処する対策要綱」を作成した統制派の永田

それ書いたの片倉衷なんだけど
なに勘違いしてんだ?
0591名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/27(金) 12:50:14.05ID:+AM5B3NM0
>582
>「政治的非常事変勃発に処する対策要綱」は皇道派への対抗策ではなく非常事態における
>権力掌握のためのシミュレーション

君の思い込みはどうでも良いよw

>繰り返される「革新」が皇道派の言う「維新」と同じことぐらい馬鹿でもわかるわな。

君の思い込みはどうでも良いよw

>これの一体どこが「議会否定、内閣否定ではなかったのです。」なんてことを言えるのか。

一体どこが「議会否定」「内閣否定」なんだよw

あくまで軍がその要望を内閣に強く要求しているだけで議会も内閣も否定してないだろw

>天皇まで押さえる念の入れようだよ。

まさか「宮中府中」のことを天皇のことだとでも思ってるの?w
歴史を勉強し直してから出直してこいよw
0592名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/27(金) 13:08:58.84ID:+AM5B3NM0
>>565
>で、斎藤内閣時の永田に協力した農林省官僚は誰?

農林大臣である後藤文夫自身が、永田が連携していたウチの1人だよw
0593名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/27(金) 14:32:00.18ID:+AM5B3NM0
>587
>永田を最初に過大評価したのって鈴木貞一?

永田を評価する発言は、けっこうあちこちで語られてるよ?

「以上で察せられることは、永田が政治問題に関心を有した事実であるが、
しかもその政治的意見は、少しも脱線していない。民主主義の政治家が
構想するところと同一の線を歩いている。
 一言にして評すれば、彼は円満なる政治常識をもつ軍人であった。この常識があったから、
昭和九年末、統制派の中佐級幹事、兵力の威嚇を用いて軍本意の政権を獲得するという
原案を拒否し、「軍の要望は、現憲法下において陸軍大臣を通してのみ期生する」方針に
改めさせたのである。そうして革新的要請は、新官僚の協力をまって成案し、陸相をして
閣議に要求させることになったのだ。
 相当に鼻息の荒かった統制派の将校が、永田の方針に文句なく従って固く一本となったのは、
即ち彼の指導力と統制力を照明するものであって、残る問題は、いかなる「革新政策」を
作成要求するかの一点にあった。
(中略)
 不幸にして永田はこのテストの日まで生きなかったのである。幹事達が作った暴力案を
陸相一本主義に修正し、これから政策の作製指導というところで殺害の悲運に会ったのである。
だから永田が生きていたら軍はどうなったかの問題は、すべて想像ではあるが、しかし彼の
知力と統制力とは、軍を立派に建て直したろうというのが衆評の一致するところだ。」
(伊藤正徳「「永田がいたら」の声」『軍閥興亡史 2昭和軍閥の形成まで』)


「私は荒木、真崎、柳川、小畑等の諸将軍には何回か面会したことがあるが、永田軍務
局長には会う機会がなかった。当時唐沢内務省警保局長が永田局長とは同郷の関係で
親しく交際していたので、若輩の私が出しゃばってもいかぬという遠慮もあったのである。
 したがって永田軍務局長の人物はよく知らないが、非常に傑出した人材であったらしく、
もし永田健在なりせば、東條時代は出現しなかったであろう、という人もいる。
目立った人材であったため、林陸相のやったことまで永田局長のせいにされ、
悲劇を生んだのではあるまいか。」
(安部源基「二・二六事件の前奏曲」『昭和動乱の真相』)
0594名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/27(金) 22:12:13.74ID:mSA6PaQw0
>>586
> 統制派は国家の統制と派閥抗争それ自体が目的
統制派結成メンバーの田中清がそんなこと言ったそうだね
外国への対処なんて考えてなかったとか
0595名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/28(土) 08:50:45.60ID:9rloYQgD0
>594
その田中の発言とやらを正確に引用してくれないかな?
君がテキトーに与太を言っているだけという可能性があるのでね。
0596名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/28(土) 13:41:45.53ID:EAifUhoA0
>>595
こんな与太を言って私になんの得があるんだ?
君は誰だ?誰と戦ってるんだ?
立ち読みしただけだから詳しく覚えてない
光人社文庫の大谷敬二郎のやつ

ところで 南次郎派ってのはどんなんだったの?
検索したら中国語ページのほうがたくさん出てくるんだが
0597名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/28(土) 15:49:54.15ID:8Mgt93ju0
>>596
宇垣系だねい。
現実的だし、常識的だし行政経験も豊富。
だから総理候補でもあったが、統制派に目の敵にされて能力を発揮できなかった。
0598名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/29(日) 00:03:32.31ID:EZe8Dkc90
>596
>立ち読みしただけだから詳しく覚えてない
>光人社文庫の大谷敬二郎のやつ

つまり、書名を挙げることも出来ない程度のあやふやな記憶に基づく発言なわけだね。

自分の発言の程度の低さを言明してくれてありがとう。
0599名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/29(日) 00:05:24.49ID:EZe8Dkc90
>597
>統制派に目の敵にされて能力を発揮できなかった

なに言ってんだ?

南と対立したのは満州事変後に出てきて陸軍中枢を掌握した皇道派だろ。

北岡伸一の「陸軍派閥対立の再検討」をちゃんと読め。
0601名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/29(日) 05:31:12.95ID:EZe8Dkc90
>600
>いやそれ、皇道派とか以前に三将軍擁立を誓って満州事変を推進した永田グループ。

まったく反論の体をなしていない。

お前さんは北岡伸一の著書『官僚制としての日本陸軍』に収録されている
「陸軍派閥対立(1931-1935)の再検討」をちゃんと読んでいるのか?

読んでいるのだとしたら、まったく文意を読み取れていないし、
読んでいないのだとしたら、そもそも反論を提示する資格がない。
0602名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/29(日) 10:04:30.68ID:0kuNvr8g0
>>601
その本にも永田が反南を明らかにして行動したのは、
満州事変や三月事件以来のことである。
政友会の小川に働きかけて犬養首相の陸相指名を
受けるなどの荒木擁立の工作をしていたと書いてあるね。

しかも二個所に書いてある訳だが?
本はちゃんと読もうよ。
0603名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/29(日) 23:10:13.75ID:EZe8Dkc90
>602
>本はちゃんと読もうよ。

そうだね、本はちゃんと読むべきだよね。

「以上検討してきたように、南軍政は、主としてソ連に対抗しうる軍備の強化をめざす
軍制改革と漸進的満州政策という、相互に関連しあった二つの政策を中心として展開されていった。
その過程で軍の伝統的体制に変革を加えることに反対する荒木以下の勢力、急進的満州政策の展開を
目指す関東軍、あわせて急激な国内改造を志向する桜会を中心とする一部中堅軍官僚、などの
反対派が浮上してきた。
南は建川、小磯等宇垣系将官と、永田・今村等中堅軍官僚を結束し、大将級将官については
軍事参議官会議の強化によって陸軍内の統制を進めていった。
南軍政はこのような体系性を持っていたがゆえに、満州事変と十月事件によってその中心部に打撃を受け、
没落することとなった。しかもそれを促したのは、年代的にも宇垣と南・金谷の間にあって要職から
遠ざけられており、それゆえに反宇垣的傾向の強い軍事参議官たちであった。」(p188)


「荒木による最初の定期異動におけるこの皇道派人事は、南以外にも、荒木に対する不信感を植えつけることとなった。
たとえば、前節に述べたように、荒木陸相擁立者の一人であった永田鉄山は一九三五(昭和十)年七月、暗殺される直前
に記した覚書の中に皇道派批判を展開しているが、その主要項目の一つは「人事不公正」であり、その項の冒頭には
「不適材不適所(山岡軍務、松浦人事)急激無理(中村人事ノ更迭、今村第二課長更迭、東條左遷〔三四年三月か〕、
二宮馘首〔三四年三月〕」とあり、第一期皇道派人事に対する永田の反発を示している。

永田は、前にも述べたように南軍政の重要な一角を担っており、荒木支持が明白であったのは、せいぜい満州事変の
勃発ないし十月事件の発覚のころから、一九三二(昭和七)年二月末の第一期皇道派人事までの五カ月程度であったと
いってよい。」(p191)

永田が南軍政に近い場所にいて、荒木への支持は極めて短い時期にしか見られないことがちゃんと書いてあるね。
0604名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/29(日) 23:18:22.89ID:EZe8Dkc90
さて、永田と南との距離が近かったことを論述した文章をもうちょっと引用しておこうか。

