X



【派閥】統制派vs皇道派・条約派vs艦隊派【抗争】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2010/11/28(日) 19:52:38ID:iZIsiJvG0
派閥抗争で優秀な人材を失った陸海軍。結果開戦時の軍首脳部は
とんでもないメンツで挑まざるを得なかった。永田鉄山や堀悌吉がいたら
違った結果になったのでは
0715名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/13(金) 20:39:33.15ID:dyqAf0OT0
>>713
「帝国陸軍「革新」志向諸グループと反「長閥」運動--レトリックとしての反「長閥」」堀茂『軍事史学 44(2)』

「「長閥」の数値的実態に関する一考察--「二葉会」による長州人陸大入校阻止について」堀茂『軍事史学 43(1)』


名がマンセーさんには見えないかつ読めない論文です。
派閥で権力を握ろうと意地悪をした永田のやったことを忘れちゃダメよね。
0716名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/14(土) 00:24:57.69ID:2kHIY/h90
>>715
>マンセーさんには見えないかつ読めない論文です。

んじゃ、概要を述べておくれ。
タイトルを述べるだけならいくらでもできるが、こちらの主張を否定する内容の論文だとは全く思えないがw

反「長閥」というのレトリックだったとするならば、なおのこと永田がそのような行動をとったことはないという
傍証にしか過ぎないんだけどw
0717名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/14(土) 03:09:23.92ID:WIGYLv4S0
>>716
駄目だこの人。読んでも読まなくても結論一緒なんだもん
ああなんと篤い永田への信仰心であることかねえ
0718名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/14(土) 11:27:17.50ID:2kHIY/h90
>>717
読んでやってもいいから、その前にまず概要を述べよって言ってんだが?w

それとも、概要を書いたら何か都合がまずいことでもあるのかい?

こちらは小林道彦や北岡伸一の著書から、ちゃんと必要な部分を切り出して引用しているんだが、
君はそれはできないってことでいいの?w
0719名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/15(日) 22:57:43.11ID:QVxFnSfx0
>>718
黒ヤギさんたら読まずに述べた

結論先行で曲解するなら読んでも無駄だろう?

小林や北岡や川田や筒井の時も同じ
0720名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/16(月) 06:11:51.19ID:19+nz36m0
あーそれなら読んだよ。

永田は長閥の実態がないのを自覚していたにもかかわらず
同志を募って自派の結束を固めるためのスローガンに使ったとか

永田達は山口県出身者の陸大入学を阻止したことが異常確率から実証されたとか
0721名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/16(月) 06:53:12.28ID:+PeJZX7u0
>>719
>結論先行で曲解するなら

こちらが曲解した事例をどうぞw

>>720
>同志を募って自派の結束を固めるためのスローガンに使った

「長閥打破」がスローガンとして機能する程度には、当時の陸軍内ではかつて存在していた
長州閥への反感が強かったという証左だね。

>山口県出身者の陸大入学を阻止したことが異常確率から実証された

陸大入学者って毎年50人くらいなんだけど、全国で47ある都道府県のうちで
何年間か山口県出身者が入らなかったってのは「異常な高率」なのか?

試験での選抜がある以上、毎年毎年、全部の都道府県から均等に一人ずつ陸大に入学するという方が
確率的におかしいだろう。
山口県以外の都道府県で「数年間合格者がいなかった事例」というのが存在するかどうかを
調べたうえでの「異常な高率」って結論なのか?
0722名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/18(水) 00:31:05.96ID:oWiB3juT0
.
_ ,. -‐ '' ´   :::::::::',   ハワイを奇襲攻撃する!!        r::-  _
               :::::::::'、   早期開戦こそが、日本が勝つ         /::::::::   ´` '
                ::::::::':、    唯一の策である!!!                       ,.:':::::::
                 ::::::::ヽ         / ̄\         /:::::::
                ::::::::丶        |      |        ,.::'::::::::::
                 ::::/  ,:、     \_/      _,..:'::::::::::
                  /   ,..':::::::>   _|__  ... く::::::::::
             /   ,.::::::::    /\ , , /\ `、 \
              /    ,.∩     / <●>  <●>\.`、  \∩
          /     , ' l ヽ∩ /   (__人__)    \ ∩ノ j
       /     ,    ヽ ノ |      |::::::|      | ヽ ノ \
       /      , '      | ヽ \     ` ⌒´    / / j    \
    /      , '      \  ̄            ̄  / `、   \
  ./       , '               山本五十六


なにもかも、このバカが悪いw

ハワイを不法攻撃したテロリスト犯罪者

アメリカを全面参戦させ日本を惨敗させた最悪のアホwww

日本が負けたのはこのバカのせいwwwwwwwwww
0723名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/18(水) 04:43:00.87ID:ctCyVR/00
>>721
満州派とかいって板垣や石原を永田と切り離しちゃうのは拙ずかろうね。
満州事変について永田は何年も前から推進してきたし現地世要請に応じて北大衛攻撃用の大砲を送ったりしている。
慎重てあっても賛成派であり事変容認派であったのは明らか。

読んでない論文を推定で批判している主張は非論理的だね。
永田は実体がないのを知っていて山口県出身者を排除して自派を顕職に就けて権力掌握に励んでいたのに。
永田が目的に掲げていたことの一つ。
0724名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/18(水) 12:17:55.86ID:v8A9gw6R0
>>723
>満州派とかいって板垣や石原を永田と切り離しちゃうのは拙ずかろうね。
>満州事変について永田は何年も前から推進してきたし現地世要請に応じて北大衛攻撃用の大砲を送ったりしている。

このコピペ貼るのって、これが何回目だったかっけかなぁ。

「以上検討してきたように、南軍政は、主としてソ連に対抗しうる軍備の強化をめざす
軍制改革と漸進的満州政策という、相互に関連しあった二つの政策を中心として展開されていった。
その過程で軍の伝統的体制に変革を加えることに反対する荒木以下の勢力、急進的満州政策の展開を
目指す関東軍、あわせて急激な国内改造を志向する桜会を中心とする一部中堅軍官僚、などの
反対派が浮上してきた。
南は建川、小磯等宇垣系将官と、永田・今村等中堅軍官僚を結束し、大将級将官については
軍事参議官会議の強化によって陸軍内の統制を進めていった。
南軍政はこのような体系性を持っていたがゆえに、満州事変と十月事件によってその中心部に打撃を受け、
没落することとなった。」
(北岡伸一『官僚制としての日本陸軍』p188)