「ともかくも林の就任以後、南は林による人事行政の転換を強く期待していた。
その第一は皇道派の追放であった。なかでも南は秦憲兵司令官の更迭を不可欠とし、しかも秦は師団長としては
ならぬと強く主張していた。その第二は南系の抜擢であった。この中で南が最も重視したのは、建川を参謀次長に
起用することであった。これと関連して第三に、南は林に、宇垣排斥を行わぬよう申し入れている。
すなわち、皇道派の排除、南系の進出、宇垣内閣の成立によって、南は陸軍の新たな権力核と陸軍ー政府間の
新関係とを作り出そうとしていたのである。

(略)

 しかし南系の強い意向にもかかわらず、秦は師団長となった。また、南系が強く望んでいた建川の次長就任は
実現しなかった。さらに南系の有力者、小野寺長治郎経理局長が、主計閥全体の強い反対を押し切って更迭された。
小野寺は職務上、政党との関係も深く、南系の中では最も政治的な存在とみられていた人物であった。
このように林人事は政治的活動能力を持ち、それゆえに批判を受けることの多い人物を排除すること、
すなわち党派性の除去を主たる意図として推進されていったとみてよい。

 これに比べ南系とも連携して新たな権力核の形成に積極的であったのは、永田軍務局長であった。
従来、林と永田との一体性はしばしば指摘されているが、以外に根拠は薄弱なように思われる。
そもそも林の陸相就任について、永田は「意見アリシモ決定故致方ナシ」と語っていた。
また林は、四月十二日、南に「将来部内ノ切抜ノ自心ナシ。左右只有末〔精三、陸相秘書官兼陸軍省副官〕
アルノミナリ」と語っており、永田にはふれていない。

(略)

 一九三四(昭和九)年の人事における永田の主張については十分な資料が無い。
しかし、たとえば永田は小野寺の留任を可としていた。また、宇垣・南系の林桂によれば、
東條は「建川小磯ヲ中央ニ南ヲ担テ改革セント」して左遷されたという。
他方南の側でも、秦更迭後の憲兵司令官に一時永田を考え、また満州の要職への永田の起用を考えていた。
南系と永田との接近を推測してよいであろう。

 翌三五(昭和十)年の人事についてみるとき、永田の構想はいっそう明確となる。
「Nノ意見」と題された永田のメモには、更迭さるべきものが八名挙げられているが、それは南系の松井石根
軍事参議官を別とすれば、真崎教育総監、秦第二師団長、香椎浩平第六師団長、山岡整備局長、参謀本部の
牟田口廉也庶務課長、鈴木率道作戦課長、陸軍省の小藤恵補任課長の計七名の皇道派有力者であった。

 また永田の意見をもとにして林が作成したメモ(「強硬論、永田」)によれば、永田は人事の要綱として
八項目を挙げており、真崎の待命または軍事参議官、秦の待命、建川の次長就任、杉山の台湾軍司令官就任、
山岡整備局長の支那駐屯軍司令官への転出と東條の整備局長就任、小畑陸大校長の更迭と梅津の就任であった。
松井の場合のみを除けば、他は皇道派の全面後退と南系および統制派の全面進出であった。

(略)

 以上のように林の人事行政の背後には、すべての党派的勢力の排除をめざす林の方針と、南系と提携して
新たな権力核を形成しようとする永田の方針とが対立していた。」
(p203−206)
0605名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/29(日) 23:21:12.57ID:EZe8Dkc90
 永田は一九三三(昭和八)年十月の書簡において、「近世物質的威力の進歩の程度が理解出来ず、
青龍刀式頭脳、まだ残っていること、及び過度に日本人の国民性を自負する錯誤に陥っている者の
多いことが危険なり」として、「邦貧乏にして思う丈のことが出来ず、理想の改造の出来ないのが
欧米と日本との国状の差中最大なるものなるべし、此の欠陥を糊塗するため粉飾する為に、まけ
惜しみの抽象文句を列べて気勢をつけるは止むを得ぬ事ながら之を実際の事と思い誤るが如きは
大いに注意を要す」と述べていた。
皇道派に対する根本的な批判であった。

 こうした皇道派を追い落とすため、永田は、かつて荒木・真崎と一体と言われた林銑十郎を
利用することとなる。一九三四(昭和九)年一月、荒木が病気で辞職し、その後任に林が就任すると、
永田は三月にその下で軍務局長となり、皇道派を追い詰めていくのである。

 その際、対ソ軍備強化で一致していた南次郎および宇垣とも、永田は連携を強めていった。
敵の敵は味方であった。かつて永田は軍事課長として南軍政の一翼を担ったものの、宇垣・南を
政党政治から切り離すべく荒木を推した。しかし荒木軍政に失望して、今やがんらいの近代化
路線に立ち戻って、宇垣・南と接近したのである。さまざまな回想における二人の永田への
態度が温かいのは、そのためであろう。(p84)
0606名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/29(日) 23:27:45.64ID:EZe8Dkc90
この本をちゃんと読んでいれば、永田が荒木を支持したのは、あくまで陸軍内部が満州事変や十月事件などで
動揺しており、かつ政党政治の腐敗がとりわけ酷かった時期に、緊急避難的に荒木を推しただけのことであって、
総力戦を見据えた軍の近代化・機械化・火力装備や航空機の増強と言った軍事官僚として当然進むべき道を
見据えたときには、皇道派を排除すべき「愚物」として見据えていたのが明らかだし、それは宇垣・南の路線と
軌を一にしていたこともよく分かるはずだ。

それが理解出来ずに、永田が荒木に一時的に支持していたことをことさら重大事のように取り上げて、
北岡の論文の全体の趣旨を歪めようとするというのは、いったいどういう動機に基づくモノなのか、
理解に苦しむね。
0607名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/30(月) 09:50:34.97ID:KAznn8zx0
>>606
論点ずらすなよ。
永田グループはバーデンバーデンから水面下で宇垣や南を放逐して権力を掌握する事を狙っていた。
中国資源の支配のために満州事変を進め、反南工作を鮮明にした。
さらに荒木と真崎が傀儡にならないとみると南に続いて放逐工作を行った。
0608名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/30(月) 10:56:59.42ID:SpdPDSV/O
>607
根拠レスな言いがかりは止めてもらえないかな?
何かを主張したいのなら、資料なり文献なりを持ってきなよ。
0609名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/30(月) 13:32:44.29ID:KAznn8zx0
>>608
いや、アンタの主張についてアナン多の出してきた文献を引用して永田グループのもたらした混乱を述べたわけだが?
0610名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/30(月) 14:09:02.78ID:SpdPDSV/O
>609
え?
いったい何処で北岡の文章を引用したの?
たいへん申し訳ないが、私には君がどの部分で北岡論文の
引用をおこなったのか、まったくさっぱり分かんなかったので、
君が引用したという北岡の文章をもう一度提示してみてくれないかな?
0611名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/30(月) 14:14:12.36ID:KAznn8zx0
>>610
永田が満州事変から三月事件以降に南陸相を放逐する工作を表立って行ったこと。
政友会に働きかけて荒木擁立の工作をしていたこと。
0612名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/30(月) 14:32:22.33ID:SpdPDSV/O
>611
なに言ってんだ、こいつ?

南を陸相から放逐したのは、>603で引用したように、
荒木・関東軍・桜会の三つの勢力だ。
永田は今村とともに結束して南軍政の一翼を
担っていたって北岡は書いてるだろ。
ちゃんと論文を読めよ。

永田が政友会に働きかけたのは、南が辞職した後に、
後継の陸相に誰を選ぶかを政友会側が模索していた時点の話だ。

君の理解が粗雑なせいで事実関係を正確に
把握できていないだけのことだ。
0613名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/30(月) 15:22:10.76ID:KAznn8zx0
>>612
まだ排他的な狂った論理を振り回しているのかね?

私は別に南を陸相から放逐した勢力のうち、荒木・関東軍・桜会を排除などしていないわけだが?