森靖夫『永田鉄山 平和維持は軍人の最大責務なり』
「ここで注意しなければならないのは、第一に永田ら五課長会は関東軍の軍事行動計画を知り、それを何とか
抑えるための方策が「大綱」だったということである。第二に「大綱」の解決プロセスが、統帥権を盾に内閣を
無視して陸軍が主導するというものではなく、外交交渉決裂の場合で、従来の慣行通り内閣主導により出兵を
行うというものだった点である。しかも内外の支持を得る準備期間を設けるという慎重さであった。
この点は永田が国家総動員を論じる際にもっとも重視した点で、ここでも一貫している。」(p156)

北岡伸一『官僚制としての日本陸軍』
「なお、以上のいわば漸進的な満州問題解決方針には、少なくとも省部中枢では、中堅層にまで相当広い合意が
存在した。先の「大綱」が定めた一九三二(昭和七)年春までの準備については、永田鉄山軍事課長が政策面を、
今村均作戦課長(八月一日着任)が作戦面を、それぞれ中心となって担当していくこととなっていた。
このうち今村は「大綱」を熟読し、「大臣総長の意のあるところを十分に諒解」し、「上司の人々の慎重な態度に
敬服」して作業を進めたという。また永田についても、八月八日、張学良顧問矢崎勘十少佐に送った次の書簡から
みて、「大綱」の方針に完全に一致していたことが知られる。」(p180−181)

>読んでない論文を推定で批判している主張は非論理的だね。

だから、こちらは「さっさと概要を提示しな」って言ってるんだけど。
それをしない以上、タイトルから読み取れる部分とそちらが提示した文章から類推できる内容に対してのみ
反論を提示しただけさ。

こちらの主張に瑕疵があるというのであれば、論文本文からこちらの主張の反証となる文章を抜き出して
提示すればそれでいいだけのことだよ。

>永田は実体がないのを知っていて山口県出身者を排除して自派を顕職に就けて権力掌握に励んでいたのに。

「長州閥に対する怨念の持ち主」という実体なら、荒木貞夫や真崎甚三郎という皇道派首脳という形で
存在していたけどね。

それに「自派を顕職に就け」るも何も、当時の一夕会の連中なんぞ省部の課長や主任レベルばっかりで、
顕職なんてのには程遠い状態だったんだが。
0727名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/20(金) 02:14:27.96ID:YAjx3I5C0
>>725
>満州事変を否定しているわけじゃない

「満州における軍事行動が必要となる」という認識は、省部のトップから中堅層までの間で
幅広い合意ができていたよ。

けれども石原らのように、騙し討ちので事態を始めて全満州の軍事占領に至るなんてことは
想定していなかったろうと推定されている。

短絡的な頭脳の持ち主は、「満州で軍事行動をする」=「満州事変だ」とか考えてしまうのかも知れないが、
国内と諸外国の同意を取り付けたうえで合法的に国家意思として軍事行動を起こすことと、
謀略的な陰謀によって事を起こして国家意思に反する行動をとって他国を軍事占領することとは
根本的に違うことだ。
0728名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/20(金) 06:19:54.55ID:OfwP/M0a0
>>727
>>727
石原の成果を最大限に利用して満州事変を推進していたのが永田。
勃発する何年も前から穏健であったり慎重であっても永田が満州事変を推進していたことには違いがない。
それと徒党を組んでの権力奪取も計画実行していたよな。
0729名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/20(金) 12:10:44.73ID:YAjx3I5C0
>728
>石原の成果を最大限に利用して満州事変を推進していたのが永田。

満州事変を推進したのは南陸相が責任を取って辞任した後に陸相に就任した荒木貞夫だ。
永田はあくまで満州事変が穏当な結末を迎えるように、現地軍の統制と戦線の不拡大に奔走している。

>徒党を組んでの権力奪取も計画実行していたよな。

何の話だ?
永田がそのような計画を実行したことはなかったが?
0730名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/21(土) 01:06:54.18ID:0GoodXrI0
日本を大敗させたアホの山本五十六

■小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』
「大東亜戦争の初め、東条首相は真珠湾攻撃を知らなかった。
これは東条のみでなく、陸軍全体が知らなかった。 誰もが驚くような話である。
何故かと言えば、日本軍の共同体の構造がそのようになっていたからだ。」  
 
■佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
「だがこの時すでに、真珠湾作戦部隊はヒトカップ湾をハワイに向けて 出航している。
政府はこのことを知らされていない。 略
国家存亡の戦争を行う国の最高指導者が知らぬまに、
そして 共同作戦をとる陸軍が知らぬ間に、このような重大作戦が決行される事など、
最高指導者の下に統合幕僚組織のある普通の国では考えられないことである。」

■西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693』
「つまり連合艦隊司令長官は、この時既にハワイ真珠湾攻撃を決意していたのだ。
このことは海軍軍令部総長も知らない。
もちろん、首相である近衛も十月に首相になった東条も知らない。」  略
腹案は、よくできている。そして、現実には、第一段階(南方作戦)は一挙に達成され、第二段階(西亜作戦)の途中まで達成された。
しかし、この「戦争終末促進に関する腹案」の基本方針に反することを、最初から実施し、しかも順調に進んでいた第二段階を自ら放棄して、
結局、腹案全体の戦略と戦術、我が国家の基本戦略を崩壊せしめた人物がいた。
我が国から統合幕僚本部を喪失させた山本権兵衛に続く、海軍のもう一人の山本。山本五十六連合艦隊司令長官である。

■茂木弘道『史実を世界に発信する会』
その基本戦略に反する戦いを始めたのは、海軍の山本五十六連合艦隊司令長官であった。

山本提督一派によるパフォーマンスのようにしか見えない戦い方だが、最初の真珠湾攻撃で意見の対立が生じたとき、
山本提督を更迭するだけの力(それだけの人物)と覚悟が海軍上層部になかったということなのか。
結果、日米戦争での日本の戦いは相手(米国)のリングで戦うことになり、惨憺たる負け戦になったことは史実が示す通りである。
0731名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/21(土) 13:35:12.43ID:CVHGOAkB0
永田がかき回して陸軍を台無しにした。
バーデンバーデンの誓いや二葉会一夕会の活動を無かったことには出来ないと思う。
0734名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/22(日) 14:24:07.61ID:klwHwj/A0
梅津が回りまわって主流に就けなかっのも統制派の責任か。
宇垣路線のままの方が穏健さやコンセンサスの側面からは良かったのでは?
0735田中寛治
垢版 |
2014/06/23(月) 04:46:47.71ID:v+Jcsf+H0
「松本零士」の「1000年女王」で「雨森始」の父親の経営する特殊な町工場が爆発する。
「始ーっ、来るなーっ。」

「B29」が焼夷弾で爆撃するのではなく「オカルト化学」「オカルト物理学」に手を染め
る「罰当たり」が増え始めた。
0736名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/26(木) 06:58:36.98ID:sSWU9HbL0
岡村はどっちに近かったんだろうね?
0737名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/06/29(日) 08:02:45.81ID:FNv9Njpq0
>731
>バーデンバーデンの誓いや二葉会一夕会の活動を無かったことには出来ないと思う。

バーデンバーデンで永田や小畑が同意したのは、軍の近代化が必要・無能な上官を
淘汰することが必要・そのための新進的な知識と思想を持った若手の選抜を要する、
といった事柄だろう?

無かったことに出来ないも何も、当時だったらそれが必要だというのは誰の目にも
明らかな事実だったんだから何の問題もないよ。

二葉会や一夕会の活動の中から過激な言動を取るような連中が出てきたのが
永田の責任だってのも論理が強引すぎるね。
あくまで責任は暴走した板垣や石原という個人に帰せられるべき問題であり、
現地で暴走した連中の責任を軽減するための繰り言でしかない。

>>734
>梅津が回りまわって主流に就けなかっのも統制派の責任か

梅津は陸軍次官になっているんだけど?
陸軍軍政のNo2が主流ではないって、いったいどういう理屈だよ。

>宇垣路線のままの方が穏健さやコンセンサスの側面からは良かった

同感だ。
永田はその宇垣路線の推進者だったんだけどね。

>736

岡村はこの時期の派閥闘争にはあんまりかかわってないみたいだ。
ちょうど永田・小畑の対立が悪化していった昭和7年から9年頃にかけては
中国にいたから。

その後も、一時的に国内に戻っても基本的には中国で軍司令官として働く期間が
長かったから、派閥抗争的な動きにはほとんど巻き込まれていない。
0738名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/04(金) 01:25:10.04ID:yTKnKMKq0
宇垣が陸軍内で干された理由がよくわからん。
出世した理由も分からんのだけどw

宇垣縮軍だっけ?
あれで人数じゃなく、装備を重視という方向に向けようとして士官達を敵に回した?
226の直前もこの人がクーデター仕掛けようとしていたか、担がれようとしてたって話もあったと思うんだが。

よー分からん人じゃ
0741名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/16(水) 17:39:59.00ID:ng3Z3LSz0
東条はバーデンバーデンにも参加しているし
0743名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/17(木) 20:45:21.87ID:oi6dd+B/0
>>742
陸軍士官学校、陸大時代やバーデンバーデンの頃の永田と小畑の関係は
どうだったんだろう?
永田が参本2部長、小畑の参本4部長時代には完全に決裂していたが。
もともと永田と小畑は馬が合ったのだろうか?

海軍だと、米内光政と末次信正が犬猿の仲だったのが、東条内閣打倒で
和解しているけれど。
0745名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/20(日) 19:03:03.48ID:jas5NzKq0
>>738
>宇垣が陸軍内で干された理由がよくわからん。

宇垣は陸軍内にいた時には陸相として最高位を占めていたんだけど。

現役を引退した後に排斥されたのは間違いないけど、それを指して
「干された」とは言わないんじゃないかな?

>出世した理由も分からんのだけどw

仕事ができたし、その仕事の手腕に期待しての人望もあった。

当時、第一次大戦を経た欧州の陸軍に対して3流以下に成り下がっていた
日本軍の装備や編成の近代化が必要だったことは衆目の一致するところだった。
その一方、政党政治の定着して民意を重視する政治が行われる中で、
税負担を軽減するためにも軍備縮小を要求する声が非常に強かった。

その逆風の中で、人員削減という政党や国民に対する説得材料を用意することで
軍の近代化を推し進めるという政治的手腕を見せつけた宇垣に対して
近代化が必要だということを理解している軍の中堅層の佐官や尉官あたりは
相応の支持を与えたんだよ。

対して、頭が固くて軍事技術の進歩についてゆけず、日露戦争の勝利という過去の幻想に
囚われたまま「三八式歩兵銃を持ち、よく訓練された兵士が居さえすれば日本軍は無敵だ」
とかいうアホな思い込みを持ったままの将官級の連中は、自分のクビを切られた恨み節を
抱え込んでしまったので、宇垣排撃へと動いて行った。

>226の直前もこの人がクーデター仕掛けようとしていたか、担がれようとしてたって話もあったと思うんだが。

3月事件のことかな?

事件そのものが闇に葬られたうえに関係者が自分に都合のいいことしか喋ってないから
何が正確なところなのかが今一つ判らないけど、事件の主犯というべきなのは
宇垣よりもむしろ小磯国昭の方だろうね。
0746名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/20(日) 19:03:45.69ID:jas5NzKq0
>742
>永田は宇垣を追い払って宇垣と同じことをやろうとした。

は?
宇垣が陸相を退いたのは浜口内閣退陣の時だよ?

永田がどうやって宇垣を追っ払ったっていうんだい?

>陸軍下克上の親玉だな。

ほう。
「下剋上」というのであれば、上司の言葉に逆らって勝手な行動をとっているという
事実があったはずなんだが、その事例を挙げてもらえないかな?


>743
>陸軍士官学校、陸大時代やバーデンバーデンの頃の永田と小畑の関係は
>どうだったんだろう?

基本的には仲の良い親友同士だったようだよ。
でなければ、岡村と並んで十六期三羽烏なんて形容はされないだろ。


>744
>小畑や山下は有能さを証明しているよな。
>大臣にして良し、大将にして良し。

大臣や大将になったことが有能さの証明なら、荒木貞夫や林銑十郎も有能だったことになるねw
0747名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/20(日) 23:37:52.20ID:G7QeIQ840
>>746
永田と小畑が決裂したのは、厳密に言っていつ頃?
0748名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/21(月) 13:07:31.98ID:gNogZQSC0
>>746
永田は荒木や真崎をもり立てて宇垣系を排除してるが?
あのままま宇垣の影響力を残して穏健な南・金谷路線を維持するのが正解だった。
0750名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/21(月) 17:41:48.74ID:w7j+zR8F0
>>747
>永田と小畑が決裂したのは、厳密に言っていつ頃?