それを踏まえて、永田は政友会の小川平吉へ工作して犬養首相に荒木と阿部から荒木を指名するように工作した。

それは北岡本に限らず書いてあるわけだが、永田信仰が深いと無謬に見えるらしいな。
0614名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/30(月) 16:26:58.79ID:SpdPDSV/O
>613
ほう。
で、北岡論文のいったいどこに「永田が南を放逐した」と書いてあるのかな?
きちんとページ数を明記して、北岡の書いた文章を抜き出してもらおうか。

たんに君の「永田が南を放逐した」という妄想を語ってもらっても困るんだがね。
何度も言うようだけど、荒木を陸相に氏名するように働きかけた時点で、
既に南の退陣は決定していたんだけど。

あと、君が>607で書いているように永田が満州事変を進めたという証拠を
提示してもらおうか。
0615名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/30(月) 17:06:22.09ID:KAznn8zx0
>>614
p82「一九三一(昭和六)年末、若槻内閣が崩壊し、犬養内閣が組閣を命ぜられたとき、永田鉄山は政友会の領袖の小川平吉に書簡を送り、
   荒木貞夫を起用するように述べている。宇垣の系統からは阿部信行を推す声が出ているが、それでは少壮・中堅は収まらない、どうしても荒木が必要だというのであった。」

p187も同様

p191「永田は、前にも述べたように南軍政の重要な一角を担っており、荒木支持が明確であったのはせいぜい満州事変の勃発ないし十月事件の発覚のころから、一九三二(昭和七)年二月末の第一期皇道派人事までの五ヶ月であったといってよい。」

とまあ中国資源の確保と共に一夕会の目的の一つであった、藩閥の流れとして攻撃対象にしていた宇垣系(南、阿部、建川、小磯)を放逐しているよね。
0616名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/30(月) 17:24:54.30ID:SpdPDSV/O
>615
あれ?
こちらの言う事がよく理解出来なかったのかな。

もう一度聞くよ?
「永田が南を放逐した」と書いてある部分を抜き出してくれ。
それから「永田が満州事変を進めていた」という部分も。

君の書き込みは上記の質問に全く答えていないんだけど?
0618名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/30(月) 17:47:17.81ID:SpdPDSV/O
>617
まったく提示してもらっていないんだけど?

いったいいつになったら返答を返して貰えるのかね。
0619名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/12/30(月) 17:54:53.05ID:KAznn8zx0
>>618
北岡伸一の著書『官僚制としての日本陸軍』
p76「一夕会が結成され・・・(二)満蒙問題解決の重視・・・を定めた」
p78「河本は日本が満州を直接把握するしかないと考え、・・・河本擁護が、一夕会の最重要課題となった」

筒井清忠『昭和期日本の構造』
p221「具体的に「張学良放逐」を決めたことが推測される」
p221「こうして中央部では永田、鈴木ら動き、関東軍では石原、板垣が動くということで満州事変の準備整えられていった。」
p223「最期の時点で決行の時期について石原らと永田らとの間にズレが生じていたことも事実である。しかし、大枠は一夕会によって進められていたことは理解されよう」

川田稔『浜口雄幸と永田鉄山』 
>>425
>>432
0620名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/30(月) 19:30:38.44ID:KAznn8zx0
>>619
緒方貞子『満州事変』岩波書店
p104「(昭和6年6月の関東軍・中央会合では奉天特務機関の花谷少佐の同秋における行動開始申請について)
花谷の早期行動開始申請に対して、次の者が同意を与えたといわれている。
すなわち、建川第二部長、重藤支那課長、橋本欣五郎ロシア班長は真っ先に賛成した。
永田鉄山軍事課長も賛意を示したが、根本博支那班長、東条英機動員課長は、準備の不完全を心配しながらも結局同意し、
二宮治重参謀次長および小磯国昭軍務局長もこれを了承した。
かくのごとく、満州への出動は軍中央部の最有力者の間で極秘裏に承認されたのである。」
0621名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/30(月) 23:08:35.73ID:LgCVgmiP0
>619
>北岡伸一の著書『官僚制としての日本陸軍』
>p76「一夕会が結成され・・・(二)満蒙問題解決の重視・・・を定めた」
>p78「河本は日本が満州を直接把握するしかないと考え、・・・河本擁護が、一夕会の最重要課題となった」

で?
これのどこが「永田が南を放逐した」「永田が満州事変を進めていた」になるの?

いいかげんちゃんと返答しなよ。


>筒井清忠『昭和期日本の構造』
>p221「具体的に「張学良放逐」を決めたことが推測される」
>p221「こうして中央部では永田、鈴木ら動き、関東軍では石原、板垣が動くということで満州事変の準備整えられていった。」
>p223「最期の時点で決行の時期について石原らと永田らとの間にズレが生じていたことも事実である。しかし、大枠は一夕会によって進められていたことは理解されよう」

根本的に勘違いしてるようだが、満州問題を解決するために軍事行動を起こそうというのは
なにも一夕会の策動とかではなくて、当時の省部中枢を含めた全陸軍の総意に近いモノだよ。
「昭和六年度情勢判断」や「満蒙問題解決方策の大綱」をきちんとよめば分かるとおり、
正々堂々と張学良側の非を鳴らして軍事行動を起こすことは、当時の陸軍の規定方針だ。

満州事変が問題なのは、その「決行の時期」を「現場の謀略によって早めた」ことにある。
筒井の指摘である「石原らと永田らとの間にズレが生じていた」というのは、とりもなおさず
永田が石原らの企図した非合法な謀略に対しては否定的だったことを示していると言って良い。


>川田稔『浜口雄幸と永田鉄山』 
>>425
>>432

<425>に対しては<426・428・430>で、
<432>に対しては<433・434・435>で、
すでに反論を論拠込みで提示済み。

425・432を書いた人は、こちらの提示した反論になんら返答出来ずに逃げだしたようだが。


>620
>緒方貞子『満州事変』岩波書店
>104「(昭和6年6月の関東軍・中央会合では奉天特務機関の花谷少佐の同秋における行動開始申請について)

その部分の叙述はすでにこちらが反証を提示済みの根本博の談話に基づいたものだろ。

根本の証言と根本的に食い違っている橋本談話や今村の回顧談との整合性が取れない以上、
「同意を与えたといわれている。」という確実性を欠いた推論でしかない。

いみじくも巻末で酒井哲哉がいっているね。
「史料的には現在の研究水準とは異なる」って。
0622名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/31(火) 11:34:42.63ID:6JInlY3o0
>>591
永田ヨイショ本で片倉の苦しい言い訳を鵜呑みにできるのだから思い込みなんて言えるのだろうな。
片倉のダブルスタンダードを見過ごすレベルだからスレ住人から全く支持を得られず永田を逆に
貶めていることを自覚して欲しいな。

皇道派への対抗策なのに宮中の掌握まで述べているのにそれを天皇を指さないとか言い訳にすらなっていないぞ。
勉強以前に常識のない奴は勉強すら無駄だということを証明しているな。

「思いこみ」で否定できると考える永田信者くんに聞こうか。

統制派の主張する「革新」とは何か?
宮中を押さえる意図は何か?
「事変突発二際シテハ希望スル後継内閣ノ組閣ヲ図リ之ヲ通ジ革新ヲ断行ス」とまで言っているのに
「議会否定ではない」と言える根拠は何か?

片倉が作成した要綱を一文すら引用せずに反論とは恐れ入るな。個人崇拝の行き着く先が詭弁を振りかざす
しかなくなるのは当然のことなのだろうけど
0623名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/31(火) 12:09:20.11ID:6JInlY3o0
>>592
後藤文夫は農林系ではなく内務系官僚だよ。犬飼暗殺後の斎藤内閣では右翼系を取り込む
挙国体制であり、後藤はそのパイプ役だよ。

外様の後藤の果たした役割は蔵相の是清と組んで農村負債整理組合法、農業動産信用法、米穀統制法
を議会に通したことだよ。外様にも関わらず後藤が農相というポストをあてがわれたのは後藤が民政党系
であり、議会対策を円滑にするためだよ。そして岡田内閣では内務相になり、2.26で襲撃されている。

苦しいねえ、永田信者くんよ、農林省内部というより地主を中心とする農会から上がった自力更生運動を
戦時体制の一環として永田や統制派につなげようとだいぶ知恵を絞ったようだが墓穴を掘ったな。

永田信者くんよ、2.26の将校たちが農村救済を掲げたようにまた一連の過程で満蒙開拓を農会が主張した事実を
もって戦時体制への協力者とする方がまだ筋は通るぞ。その場合は皇道派と統制派を重複させるため私は詭弁とみなすが
戦時体制に皇道派も統制派もないと思うスレ住人は賛同するだろう。

永田信者くんは歴史の勉強も詭弁の勉強も足りないなw
0624名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/31(火) 12:46:51.05ID:FRUn1oNs0
>>621
個人の感想で複数学者の見解を否定されてましても…

最後は永田信仰に縋るしかないとは哀れですね。

もっと普通に本を読んで文明人になろうよ!
0625名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/31(火) 13:28:27.04ID:Yo0/LFIj0
>622
>皇道派への対抗策なのに宮中の掌握まで述べているのにそれを天皇を指さないとか言い訳にすらなっていないぞ。