昭和7年に満州事変が一段落した5月ごろから順次行われた、
いわゆる「荒木人事」の頃から徐々に関係が悪化していったようだ。

まぁ、この時期は永田と小畑が仲違いをしたというよりも、
荒木を主軸とする皇道派勢力の派閥専横っぷりを見てそれに反発した
陸軍の大多数が反感を募らせていったという方が近いが。

完全にこの両者が決裂したのは、昭和8年の6月ごろに省部の主だった
メンバーを集めた会議が行われた際に、対ソ政策や対支政策を巡っての
意見対立が下で完全に喧嘩別れに至った時だろうね。

この時は小畑が対ソ戦争を念頭に置いていたのに対して、永田その反対に
平和を維持して戦争には反対するというもので、ほぼ全面的な対立だった
といっていいようだ。


>>748
>永田は荒木や真崎をもり立てて宇垣系を排除してるが?

荒木や真崎の擁立に動いたのは確かだが、宇垣系の排斥は荒木ら皇道派が
行ったことであって、永田がそれを主導したわけでもなんでもないんだが。

というか、永田はこの皇道派の専横人事を見て愛想を尽かして反皇道派の
立場をとるようになったんだけどね。

>あのまま宇垣の影響力を残して穏健な南・金谷路線を維持するのが正解だった。

まぁ、その通りだろうね。
要するに、満州事変によって下剋上をやらかして南路線を葬り去った石原の暴走と、
その石原らと気脈を通じて十月事件を起こした桜会のクーデター未遂騒動とが
宇垣が主導した軍の近代化と穏健な大陸政策を葬り去ったわけだ。


>>749
>バーデンバーデンで結託したり

3〜4人の中堅どころの陸軍軍人がヨーロッパのどこだかで集まって
気焔をあげてたのがどうかしたのかい?

上原勇作や武藤信義といった連中の家に集まっていた後の皇道派メンバーが
打倒長州閥を誓い合っていたのと比べたってたいした違いはないんだがね。

>二葉会や一夕会の派閥を作って下克上。

荒木や真崎、小畑・山岡・松浦・山下といった連中も派閥を作っているんだが。
2・26事件を起こすことになる尉官クラスの青年将校を含めた皇道派こそが
下剋上の代表例だよ。
0752名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/21(月) 18:17:33.44ID:w7j+zR8F0
>>751
>小畑も元々永田の同士だろうが。なぜ永田だけ免罪する。

小畑は派閥的専横の代名詞ともいうべき皇道派の重鎮で、永田は統制派と呼ばれはするけど
そうした派閥的な動はほとんど行っていないからね。

>永田は下克上派閥活動の首謀者じゃない?

永田は下剋上を行ったことなどないよ?

石原らが起こした満州事変と橋本らが起こしかけた十月事件の両方とも、
永田は火消し役に回って奔走している。

また、派閥の力を利用して人事を捻じ曲げて出世しようともしていない。
そんなことをしなくとも出世できるだけの力を持ち、周囲にも認められていたからね。

実際、「永田に派閥的配慮をしてもらったおかげで出世した」といっている人間もいなければ、
周囲からそのように見られている人間もほとんどいない。
永田の周りに集まってきた東条や武藤、片倉衷や池田純久といった連中は、
どいつも自分の才覚で頭角を伸ばしてきたやつばかりで、永田による庇護を得て
派閥的な恩恵を被っているなんてのはほとんどいない。
0754名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/21(月) 21:09:19.37ID:w7j+zR8F0
>>753
>はあ?バーデンバーデンも

バーデンバーデンで集まるように声をかけたのは岡村だよ?

>二葉会も一夕会も永田が中心なわけだが?

単に集まったメンバーの中で実力人望ともに抜きんでていたのが永田だっただけで、
永田が派閥的な言動をとって「俺の言うことを聞け」的な親分・子分的な関係を
強いたことは資料からは窺えないのだが?
0756名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/22(火) 00:06:31.80ID:kAJdUqzr0
>>755
組織を指導?
具体的にどういった行動を指すのかな?

基本的には二葉会も木曜会も一夕会も、名目上は単なる陸軍の中堅軍人同士が
寄り集まって軍事的な研究をするというただの勉強会だよ?

いったい永田が一夕会員たちをどのように「指導」していたんだか、具体的な根拠を
資料を基に提示してくれないかな?
0757名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/22(火) 06:56:16.32ID:89bqcCQ/0
>>756
っ木曜会記事

最近でた川田本にも記載されているが?
新閥を作って政治指導。
山口県出身者の陸大からの排除。
中国資源の確保。
政治かと結託して陸軍上層部の操作。
0758名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/22(火) 23:04:49.63ID:kAJdUqzr0
>>757
>っ木曜会記事

木曜会記事のいったいどこに永田が「指導」したという記載があるんだい?
ちゃんと該当する箇所を抜き出してみなよ。

>新閥を作って政治指導。

永田がいつ政治指導などを行ったんだ?
まさか木戸や原田から陸軍の意向を聞かれたときに個人的な考えを述べたのを
「政治指導」などと思っているんじゃなかろうね?

>山口県出身者の陸大からの排除。

これは当時陸大の教官だった人間に等しく可能性のある作業であって、永田個人がどうこう
という話ではまったくないね。

そもそも陸大の入学者数は一期につき50人前後。
都道府県が47ある以上、情実を排した公正な試験によって選抜が行われていたのなら、
何年間かどこかの県の出身者が入らない程度の偏りが生じるのは統計的にいっても
全く不思議ではないが。

>中国資源の確保。

君が持ってきた木曜会記事には、こんな永田の発言も載っているんだが。

「戦争は必ずしもする必要はない。戦争をしなくても満蒙を取る必要があるのか」
筒井清忠『昭和期日本の構造 二・二六事件とその時代』講談社学術文庫(p194)

> 政治かと結託して陸軍上層部の操作。

クーデターを起こして権力を奪取しようとする連中の策動を抑え込んだり、満州で暴走を
続けている関東軍を抑制するために、それを制御しうる可能性を持った人間を陸相に持って
こないとどうにもならんという判断をし、その意見を伝えることはあくまで個人の裁量だろ。

実際に若槻内閣での南陸相・金谷参謀総長は上記の混乱の末に内閣総辞職にまで
事態を持って行ってしまったんだから、宇垣・南系を推すことは難しかったろうよ。
0759名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/23(水) 20:40:23.05ID:imG7GRyN0
森 靖夫『永田鉄山』(ミネルヴァ日本評伝選)で再評価されたと永田信者が喜んでみても

川田 稔『昭和陸軍全史 1 満州事変』 (講談社現代新書)やその他の本でも幻想が上書き否定
0760名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/24(木) 16:55:57.28ID:3kzJpS9k0
>>759
逆じゃね?

川田稔が主張してるのって、森や小林道彦、北岡伸一らが掘り起こした「永田は満州事変において現地の抑制に動いていた」という
事実をまったく無視して、従来の自分の持論に延々としがみついているだけの内容でしょ。
0761名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/26(土) 06:23:54.69ID:Xzu9S1Gl0
>>760
断片的な材料から森や小林が再評価した永田評についてモロに否定されているね。
五課長会議や七課長会議が満州事変の地均しをしていたとか、事変勃発後も南・金谷の妨害をした事実とか。
このスレで触れられていた点も多々検証されている。

一巻が永田派対宇垣派が主だけど、永田派対皇道派、石原対武藤、武藤対田中の対立にスポットが当たる続刊も楽しみ。

永田は謂わば和製ルーデンドルフ。
一周遅れなんだよ。
0762名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/07/28(月) 05:27:06.55ID:kbe0CBFy0
永田信者は川田稔や筒井清忠が嫌いで大好きなのは森靖夫と小林道彦なのか?
しかし永田が軍閥化を進めた評価をしている史料や学者は前から多いからな。
0764名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/08/06(水) 13:59:25.99ID:Q2HqOR0r0
『岡村寧次大将資料(上) 戦場回想篇』

(二) 慰安婦問題を考える。昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。
斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。
昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、
同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。

 現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。
第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。
(「岡村寧次大将資料」(上) P302〜P303)

慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様←ココ注目

岡村寧次大将回想記「私は恥かしながら慰安婦案の創設者である」


岡村寧次
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E5%AF%A7%E6%AC%A1

岡村 寧次(おかむら やすじ、1884年(明治17年)5月15日 - 1966年(昭和41年)9月2日)は、
日本の陸軍軍人。支那派遣軍総司令官、北支那方面軍司令官、第11軍司令官等を歴任し、
官位は陸軍大将勲一等功一級に昇る。
父は江戸幕府に仕えた岡村寧永。元妻の星野理枝と死別した後、貴族院議員・加藤宇兵衛
の娘と再婚する。陸軍三羽烏の一人。

『岡村寧次大将資料(上) 戦場回想篇』(稲葉正夫編、原書房 なお、(下)は刊行されていない)

慰安婦(『資料(上)』によれば、慰安婦制度を最初に考案したのは岡村。
第一次上海事変当時のことで、強姦事件が起きたために長崎県知事に依頼して慰問団を
送ってもらったと述べている)
0765名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/08/07(木) 03:31:08.09ID:0wXavIz20
永田派の策動で荒木を擁立したのが道を踏み外した大きな一歩になった。
長閥だ宇垣派だとのレッテル貼りの批判に負けないで阿部信行のまままで行っていれば政治優先で良かったのでは?
0773名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/11/23(日) 11:52:01.66ID:lZZv1QGE0
陸軍刑法により林将軍は死刑
本庄、板垣、石原も処刑

民政内閣が続き、その後も政党内閣制が定着。
0775名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/09/04(金) 03:01:23.23ID:6qX9I/Wu0
田中義一から長州閥を継承した宇垣派を排除することを目標にして一夕会や桜会が結成され
桜会は三月事件という軍事クーデターで宇垣一成を擁立しようとしています
なぜ本来の敵である宇垣一成を擁立しようとしたのでしょうか?
結果的にこれで宇垣派も凋落し後に一夕会によって陸軍の主要ポストの奪取に成功したわけですが
もしクーデターが成功して政党政治家(政界の薩長閥)を排除しても陸軍の長州閥が居座っては意味が無かったでしょうに
0776名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/09/12(土) 03:06:28.25ID:xbrH/41M0
>>775
>田中義一から長州閥を継承した宇垣派を排除することを目標にして一夕会や桜会が結成され
>桜会は三月事件という軍事クーデターで宇垣一成を擁立しようとしています
>なぜ本来の敵である宇垣一成を擁立しようとしたのでしょうか?

基本的な部分で事実誤認があります。

宇垣は田中から「長州閥」を受け継いだのではなく、「陸軍における主導的地位」を
継承したのであって、宇垣とその配下の連中は長州出身であるがゆえに地位を得た
というわけでは無く、陸軍のなかでの学歴や軍政上の手腕を買われてその地位を得た
集団であり、むしろ「宇垣閥」とでも呼ぶべき存在でした。

宇垣四天王と言われた4人の腹心も、杉山元(福岡)、小磯国明(山形)、
二宮治重(岡山)、建川美次(新潟)といった具合に長州出身は全く居ないし、
もし生きていたら宇垣の後継者となったろうといわれている畑英太郎にしても
福島の出身という具合。

事実上、「長州閥」というのは田中義一あたりを最後に陸軍からは消え去ったと
評しても問題はないといっていいでしょう。

宇垣以降に陸軍の要職を占めたのは、地縁的な情実人事による登用に頼ることなく、
陸士陸大での成績と、省部中枢における行政能力の有無によってふるいを掛けられた
学校秀才的な出世コースを着実に歩んできた人間たちであったと評するべきです。


一夕会の連中が掲げた旗印は「長州閥の排除」ですが、それはあくまで彼らの
最終的な目標を達成するための一手段です。

彼らの最大の目標は、第一次大戦によって現出した新しい戦争形態である「総力戦」を
戦えるだけの実力を日本の陸軍にどうやってもたらすか、軍の近代化をどうやって
推し進めるか、というところにあり、その目標の達成の障害となっているのが
長州閥の情実人事によって長州出身の無能な将官がはびこっている現状だったので
「長州閥の排除」という目標を掲げただけだったのです。

その為、宇垣によって「実力のある人材の抜擢・登用」という人事の方針転換が行われ、
「宇垣軍縮」と呼ばれることになる、余剰人員の削減と軍備の近代化とを同時に進める
宇垣軍政が軌道に乗ろうとしたときに、一夕会の面々はそれを歓迎したわけです。