宮中ってのは宮内大臣や大臣府、枢密院や侍従武官などを中心とした「天皇周辺の高官」のことを指す用語なんだが。

戦前期の「宮中」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E4%B8%AD

戦前日本における天皇は統治権の総攬者であるとともに国家神道の祭司でもあり、皇室の家長でもあった。
そのため、宮内省(宮内大臣)及びその外局である内大臣府(内大臣)、侍従武官府、枢密院などといった
天皇の日常及び各職務の遂行のために必要な組織・人員が置かれていたが、大日本帝国憲法において天皇の
親裁権の確立と「宮中、府中の別」という原則が並立していた。
だが、一方で天皇が有していた天皇大権の大きさを背景として、国政の重要問題に関して天皇による調整が
期待されるようになると、宮中側の人々も政治的な問題に関与するようになった。
特に昭和期には彼らは「宮中グループ」もしくは「宮廷グループ」と呼ばれ、軍部や官僚などの諸勢力と
結びついて国政の動向に重要な影響を与えるようになった。
だが、宮中グループも標的とされた二・二六事件以後は強大化する軍部の力を府中・宮中ともに抑制することが
出来なくなったために、彼らと妥協もしくは積極的に加担することで自らの地位を保持するようになっていった。
近衛文麿や木戸幸一はその代表的人物とされる。


当時は近衛のような皇道派に近い人間が木戸や原田といった人間を通して宮中に影響を与えていたし、
枢密院には皇道派に繋がる右翼の大物である副議長の平沼騏一郎が、岡田内閣に近く天皇機関説論者だった
枢密院議長だった一木喜徳郎を攻撃して自分が枢密院を牛耳ろうと暗躍していた。
そして侍従武官長だった本庄繁が2・26事件で、担孤島×を主張する昭和天皇と皇道派の青年将校達の
間に立ってどのような態度を取ったか、まさか知らないわけじゃないだろうな。

こういう策動をする連中が宮中に盤踞している限り、皇道はがクーデターを起こした際にはその暗躍を
押さえるためには宮中を掌握することが肝要だというのはなんら間違っちゃいねーよ。
0626名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/31(火) 13:40:57.78ID:Yo0/LFIj0
>622
>統制派の主張する「革新」とは何か?

国内の改造であり、国家総力戦を可能なら占める環境を現出させることさ。
筒井の書物にも書いてあるだろう?

「永田は軍務局長に就任し、その下から軍事課員池田純久の起草したパンフレット『国防の
本義と其強化の提唱』が出された。
 パンフレットの基調は「国防力構成の要素」として「人的要素を充実培養し、挙国一致の
実を挙げんが為めには、国民全部をして斉しく慶福を享有せしめねばならぬ。国民の一部のみが
経済上の利益特に不労所得を享有し、国民の大部が塗炭の苦しみを嘗め、延ては階級的対立を
生ずる如き事実あれとせば、一般国策上は勿論国防上の見地よりして看過し得ざる問題である」
とする点にあった。このような視点から「農山漁村の匡救」のための方策が説かれ、資本主義
的・自由主義的経済制度が批判されたのである。

>宮中を押さえる意図は何か?

そもそもお前さんも引用した筒井清忠の『昭和期日本の構造』にはこういうことが書いてあるんだけど、
君には趣旨が理解出来なかったようだね。

「見られるように、「蜂起」の「成功」の可否の焦点は常に「暫定内閣」をめぐる点にあった。
最後の時点でも、青年将校に有利な暫定内閣さえできれば、彼らはたとえ捕縛されても恩赦の形で
出所することは可能であり、木戸の政治的資質が非凡でなければ、まさに「実質的には反乱軍の
成功に帰すること」になったであろう。
 木戸や湯浅ら(できうれば杉山参謀次長も)の行動が規制されていれば、天皇の前に次々とに
現れるのは、本庄侍従武官長、伏見宮海軍軍令部総長、川島陸相、准元老清浦奎吾と、
〈青年将校に有利な)暫定内閣の必要を進言するものばかりである。天皇が反対の医師を持って
いたとしても、これだけの「輔弼の臣」の進言を斥け通すことは容易ではない。その意味では、
この事件は磯部対木戸の戦いであり、磯部はいま一歩のところで敗れ去ったともいえよう。」
(p277−278)

クーデターを起こすにせよ、クーデターに対抗するにせよ、宮中を掌握することがいかに重要か
ということが理解出来ないというのはホントに度し難いね。


>「事変突発二際シテハ希望スル後継内閣ノ組閣ヲ図リ之ヲ通ジ革新ヲ断行ス」とまで言っているのに
>「議会否定ではない」と言える根拠は何か?

君が引用している一文のどこに「議会を停止する」とか書いてあるわけ?

議会は「立法の府(言論の府)」であり、内閣は「行政の府」だよ。
片倉らは「行政の府」を自分らの意向に沿う内閣にしようと策動しているだけで、
議会の否定などは行っていないんだけど?

そもそも君の言う「議会の否定」はすでに犬養内閣が5・15で倒れた後に議会に拠らない
斉藤内閣が出現したときにすでに行われているよね。

そのときの陸軍大臣が皇道派の荒木貞夫であり、その荒木が出した談話がコレだからねぇ。
「これら純真なる青年がかくの如き挙措に出でたその心情について考えてみれば涙なきを得ない。
名誉のためとか利欲のためとか又は売国的行為ではない。真にこれが皇国のためになると信じてやったことである。
故に本件を処理する上に単に小乗的な観念を以て事務的に片づけるやうなことをしてはならない」

こちらのほうが、よほど強く「議会否定」を行っているんじゃないかな。
なにせ議会において選ばれた首相をテロで殺した犯人のやったことを「皇国のためになる」とか
言ってのけてるんだから。
0627名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/31(火) 13:43:24.54ID:Yo0/LFIj0
>623
>後藤文夫は農林系ではなく内務系官僚だよ。

その農林省で、生え抜きの農林官僚であり、農政の第一人者として知られ、「農政の神様」とまで
いわれた石黒忠篤のことを知らないのかい?

後藤はその石黒と東京帝大法科の同窓生であり、かねてからの旧知の仲だ。
大竹啓介『石黒忠篤の農政思想』には、その辺の経緯が詳しく書かれているから、
よく読んでおくこったね。

いずれにせよ、昭和9年の時点での農林省による農村救済事業は後藤農相・石黒次官のコンビで
なかったらありえなかったという歴史的事実ぐらいは把握しておくべきだよ。
0628名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/31(火) 14:52:02.62ID:Yo0/LFIj0
>624
>個人の感想で複数学者の見解を否定されてましても…

その通りだね。

小林道彦『政党内閣の崩壊と満州事変』
「永田が榴弾砲の搬入・据付を認めたのは、東北軍との衝突に備えて関東軍の兵力の寡少を火力で補うためであった。
その後の経緯や永田らが作成した「満州問題解決方策の大綱」(六月)から見ても、 永田が全満州の武力制圧に
すでにこの時点で合意していたとは考えられない。」(p178)

「石原と荒木の策動は、陸軍内部における反宇垣系の策動の一端を示すものであった。宇垣による軍政改革を
実務的に支えていた永田や小磯は、南満州での武力衝突の可能性をも視野に入れつつあった。もっとも満蒙問題の
合法的解決路線に立っていた永田は、石原らの動きも危惧しており、参謀本部第一部に対する軍政系の統制力を
強めていた。 八月の人事異動では、永田の息のかかった建川美次(十三期)と今村均(十九期)がそれぞれ
第一部長と作戦課長に就任し、以後、彼らは対列強強調と国民世論の支持を重視する、内閣主導の政略出兵方式に
もとづく作戦計画を立案していく(六月十九日付「満州問題解決方策の大綱」)。永田らは、武力行使は時期尚早
であると考えており、中村事件を口実に関東軍が満蒙占領に打って出ることを強く警戒していたのである。」
(p180)


森靖夫『永田鉄山 平和維持は軍人の最大責務なり』
「ここで注意しなければならないのは、第一に永田ら五課長会は関東軍の軍事行動計画を知り、それを何とか
抑えるための方策が「大綱」だったということである。第二に「大綱」の解決プロセスが、統帥権を盾に内閣を
無視して陸軍が主導するというものではなく、外交交渉決裂の場合で、従来の慣行通り内閣主導により出兵を
行うというものだった点である。しかも内外の支持を得る準備期間を設けるという慎重さであった。
この点は永田が国家総動員を論じる際にもっとも重視した点で、ここでも一貫している。」(p156)


北岡伸一『官僚制としての日本陸軍』
「なお、以上のいわば漸進的な満州問題解決方針には、少なくとも省部中枢では、中堅層にまで相当広い合意が
存在した。先の「大綱」が定めた一九三二(昭和七)年春までの準備については、永田鉄山軍事課長が政策面を、
今村均作戦課長(八月一日着任)が作戦面を、それぞれ中心となって担当していくこととなっていた。
このうち今村は「大綱」を熟読し、「大臣総長の意のあるところを十分に諒解」し、「上司の人々の慎重な態度に
敬服」して作業を進めたという。また永田についても、八月八日、張学良顧問矢崎勘十少佐に送った次の書簡から
みて、「大綱」の方針に完全に一致していたことが知られる。

  対支対満問題に関する大兄の所論概ね同感、正道より進むを可とし奇の道も時に可なり。
  只何れの場合に於ても内国論の或る程度の理解醞醸と外諸列強の正義感を認むることを要し、
  奇道の場合国論を引きずり得る如くなさざるべからず。……問題の解決は陸軍丈けでは
  何としても出来ず、又上意なくして憲法の範疇外に出ることを許さず、陸軍の力のみにて事を
  決するは国が真に滅するや否やのドタン場の最大非常手段なり。……大兄等に於ても事を誤らざる
  如く善処を望む。

さて、以上の漸進論は、関東軍の容れるところとならず、ついに満州事変が勃発した。」(p180−181)



個人の意見で、複数の学者の見解を否定するのは無理があるよな。
0629名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/31(火) 15:03:46.08ID:Yo0/LFIj0
上記の書き込みで誤字があったので訂正しておきます。

×第一部長と作戦課長に就任し、以後、彼らは対列強【強調】と国民世論の支持を重視する
○第一部長と作戦課長に就任し、以後、彼らは対列強【協調】と国民世論の支持を重視する


それから、ここで三者が取り上げらている「満州問題解決方策の大綱」を掲示しておこう。

「一、張学良政権の排日方針の緩和については、外交当局と緊密に連絡の上、その実現に努め、
   関東軍の行動を慎重ならしめることについては陸軍中央部として、遺憾なきよう指導に努める。

一、右の努力にもかかわらず排日行動の発展を見ることになれば、遂に軍事行動の已む無きに到ることがある。

一、満州問題の解決には、内外の理解を得ることが絶対に必要である。
  陸軍大臣は閣議を通じ現地の状況を各大臣に知悉せしむることに努力する。

一、全国民、特に操觚界(ジャーナリズム)に満州の実情を承知せしむる主業務は、主として軍務局の任とし、
  情報部(第二部)はこれに協力する。

一、軍務局と情報部とは緊密に外務相関係局課と連絡の上、関係列国をして満州で行われている排日行動の実際を
  承知させ、万一にもわが軍事行動を必要とする事態に至ったときは、列国をして日本の決意を諒とし、不当な
  反対圧迫の挙に出でしめないように周到な工作案をたて、予め上司の決裁を得ておき、その実行を順調ならしめる。

一、軍事行動の場合、いかなる兵力を必要とするかは関東軍と協議の上作戦部において計画し、上長の決裁を求める。

一、内外の理解を求めるための施策は、約一ヶ年即ち来年春までを期間とし、実施の周到を期する。

一、関東軍首脳部に中央の方針を熟知させ、来たる一年間は隠忍自重、排日行動から生ずる紛争にまきこまれることを避け、
  万一にも紛争が生じた時は、局部的に処置することに留め、範囲を拡大せしめないように努めさせる。」
0630名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/03(金) 01:37:40.74ID:c4BKUaUO0
【不買運動】福島県いわき市は男性を侮辱した女性専用車両広告を使う反社会的組織です

福島県いわき市は女性専用車両という卑劣な男性排除によって生じた女のみの状態となた場所に広告を出して金儲けをしようとする反社会的企業です。

「ハダカのおもてなし」の女性専用車両広告
http://www.youtube.com/watch?v=B7f381sHUnQ&;feature=channel&list=UL
(音声はJR東日本中央線の駅員による女性専用車両乗車中の男子学生に対する暴言)

<女性専用車両にはこんな女が生息しています>
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&;list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi
0631名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/03(金) 12:27:20.69ID:qW/H7o50O
艦隊派と皇道派を対立させ、ソ連マンセー統制派と英米指向条約派を対立させたら楽しそうだぞ。
0632名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/03(金) 22:29:36.05ID:yFdbFnza0
陸軍の最後の薩摩閥は上原(薩摩支藩出身)、長州閥は田中(長州藩出身)
二人とも、藩閥の利益はたっぷり享受しておいて、先輩たちから受け継いだ
藩閥を個人閥化し、郷土の後輩に藩閥を受け渡さなかった。
0633名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/04(土) 22:05:26.97ID:Fk9iBYti0
別に永田鉄山による満州事変の容認や追認を否定していないから駄目だな。

成り立たない総力戦体制への運動は日本を破綻させた。

陸軍受けしなかった宇垣系や皇道派の協調政治や総力戦対応の方が実務的・現実的だったね。
0634名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/05(日) 20:10:18.02ID:xD4SSR530
永田信者は途中で自分の意見を混ぜちゃっているからね。
見ざる聞かざる言わざる、なのに言わざるだけが守れない。
永田の無茶振りが日本滅ぼしたというのに。
0635名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/05(日) 23:16:26.59ID:j+yq7uyv0
>633
>永田鉄山による満州事変の容認や追認を否定していない

なぜ満州事変の容認や追認を否定しなければならないんだい?

当時の陸軍大臣である荒木貞夫自身が、率先して満州事変を称揚して正当化しているってのに、
下僚である永田が否認できるわけがないだろうに。

>成り立たない総力戦体制への運動は日本を破綻させた。

粗雑な発言だね。
総力戦体制への指向が日本を破綻させた、というのをきちんと立証してからモノを言いな。

総力戦体制が出来ても出来なくても、無謀な戦争を仕掛けさえしなければ日本は破綻などしなかったろうさ。
愚かな政治指導しか行い得なかった為政者の無能と、総力戦体制を目指すことの可否をごっちゃにするなよ。

>宇垣系や皇道派の協調政治や総力戦対応の方が実務的・現実的だったね。

総力戦体制の構築を目指したのが宇垣の行った軍備整理なんだけど。
また、荒木が陸相として行った満州事変の拡大と満州国建国、国際連盟からの離脱などの施策が協調政治だって?

知識の欠如が甚だしくて話にならん。
0636名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/05(日) 23:18:43.34ID:j+yq7uyv0
>634
>永田の無茶振りが日本滅ぼしたというのに。

君の願望だか妄想だかはどうでも良いから、きちんとした論拠や根拠を持って来なよ。
0637名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/16(木) 12:04:24.09ID:BVAwZtec0
>>625
とうとう統制派が天皇を押さえる意図を持っていたことを認めたな。
宮中という語をどうしても天皇と切り離したいのは永田以下の統制派が
皇道派と同類になることを証明されるのを認めたくないのだろうが木戸や原田を「君側の奸」
とみなす思想は永田信者君の忌み嫌う皇道派のものだぞ。

>宮中を掌握することが肝要だというのはなんら間違っちゃいねーよ。
結局永田信者君はまた永田批判者になってしまうんだねwなんで皇道派を批判するのやら。

>そもそもお前さんも引用した筒井清忠の『昭和期日本の構造』
一度も引用したことはないが永田信者君よこのスレ住人は君の批判者で溢れかえっている
現状を認識して欲しいが。

しかもこの筒井の引用文では木戸が皇道派に敵対しているじゃないか、知的誠実さを持って
文章を書いて欲しいな。

>君が引用している一文のどこに「議会を停止する」とか書いてあるわけ?
要領八の「革新二対シ適正ナル与論ヲ指導シ国民多数ノ信頼ヲ獲得シ又諸外国ノ誤解ヲ生セサル如クス」
九の「革新妨害者ハ強制拘束ス」
これを見ても国民世論の代表である議会否定でないと言えるのだから信者君の読解力におそれいる。

今では珍しくもない「革新」という言葉が革命と同義なのは行動指針を見れば明らかなのにずれすぎだよ。
0638名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/16(木) 12:16:49.47ID:BVAwZtec0
>>627
>その農林省で、生え抜きの農林官僚であり、農政の第一人者として知られ、「農政の神様」とまで
>いわれた石黒忠篤のことを知らないのかい?