桜会の連中がクーデターを企図したのは、経済緊縮政策を取っていた浜口内閣が
過剰な軍縮を要求し出して人員の削減だけが押し付けられて軍備の近代化が出来なく
なるのではないかとの危機感を背景としています。
この背景があるからこそ小磯や建川といった宇垣の配下たちも桜会のクーデター計画に
一枚噛んだのだし、宇垣自身がそれに乗って見せるかのような身振りを見せたのも
そうした陸軍内の空気を感じたからでもあったのでしょう。
0778名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/09/17(木) 09:37:28.30ID:QWTqKtvB0
>>776
ありがとうございました
学校秀才的な出世コースを着実に歩んできた人間たちの形成した宇垣閥を排除して
かつての長州閥のように情実人事で無能な三奸四愚をはびこらせて
暴走し国民に迷惑をかけたのが一夕会たちということでしょうか?
0779名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/09/18(金) 09:43:10.97ID:Wp2Np4NS0
>>777
明治初期から大正中期くらいまでの期間は実際に薩長閥と呼ばれうる集団が存在していたし、
情実人事がまかり通るような状況でもあったようだね。

そうした薩長閥による陸海軍支配、ひいては日本の官僚組織そのものが薩長閥によって
支配されている状態に対して、民衆の側が批判を強めていったのが大正期だといえる。

上原勇作が二個師団増設を要求して西園寺内閣を倒閣させた後、第三次桂太郎内閣が
組織されたときに「閥族打破」をスローガンとした第一次憲政擁護運動が起こった。
これがいわゆる「大正政変」。

--------------------------------------------------------------------
大正政変
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%94%BF%E5%A4%89

歴史的意義

日比谷焼打事件でも示された民衆運動の力がついに政権を覆した。民衆の直接行動が
内閣を倒した最初の事例である。
藩閥政治の行き詰まりと民主政治の高まりを示すこととなり、これ以後、普選運動など
大正デモクラシーの流れをつくっていった。

結果

桂退陣後に成立した第1次山本内閣は、立憲政友会を与党とし、原敬(内相)や
高橋是清(蔵相)ら政友会の有力者を閣僚としてむかえた。
山本は世論を怖れて、桂の二の舞を演ずることを避け、軍部大臣現役武官制を緩和して
予備役・後備役でも可とし、政党勢力に譲歩するなど、国民に対して融和的な政治を
とることで政局の安定化を図った。
--------------------------------------------------------------------

陸軍内部で薩長閥に対する批判が起こっていったのは、こうした世間における
大正デモクラシー的な空気の醸成が作用している。

情実人事などによる登用で山縣閥的な状態を形成していた内務省・宮内省・司法省
などの山縣の息がかかった高級官僚たちが、原敬の働きかけに同調して「老朽淘汰」を
旗印に掲げた学士官僚(高等文官試験に合格した帝大卒業生らの集団)たちに排斥
されていくのと、ある意味で相似形だったと言って良い。

こうした「情実人事による人材の淘汰」「実務に通暁した学士官僚への転換」という
流れに関しては、以下の本が詳しい。

清水唯一朗『近代日本の官僚 - 維新官僚から学歴エリートへ』中公新書

この辺の、明治後期から大正期にかけての日本の官僚組織内部の変遷や転換は
研究対象としてはとても地味だけど昭和の動乱の準備した前史ともいえるので、
昭和期の日本の迷走を理解するにはある程度の知識は必要だろう。

日本の陸軍は昭和に入って突如暴走を始めたわけではなく、日本という国家が
迷走を始めたのもこの日露戦争後から大正期にかけての国際環境の変遷と
国内の政治状況の変化に由来している。
0780名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/09/18(金) 10:15:24.42ID:Wp2Np4NS0
>>778
>学校秀才的な出世コースを着実に歩んできた人間たちの形成した宇垣閥を排除して
>かつての長州閥のように情実人事で無能な三奸四愚をはびこらせて
>暴走し国民に迷惑をかけたのが一夕会たちということでしょうか?

一夕会のみが暴走したかのような理解は全体像を見誤ると思いますよ。

むしろ、一夕会というのは陸軍内部の「陸軍幼年学校時代から培養されたエリート主義」
「陸大卒業生の過剰な優遇・権威の肥大」といった陸軍の弊害を煮詰めて凝りかためた
ような存在であって、一夕会的な思考や方向性は陸軍士官学校を卒業した軍人たちが
共通して持っていた価値観だったと考えるべきです。


大正デモクラシー的な風潮が世間に広まっていく中で、相対的に軍人軽視的な風潮も
強まっていきました。第一次世界大戦後に起こった国際的な軍縮気運、さらには
シベリア出兵という軍事的大失敗がこの風潮を加速しました。

シベリア出兵は今となってはあまり目立たない歴史的事件ですが、当時としては
大量の軍費の垂れ流し・国際的評判の低下・賠償や領土などの成果を全く得ない
ままの撤兵といった、それまでの日清・日露・第一次大戦などとは対照的な
「日本の軍事的・政治的敗北」で終わった軍事行動として国民に強く意識されました。

それを受けて陸海軍軍人の社会的評価も低くなり、軍人に「嫁の来手が無い」
「軍服を着て街を歩いたら税金泥棒と罵られた」とかいう状況が起こってきます。
難関試験を潜り抜けて士官学校に入ったエリート軍人という自負を持っている
人間にとっては耐え難い状況だったでしょう。

また、軍縮気運の下に人員の整理が進められて早期退職が求められるようになり、
50手前、場合によっては40そこそこの大尉か少佐くらいの段階で予備役に
回されてしまい、恩給で食っていくにも苦しいけど社会経験が無いから企業も
雇用をしようとしないみたいな状況で、進攻するインフレによって生活が困窮
するような状況に陥った先輩を多数みてしまった青年たちが、「この状況を
打破しなくては」みたいな気分が蔓延しても不思議ではありません。

満州事変という軍事的謀略に暗黙の支持を陸軍全体が与えたことは、こうした
社会状況に軍人たちが押しなべて抱いていた鬱屈を背景として考えるべきですし、
それを容認したことによって生じた下剋上の機運もまた、こうした鬱屈によって
抑圧されてねじ曲がってしまったエリート意識の暴発だったと理解した方が
より実態に合っていたのではないかと思います。

また、「情実人事で無能な三奸四愚をはびこらせて」という部分に関しては、
陸軍の中に存在していた「強硬な意見を述べた方が重用され、冷静で穏当な
見解を述べたものが排斥される」という風潮の影響が強かったように思って
います。これについて話すと長くなるので、とりあえずはここまでで。
詳しく説明しろと言われれば応じます。
0781名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/09/19(土) 01:25:18.81ID:J3LctAjg0
結果出した牟田口廉也が出世したのは仕方がないにしても
何の実績もない富永恭次を出世させたのは長州閥の情実人事と何も変わらない
むしろ悪を懲らしめた英雄気分になってそれ以上の悪事を働いている
東条英機に至っては権力の濫用も甚だしく出身地で陸大を不合格にしたり、
私怨で松前重義を前線に送るなど枚挙に暇がない
そんな松前を長州閥残党の首領・寺内寿一が庇ったのは皮肉
燻製ニシンの虚偽でいくら長州閥を貶めても彼らと同じ轍を踏み
それ以上に国民を苦しめた事実を正当化するのは難しい
0782名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/09/22(火) 19:14:30.88ID:zKIb/BEg0
民主党と同じさ
理想論ばかりではうまくいかない
0783名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2015/12/26(土) 03:35:16.35ID:9InH2f9h0
最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり
0785名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/01/20(水) 18:36:43.82ID:Xoy3koPy0
統制派vs皇道派とかけてヤクザの抗争と解きます。その心は・・

どちらも一般人から見れば同じです
0786名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/02/01(月) 08:07:51.87ID:O/nNTct00
あなたは40代ロサンゼルス新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?

それともいくつですか?

それともいくつですか?

それともいくつですか?
0788名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/04/12(火) 09:21:50.49ID:cKQu+6eC0
>>787
たしか憲兵隊の作成した内部文書で命名されたような気が。

お互いにその命名を使って相手を批判していたけど、どちらも「自称」として
「自分は皇道派だ」「私は統制派だ」という主張はしていなかったという記述を
みたことがあります。
0789名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/05/11(水) 12:48:11.14ID:+SQVZ3ir0
出世のために戦争を起こそうとしていた連中は
自分が優秀だから動乱に時代になれば出世が早まると思っていたようだが
そういう発想に至る時点で自分で思っているほど優秀ではない
0790名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/06/20(月) 20:32:00.36ID:9SasmmM00
                【ゲスウヨ】   彼らはただ座って待っているだけです。  【カブキチ】



最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。

差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。かれらは自分の財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出しています。
彼らはただ座って待っているだけです。世界に振りかかる負担は莫大です。世界を餌にして生きており、社会に何も負うことなく、何も還元しません。


日本から始まる世界的株式市場の大暴落

ウォールストリートの大暴落(1997年)につながったプロセスが、いま日本におけるプロセスの中に写し出されており、再び株式市場の暴落につながるでしょう。
日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト レーヤは出現するでしょう。彼は「匿名」で働いております。
彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。彼は、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。
非常に間もなくマイト レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。
マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。

竹下雅敏「どうも日本人のレベルの低さというのは、ドイツはUFOテクノロジーを完成させていたのに、日本は戦艦大和で喜んでいたという感じなのです。」
矢追純一「宇宙人側からの申し入れは、核の利用と戦争をやめ宇宙人の存在を公表しなさい。ロシアという大国の首相がね、2回も言ってるんだからね。」
https://www.youtube.com/watch?v=FIRXKe tUkq8


世界平和の脅威は、イスラエル、イラン、アメリカです。イスラエルの役割は跪いて、パレスチナに許しを請うことです。
アメリカによる他国の虐待に反対の声を上げなければなりません。彼らは今世紀(21世紀)をこの帝国が出来上がるアメリカの世紀と呼ぶ。しかし、そうはならないでしょう。
彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したいという衝動(1種類の政治形態が世界中を支配する)をコントロールするのは、マイト レーヤの任務です。
0792名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/07/31(日) 00:10:55.62ID:1QK781gR0
更新
0793名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/08/05(金) 11:32:46.80ID:PQ5NmutK0
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/vX3ERl
0794名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/08/12(金) 21:36:58.78ID:N426kJzh0
今日は統制派のリーダー的存在の永田鉄山が惨殺された

相沢事件が発生した日でした
0795名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/08/18(木) 14:31:08.93ID:T2FWnUna0
[BSプレミアム]
2016年8月18日(木) 午後5:00〜午後6:00(60分)
幕末、雄藩と幕府の対立が高まる中で政局の行方を左右する存在として注目を浴びた佐賀藩主・鍋島閑叟。技術を開発し独力で作り上げた幕末最強の軍をどう使うか、葛藤する。

【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】岩下哲典,佐渡島庸平,中野信子,鈴木一義,【語り】松重豊
0796名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/09/13(火) 21:19:52.69ID:BS41MRQL0
更新
0797名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/09/23(金) 18:32:06.22ID:e90YU3Jr0
会津は売国奴


http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/images/2016/09/21/M16092112178/efc636fa3839ddca1fa39fdeffab7c06.jpg

 戊辰戦争さなかの1868年(明治元年)、新政府軍(官軍)と戦っていた会津・庄内両藩が、プロイセン(ドイツ)から
資金を借りる担保として「蝦夷地(えぞち)の領地を99年間貸与すると申し出た」と記した駐日公使発本国向けの外交書簡を、
五百旗頭(いおきべ)薫東大教授らの研究チームがベルリンで発見した。内容通りなら、ドイツの蝦夷地租借構想が水面下で
具体化していたことになる。東大史料編纂(へんさん)所の箱石大(はこいしひろし)准教授は「戊辰戦争が長引いていれば
実現していた可能性がある」とみる。

 これまでは、日大のアンドレアス・バウマン教授が1995年にドイツ連邦軍事文書館で見つけた文書から、1868年
7月に両藩から蝦夷地の土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったと
みられていた。

 その後、ボン大学の研究者と箱石准教授が同文書館で、宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側では
ゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。

 今回見つかった外交書簡を書いたのは、横浜にいた駐日プロイセン公使マックス・フォン・ブラント。貸与期間を具体的に盛り
込むなど、両藩との間で交渉妥結の下地が整っていたことがうかがえる。

 とはいえ、ブラントが横浜から本国の宰相に新発見書簡を発信した日付は68年11月12日で、すでに会津藩の降伏から
6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており、現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。

 書簡の保管先はベルリンの連邦文書館。五百旗頭教授らが2013年に着手したドイツの史料発掘プロジェクトの中で、国立
歴史民俗博物館(千葉県)の福岡万里子准教授が読み解いた。

 それによると「シュネル(当時東北にいたプロイセン人の仲介役)が、借り入れに対して蝦夷地の領地を99年間、担保として
与えるとする会津・庄内領主の(シュネルに対する)全権委任状を持ってきた。100平方ドイツマイル(5625平方キロ)の
土地を得るのに30万メキシコドルで十分だ」などと書かれているという。