論点ずらし乙。もう自力更生運動はいいのかい?永田信者君はこれも永田の功績なんだろ?
農村救済事業なら是清や斎藤も入れることになるぞ。623でも述べたように民政党へのパイプ役
という大役も永田信者君には功績にならないのだから後藤も浮かばれないな。
どうして農会の事績を無視するのかい?592では後藤の政策だったのが石黒込みの条件部分に後退しているぞ。
歴史的事実とやらをコロコロ変えなさんな。

説得力を持たせたいなら「よく読んでおくこったね」なんて言わず引用しなよ。永田信者君はどうも知識の羅列にこだわり
木戸がいい例のように論旨が矛盾しすぎだよ。勉強以前に推敲してくれ
0639名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/16(木) 22:04:36.52ID:R5Ni7Lug0
>637
>とうとう統制派が天皇を押さえる意図を持っていたことを認めたな。

人の発言を捏造するのはやめて貰えないかな?
何度も言うように、「宮中」というのと「天皇」というのは別の概念であり別の言葉だよ。

>木戸や原田を「君側の奸」とみなす思想は永田信者君の忌み嫌う皇道派のものだぞ。

木戸や原田を「君側の奸」なんて誰が言っているの?
私が<625>の書き込みで挙げているのは、近衛文麿や平沼騏一郎や本庄繁といった連中だよ。

木戸も原田も、近衛の皇道派への傾斜に対しては真正面から反対している。
木戸日記や原田日記を良く読むこったね。

>>君が引用している一文のどこに「議会を停止する」とか書いてあるわけ?
>要領八の「革新二対シ適正ナル与論ヲ指導シ国民多数ノ信頼ヲ獲得シ又諸外国ノ誤解ヲ生セサル如クス」
>九の「革新妨害者ハ強制拘束ス」

うん。
どこにも「議会を停止する」なんて書いて無いね。

わざわざ自分の論旨が破綻していることを示してくれてありがとう。

>「革新」という言葉が革命と同義なのは行動指針を見れば明らか

君の妄想だか願望だかはどうでも良いよ。

ご苦労さん。
なんら有効な反論を提示できなかったようだね。
0640名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/16(木) 22:06:47.31ID:R5Ni7Lug0
>638
>もう自力更生運動はいいのかい?永田信者君はこれも永田の功績なんだろ?

だから、人の発言を捏造するのはやめて貰えないかな>

私の発言は<518>での「>永田らはそうした層を取り込むことを考えていたし、
所得格差を無くすために農村での小作の経済状況の改善と、都市部での労働問題の
対処として労働組合などの育成を政策に掲げていた。 」というもの。

それに対して<537>で「農村における産業組合(労働組合ではないよ)の結成は
農村に浸透し始めた社会主義思想を取り締まるためのものだよ。これは陸軍オリジナルというよりは
すでに農林省で計画され是清のいた斉藤内閣の自力更生運動の核とも言える政策だ。 」という
反論が寄せられた。

それを受けて、<539>で「永田が他の省庁の若手官僚との連携を進めていたことも
知らないのかい? 外務相や商工省も含めた、いわゆる「革新官僚」らとの協力関係こそが
永田を他の陸軍軍人とは一線を画する存在として他に知らしめた要因だ。」と返答したまで。


永田自身が「農村救済事業」に携わっていたなどとは一言もいっていないし、永田が自分で
農村救済事業を行えるのであれば、他省との官僚との連携などそもそも要らないだろうに。


>どうして農会の事績を無視するのかい?

だれが無視しているんだい?
農林省で行われた一連の農村救済事業は石黒忠篤の強力な指導力の元に推進された事業であり、
永田は大臣となった後藤と連携することでそれらの施策への協力を行っていたと言っているんだよ。

>説得力を持たせたいなら「よく読んでおくこったね」なんて言わず引用しなよ。

おやおや。
自分はどの本のどのページを引用して述べているのかな?
こちらに労力を費やすことを要求する割には自分は大した労力を払っていないようだがw

で?
君はちゃんと大竹啓介の『石黒忠篤の農政思想』は読んだのかな?

まさかこちらが引用するのを待って自分の不勉強を補おうなんていう
怠惰な気持ちを持っているんじゃ無かろうねw
0642名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/01/25(土) 10:26:59.28ID:Xr3KAh2m0
すり寄っていたのは他省からもだし
永田に限ったことではないよ
0643名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/27(月) 22:20:01.20ID:f0x1Cfuj0
マルハニチロホールディングスの子会社「アクリフーズ」の群馬工場で製造された冷凍食品から農薬が検出された事件で、待遇面での不満が、犯行の動機として浮上してきている。35歳の男の素顔、そして、犯行とも関わる工場内での行動が見えてきた。
27日午前11時40分、ウェザーニューズのキャスターストーカーの山川広 (ひろ1979@山形人 自宅警備員 在日朝鮮人)が警察署から出てきた。
27日午前 ウェザーニューズのキャスターストーカーの山川広 (ひろ1979@山形人 自宅警備員 在日朝鮮人)(35)の身柄が検察に送られた。
上下グレーのスエット姿で、階段を下りたあと、警察官に促され、車に乗り込んだ。
ウェザーニューズのキャスターストーカーの山川広 (ひろ1979@山形人 自宅警備員 在日朝鮮人)は、契約社員として勤務するアクリフーズ群馬工場で、冷凍食品に農薬の「マラチオン」を混入させた偽計業務妨害の疑いが持たれている。
ウェザーニューズのキャスターストーカーの山川広 (ひろ1979@山形人 自宅警備員 在日朝鮮人)が勤務していた工場では、27日朝、足早に出勤する従業員らの姿が見られた
0644名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/28(火) 00:28:32.74ID:T5XfwokGO
永田の唯一評価出来るところはチョンはクズで悪さばかりしているからさっさと独立させて切り離せと言っていたとこくらい
0645「ガスライティング 集団ストーカー カルト」で検索を!
垢版 |
2014/01/28(火) 01:27:44.77ID:DfgxwuE+0
★マインドコントロールの手法★

・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
 偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法

・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
 誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法


↑マスコミや、カルトのネット工作員がやっていること

TVなどが、偏った思想や考え方に染まっているフリや常識が通じないフリをする人間をよく出演させるのは、
カルトよりキチガイに見える人たちを作ることで批判の矛先をカルトから逸らすことが目的。

リアルでもネットでも、偽装左翼は自分たちの主張に理がないことをわかっているのでまともに議論をしようとしないのが特徴。
,..,
0646名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/02(日) 06:16:34.56ID:CyqOmMF+0
WEDGE 2014年2月号
経済の常識・政策の非常識 by 原田 泰
誤った認識で3本の矢を狂わせるな
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3520

農村の疲弊で娘の身売りが激増した悲劇が、2・26事件などに結びついていったとされるが、
当時のデータを調べてみると、必ずしもそのような実態はなかったと原田氏が指摘している。
つまり、誤まった認識による逆上が軍国主義を招いたという分析をしている。
0647名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/05(水) 03:18:17.31ID:febo+sLd0
200くらいまではおもしろかったのになぁ

永田って当時最も頭の切れる男だったって言われるけど、陸大は梅津が首席らしね。梅津について勉強したいんだけど、なんかいい本あるかな
0648名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/07(金) 23:55:14.58ID:doeOPgYT0
>647
質量ともに、いちばん良いのは芙蓉書房から出ている『最後の参謀総長 梅津美治郎』じゃないかねぇ。

本人が日記や手記のたぐいをまったく残していないから、ほぼ全編軍内の上司・同僚・部下の談話等から
その時々の梅津の言動を浮かび上がらせるという手法を採っている。

むしろ、本人の日記や手記に頼って記述された伝記などよりも、本人の人物像がより深く窺えるものに
なっているといえるから、梅津の事績を詳しく知りたいならこれを読むと良いと思うよ。
0649名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/08(土) 00:45:53.47ID:4hWwHQ7j0
>>648
それを読んで興味を持ったから>>647の質問に至ったのだ
その本が面白かったら、昭和軍事史叢書に興味を持ったけど、全巻のタイトル一覧とかどっかにないかね
池田純久と阿南惟幾にも興味を持ったからいずれはその方面も勉強したい
0650名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/08(土) 17:52:37.02ID:9A6WTb9+0
>649
おう、こりゃ失礼。

けど、この本以外ではあとは周辺の事情を調べた本を読んでいくくらいのコトしかないんじゃなかろうか。
それぐらい、この本に収められた情報量は他の書籍を圧倒してるから。

陸軍関係の本はけっこう読んできたつもりでいるけど、梅津について述べている本ってむちゃくちゃ少ないよ。
しかもそうした本で述べられている内容は、ほとんどのばあいこの本にも収録されていたりするし。
0651名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/08(土) 19:46:30.51ID:4hWwHQ7j0
>>650
ありがとう。やっぱ外堀から埋めるしかないのか……
昭和陸軍の超重要人物だと思うのにあまり顧みられないよね
0652名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/08(土) 23:21:16.25ID:9A6WTb9+0
>651
>昭和陸軍の超重要人物

同感。

昭和天皇をして「後任陸相には畑か梅津を選べ」とまで言わしめるほどの信任を受けていたくらいだし。

あのときに畑ではなく梅津が陸軍大臣の椅子に座っていたなら、歴史の流れもけっこう変わったんじゃないかと思うんだよね。
少なくとも、米内内閣が倒壊することは無かった可能性が高いし、そうなれば三国同盟の締結もしないで済んだかもしれない。

近衛内閣時の日米交渉が暗礁に乗り上げたのも、陸相の東條が頑強に大陸からの撤兵に反対したからだったけど、
梅津だったら陸軍内部の異論を押さえ付けるだけの統制力があったろうから、撤兵という難題も実現したかもしれない。

タイミングとか巡り合わせとか、何とも言いようがないけど、もったいない人材だったよなぁ。

まぁ、終戦時に参謀総長を務めて、阿南を含めた軍のクーデターの企図に断固反対を示しただけでも、
実際にはとてもつもなく巨大な功績なんだけど、阿南の自決の印象の方が強く印象づけられているせいか、
ここでもやたらと影が薄いという・・・
0653名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/09(日) 11:37:02.21ID:1SMek/c70
>>652
東條より優秀なのは間違いないが、梅津をもってしても当時の流れを変えられなかったような気もする
ただ、あの関東軍から独断専行を排し、国境で静謐を保ったわけだし、中央も抑えられたのかな?
ソ連が戦犯にしようとしたのも、きっと梅津時代の関東軍を恐れたからなんだろうな
0654名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/09(日) 12:44:30.60ID:MYJbS2Cg0
>>653
優秀の意味にもよるが、梅津だからといって陸軍は押さえられないだろ。
それが永田の作った中堅支配システムなんだから。

畑にできなかったんだから難易度はさらにあがるし。
0655名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/10(月) 16:03:03.42ID:dQ/ubSLz0
そもそも政治的理念を同じくして集まった団体ではないにも関わらず、陸軍を政治団体化しようとしたのが永田の失敗だな
0656名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/10(月) 21:56:42.18ID:5pplxggT0
>653
>梅津をもってしても当時の流れを変えられなかったような気もする

よくそうしたことを言う人がいるけど、当時のことをミクロの視点で検討してみると、
日本が戦争へ向かっていく重要な決断の個々の場面(三国同盟締結・日米交渉・南部仏印進駐など)で、
もう少し理性的な人間が強硬論を吐く人間を抑えていたなら開戦には到らなかった可能性が
あることを見落としてる。

組織のトップが現場の突き上げに流されずにちゃんと冷静な決断を下していたなら、回避できた選択が実に多い。
0657名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/10(月) 21:59:48.31ID:5pplxggT0
>654
>それが永田の作った中堅支配システムなんだから。

永田が作ろうとしていたのは陸相に権限を集中して下克上を起こそうとする連中を
抑え込むことで「統制を確立した組織」だよ。

中堅支配システムというのは、陸相から権威と権限が失われ、下克上が活発化していった
からこそ現出したシステムだと言うことが理解出来ないのかな?
0658名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/10(月) 22:00:44.65ID:5pplxggT0
>655
>そもそも政治的理念を同じくして集まった団体ではないにも関わらず、陸軍を政治団体化しようとした

それって、まるっきり荒木や真崎らの皇道派のことじゃん。
0659名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/10(月) 23:11:50.89ID:dQ/ubSLz0
>>658
永田が陸相重視してたのは同意。
でも、やりたかったのは陸相を通じて内閣に影響を与えることじゃないの?
そして、それこそが俺の言いたかった「陸軍の政治団体化」だ。
そして、元から陸軍全体で目標が一致するわけないのに、陸軍が政治力を手に入れた結果が、強硬論で相手を引きずり降してはその強硬論が国策として採用される連鎖だ
0660名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/11(火) 00:21:45.73ID:l6AdNvmm0
>659
>やりたかったのは陸相を通じて内閣に影響を与えることじゃないの?

考え方が逆だよ。
陸相を通さない限りは内閣に影響を与えられないってところが肝要。
陸相が認めた意見だけが「陸軍の意見」として内閣に伝わるというのが原則なの。

>元から陸軍全体で目標が一致するわけないのに

陸軍全体で目標が一致するわけなど無いんだから、それぞれに違う意見を陸相が
善悪理非を判断して許容した意見のみを採用し、それ以外は却下するという形で
「表出する陸軍の意志」をコントロールするのが「統制の効いた陸軍」というもの。

現地軍は「軍事作戦をするぞ、兵を増員しろ、そんための予算をよこせ!」っていうし、
航空担当者は「爆弾をもっと積める性能の高い飛行機を作れ、そのための予算をよこせ!」といい、
砲兵は「強力な大砲を作れ、火薬を改良しろ、射程を伸ばせ、そのための予算をよこせ!」といい、
歩兵は「機関銃を軽量化しろ、無尽蔵にばらまけるだけの弾薬を装備させろ、そのための予算をよこせ!」といい、
騎兵も、軍医も、以下同文。

こんな調子で、それぞれの立場によって意見が割れるのは当たり前なんだから、陸相は獲得可能な
予算がどれだけなのかのメドを付けた上で、各部署の要求内容を勘案して全体のことを考えながら
優先順位を決めなければならない。

そのためには、陸相(およびそのスタッフである次官・軍務局長)以外の人間が
「これが陸軍の意志である」なんてことを主張して内閣の施策に影響を与えちゃいけないの。

教育総監が「国体明徴」なんてことを主張して倒閣に走るなんてのはもっての他だし、
それを受けた隊付将校が「内閣を倒せ」なんて騒ぐなんてのは論外もいいとこ。

>陸軍が政治力を手に入れた結果が、強硬論で相手を引きずり降してはその強硬論が国策として採用される連鎖だ

陸軍が政治力を手に入れたのではなくて、陸相によるコントロールという統制力が失われた
結果として、陸軍内の各組織が暴走を始めて、議論の対立相手を「腰抜け!」と罵倒して圧伏できる
強硬論だけが大手を振ってまかり通るようになり、その強硬論が持つエネルギーが内閣を揺さぶって
国策をねじ曲げていったというのが実情に近い。
0661名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/11(火) 00:46:31.58ID:OeSiF8z60
それなら永田関係なく元からの陸軍のありかたじゃん。
彼らが嫌ってた藩閥軍人がやってたことそのもの。
荒木だってもともとは永田たちが担いだ神輿だろ。
0662名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/11(火) 01:40:20.69ID:l6AdNvmm0
>661
>元からの陸軍のありかたじゃん

永田はもともと宇垣が陸相の時に行った宇垣軍縮、人員の削減と装備の近代化を
実務で支えていたウチの1人なんだけど?
永田が批判したのは無能な人間が中央で要職に就くことを可としていた
藩閥のあり方を批判したのであって、組織を統制する陸軍本来のあり方を
否定したことなど無いよ?