 幕末期の会津藩の領地は現在のオホーツク、根室管内の一部、庄内藩は留萌、上川管内の一部など。書簡には「会津・庄内藩の
蝦夷地の領地に良港はないが、ひとたび足がかりをつかめば他の地の購入が容易になるだろう」ともつづられており、海軍拠点
確保に向けた意図が読み取れる。

 当時のプロイセンは2年前の1866年に対オーストリア戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となっており、ドイツ帝国の
形成に向かう軍備拡張期だった。(報道センター編集委員 小坂洋右)

09/21 17:15 更新
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0317478.html
0799名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/21(金) 23:40:52.17ID:EcWmO4uV0
薩摩閥(西郷隆盛)                                                長州閥(大村益次郎)
  |                                                              |
薩摩閥(大山巌)   佐賀左肩党(宇都宮太郎)                              長州閥(山県有朋)
  |               |                                               |
薩摩閥(上原勇作)  肥前閥(武藤信義)     桜会(橋本欣五郎)                 長州閥(寺内正毅)
  |               |                |                                |
  └――――┬――――┴――――――――――┘                          長州閥(田中義一)
          |                                                      |
      皇道派(荒木貞夫・真崎甚三郎)   二葉会(永田鉄山) 木曜会(鈴木貞一)      宇垣派(宇垣一成)
          |                       |            |                    |
          └―――――――――――――――┼――――――┘               宇垣派(南次郎)
北一輝                           一夕会(永田鉄山).                     |
  └―――――┐  ┌――――――――――――┴――――――――┐                |
          皇道派(真崎甚三郎)                    統制派(東條英機)         |
                                              └―――――┬―――――┘
                                                 新統制派(東條英機・杉山元)

桜会が無謀な暴走をして軍のコントロールが失われ
皇道派が独断で満州国を建国して国際的に孤立したので
収拾のために統制派(桜会残党・二葉会・木曜会)が旧長州閥を吸収したでOK?
0800名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/24(月) 04:18:21.84ID:E3pOHcKI0
石原莞爾と板垣征四郎が皇道派ということはないだろう。
0802名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/25(火) 14:11:10.13ID:kfNaAA330
石原莞爾を参謀本部に引っ張ってきたのは永田鉄山だしな。
そして石原の初登庁の日に永田が殺された。
もっとも石原は、相澤三郎の弁護人を引き受けそうになっているが。
0803名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/12/25(日) 20:48:49.87ID:f8BHqAbV0
★日中戦争は中国都市無差別爆撃を強行した
海軍と山本五十六によって計画的に引き起こされた。

■山本五十六海軍次官が主導する当時の海軍は陸軍に対抗できる予算獲得を
最優先の目的に海軍を主導し、日中全面戦争を画策。
大山事件を企てて船津和平交渉を妨害阻止し国民に戦意を煽り
中国に対し無差別爆撃を強行。
陸軍参謀本部が進めていた日中停戦交渉を絶望的にさせた。

第二次上海事変を口実に(船津和平工作などから見て停戦は十分可能だった)
南京無差別爆撃を強行し、反日勢力を刺激し、全中国人を抗日で一致団結させる結果を招く。
日中間は泥沼戦争状態になった。

海軍次官・山本五十六が主導したと考えられる南京無差別爆撃の結果

・米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)
・国際連盟は海軍による南京無差別爆撃に対し非難決議を採択。
・国共合作が実現。バラバラだった全中国人が抗日で一致団結してしまった。
・蒋介石夫人がアメリカ議会で日本の無差別爆撃を非難。アメリカ議会の賛同を得る。

以後、山本五十六海軍次官は米内海相とともに
黒潮会(山本五十六が育てた戦争宣伝組織)を利用して
徹底して新聞で中国討伐を煽りまくり
陸軍参謀本部の日中停戦工作(船津和平工作、トラウトマン工作)をことごとく妨害し潰した。
何もかも、海軍の利権拡大が目的だと考えられる。

山本五十六は記者クラブ(黒潮会)を利用し、
新聞社を戦争扇動機関に育てた日本の先駆者である。
0805名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/02/26(日) 13:36:53.55ID:VtpxMn3l0
2.26事件で狙われた岡田啓介は軍拡派


岡田啓介は戦後、戦争に反対した平和主義者のごとく善人扱いされ
軍拡派の青年将校らが、軍縮を進める政府を狙ったと
宣伝がされてきたが、実際には全然違う。

当時の岡田首相は第二次ロンドン軍縮会議の予備交渉で、
米英に無理難題を要求して計画的に条約脱退に持ち込むように
派遣される山本五十六と画策した人物。
また岡田は大角海相に指示して海軍の条約派を一掃させた。
いわゆる大角人事だが、これを裏で指示したのは岡田以外はありえない。

ようするに岡田啓介こそが
海軍の大軍拡路線の道を切り開き、対米戦争可能な大兵力を
海軍に与えた張本人である。
真珠湾奇襲で一番大はしゃぎして喜んだのも岡田だったとのこと。
平和主義者でもなんでもない、海軍の軍拡を図るいわゆる利権勢力。

2.26事件で狙われた岡田啓介とは
そういう人物だと言う事実はまったく国民に知られていない。
戦後ずっと事実とは違うまったくの大嘘が伝えられてきた。
0807名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/01/31(水) 14:50:10.95ID:I/Y5AjPQ0
近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

TESGK
0808名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/10(土) 14:19:07.76ID:km6/sYQq0
海軍に関して言えば、堀を復帰させるという案はなかったのだろうか?
0810名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/12(月) 22:38:33.06ID:CvGFgUr80
1940年ごろには、日本がアメリカの艦隊増強ペースに対抗不可能であることは
明白になっていたのだけど、艦隊派の見通しの甘さに対する責任追及の声は
上がらなかったのだろうか
0811名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/12(月) 23:43:58.76ID:F85e/b310
ふむふむ
0812名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/13(火) 01:27:36.22ID:eQ0lGQCf0
>>810
そうい具体的かつ建設的議論はなされず、海軍やその派閥の利益を重視していたイメージがあるが、どうだろう。
0813名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/20(火) 21:03:33.94ID:68cdlvoJ0
艦隊派の中心人物の一人だったのに伏見宮に嫌われて政治家になっていた
末次信正を、太平洋戦争中に軍令部総長として海軍へ復帰させようとする
動きはあったらしいが
0814名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/21(水) 03:05:25.68ID:CQS8roaA0
権力闘争に負けたろどうしようもねえな
0815名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2018/02/22(木) 23:36:17.34ID:SMuZIQit0
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況