>荒木だってもともとは永田たちが担いだ神輿だろ。

<416>で既に書いていることではあるが、イマイチ通じていないようなので再掲載。

>陸相をやらせてみるまで、まさかこんな基地外だとは思わかなったろうからねぇ。
>テロで首相を暗殺するような連中を指して、「志は良し!」とか言ってのけちゃうんだから
>あいた口もふさがらなかったろうよw
>普通は、自分の足もとの軍人が犯罪を犯したんだから「責任を取って辞職します」
>くらいの見識を見せるのが当然なのにね。


「かつて永田は軍事課長として南軍政の一翼を担ったものの、宇垣・南を政党政治から
切り離すべく荒木を推した。しかし荒木軍政に失望して、今やがんらいの近代化路線に
立ち戻って、宇垣・南と接近したのである。さまざまな回想における二人の永田への
態度が温かいのは、そのためであろう。(p84)

「永田は、前にも述べたように南軍政の重要な一角を担っており、荒木支持が明確で
あったのはせいぜい満州事変の勃発ないし十月事件の発覚のころから、一九三二(昭和七)年
二月末の第一期皇道派人事までの五ヶ月であったといってよい。」 (p191)

どちらも北岡伸一『官僚制としての日本陸軍』より。
0663名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/11(火) 05:02:50.13ID:6Ie4zS8T0
>>657
陸相に権力を集中して下克上を起こすって、何の例?
永田がやったのは課長前後が結託して実務を曲げて上司をコントロールしたことじゃない。

そして自分が上司になったときには部下がコントロールできない環境を整備してしまった。
0664名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/11(火) 15:15:39.34ID:l6AdNvmm0
>663
>永田がやったのは課長前後が結託して実務を曲げて上司をコントロールしたことじゃない。

永田が実務を曲げた?
その実例を示して見ろよw

永田は常に上司に対してはその意向に沿って仕事をするようにしているよ。
あくまでその上で自分の意見は意見として具申しているだけで、それを上司が却下したときにはちゃんとそれに従っている。

>自分が上司になったときには部下がコントロールできない環境を整備してしまった。

永田が上司となったときに、部下が離反してしまった例なんてほとんど無いんだけど?


「以上で察せられることは、永田が政治問題に関心を有した事実であるが、しかもその政治的意見は、
少しも脱線していない。民主主義の政治家が構想するところと同一の線を歩いている。
 一言にして評すれば、彼は円満なる政治常識をもつ軍人であった。この常識があったから、
昭和九年末、統制派の中佐級幹事、兵力の威嚇を用いて軍本意の政権を獲得するという原案を拒否し、
「軍の要望は、現憲法下において陸軍大臣を通してのみ期生する」方針に改めさせたのである。
そうして革新的要請は、新官僚の協力をまって成案し、陸相をして閣議に要求させることになったのだ。
 相当に鼻息の荒かった統制派の将校が、永田の方針に文句なく従って固く一本となったのは、
即ち彼の指導力と統制力を照明するものであって、残る問題は、いかなる「革新政策」を
作成要求するかの一点にあった。
(中略)
 不幸にして永田はこのテストの日まで生きなかったのである。幹事達が作った暴力案を
陸相一本主義に修正し、これから政策の作製指導というところで殺害の悲運に会ったのである。
だから永田が生きていたら軍はどうなったかの問題は、すべて想像ではあるが、しかし彼の
知力と統制力とは、軍を立派に建て直したろうというのが衆評の一致するところだ。」
(伊藤正徳「「永田がいたら」の声」『軍閥興亡史 2昭和軍閥の形成まで』)
0665名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/11(火) 22:01:02.11ID:6Ie4zS8T0
>>664
永田は南-金谷の穏健派路線をねじ曲げて真崎荒木林の擁立を図ったり
中国資源が欲しくて満州事変を推進したり
薩長出身者の陸大入学を阻止したり
中堅層に同志を配置して下克上の陸軍支配を始めたよね

結局は陸相の抑えが効かない陸軍を作って日本を駄目駄目にしてしまいました
0666名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/12(水) 10:40:24.68ID:04gCOwsB0
>665
>永田は南-金谷の穏健派路線をねじ曲げて真崎荒木林の擁立を図ったり

事実無根だね。

「以上検討してきたように、南軍政は、主としてソ連に対抗しうる軍備の強化をめざす
軍制改革と漸進的満州政策という、相互に関連しあった二つの政策を中心として展開されていった。
その過程で軍の伝統的体制に変革を加えることに反対する荒木以下の勢力、急進的満州政策の展開を
目指す関東軍、あわせて急激な国内改造を志向する桜会を中心とする一部中堅軍官僚、などの
反対派が浮上してきた。
南は建川、小磯等宇垣系将官と、永田・今村等中堅軍官僚を結束し、大将級将官については
軍事参議官会議の強化によって陸軍内の統制を進めていった。
南軍政はこのような体系性を持っていたがゆえに、満州事変と十月事件によってその中心部に打撃を受け、
没落することとなった。しかもそれを促したのは、年代的にも宇垣と南・金谷の間にあって要職から
遠ざけられており、それゆえに反宇垣的傾向の強い軍事参議官たちであった。」
(北岡伸一『官僚制としての日本陸軍』p188)

ここに書かれてあるとおり、南-金谷路線の敗退は満州事変と十月事件のダプルパンチが主要原因であり、
永田はこの両事件には火消し役を務める立場だったよ。

>中国資源が欲しくて満州事変を推進したり

すでに<628>で提示済みなんだが。

森靖夫『永田鉄山 平和維持は軍人の最大責務なり』
「ここで注意しなければならないのは、第一に永田ら五課長会は関東軍の軍事行動計画を知り、それを何とか
抑えるための方策が「大綱」だったということである。第二に「大綱」の解決プロセスが、統帥権を盾に内閣を
無視して陸軍が主導するというものではなく、外交交渉決裂の場合で、従来の慣行通り内閣主導により出兵を
行うというものだった点である。しかも内外の支持を得る準備期間を設けるという慎重さであった。
この点は永田が国家総動員を論じる際にもっとも重視した点で、ここでも一貫している。」(p156)

北岡伸一『官僚制としての日本陸軍』
「なお、以上のいわば漸進的な満州問題解決方針には、少なくとも省部中枢では、中堅層にまで相当広い合意が
存在した。先の「大綱」が定めた一九三二(昭和七)年春までの準備については、永田鉄山軍事課長が政策面を、
今村均作戦課長(八月一日着任)が作戦面を、それぞれ中心となって担当していくこととなっていた。
このうち今村は「大綱」を熟読し、「大臣総長の意のあるところを十分に諒解」し、「上司の人々の慎重な態度に
敬服」して作業を進めたという。また永田についても、八月八日、張学良顧問矢崎勘十少佐に送った次の書簡から
みて、「大綱」の方針に完全に一致していたことが知られる。」(p180−181)

>薩長出身者の陸大入学を阻止したり

それを行ったのはこの時期の陸大教官を務めていた東條英機らしいね。
永田が直接的に関与したという記録はないよ。

>中堅層に同志を配置して下克上の陸軍支配を始めたよね

人事局補任課長の地位にいたのは岡村寧次であって永田じゃないよ?
何を勘違いしているのかな?
0667名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/12(水) 20:24:11.52ID:XQBB7a0Z0
>>666
アホかよ?本人がやっていないから無罪とかやっていてもよそ見してるんだもんな。
0668名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/14(金) 10:16:44.59ID:Nu5Fg9l00
また永田信者が暴れたのか。もうこのスレ落としていいんじゃね
ちょっと人集まってきてもすぐ過疎る
0669名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/15(土) 14:11:56.82ID:wHTYj6fl0
二葉会や一夕会を主導首謀していたのが永田なのに
やったことに責任がないとはすごい論理だな。
0670名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/17(月) 06:51:19.14ID:CBnCa7Uw0
どうして永田や梅津なら陸軍を抑えられたとか幻想が抱けるんだろうな?
個性や能力で何とかなるようなものじゃなくもっと構造的な問題なのに。
0671名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/17(月) 14:12:15.82ID:8ME6udPo0
>670
現実に永田と梅津が部下の策動や下克上の傾向を抑え込んで、組織を纏める手腕を示したからだよ。

そういう手腕を持った人間が殺されたり、あるいは重要な場面で中央から離れたところで勤務せざるを
得なかったりしたことに問題があり、そうなっていなかったらあのような破滅的な事態には立ち至らなかった
可能性があると考えることは至極当然の話。


海軍で言えば、米内・山本・井上といった三国同盟に反対するメンバーが海軍省に残っていれば、
ナチスドイツと同盟を結ぶなどという選択をしなかった可能性が高いし、延いては日米戦争へと
なだれ込むような事態には立ち至らなかった可能性があると考えることに相応の妥当性があるのと一緒。

構造的な問題はあったとしても、それは重要な位置にいる人間が毅然とした意志を示して組織を
取りまとめることで抑え込むことは可能だ。

そうした基本的な個々の史実をよく理解していない不勉強な人間が、「あの戦争は仕方がなかった」とかいう
負け犬のような歴史観に捉われてしまっていて、本来追求されるべき「あの場面でこの人物がこのような判断を
下したことに戦争に突入していった原因の一つがある」といった省察を行うことを怠っているだけ。
0673名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/17(月) 19:38:42.27ID:CBnCa7Uw0
>>671
それはそれは司馬とか阿川の本読んでカブれた一昔前の人みたいな意見ですね?

どうせちょっと前までは石原にガブれていたんじゃねえのかと。
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