陸軍長州閥兼民政党総裁・田中義一を引きずり下ろすことが目的だった陸大学閥が一夕会(皇道派・統制派)を結成し革新官僚と連携開始

一夕会は優秀な人材が多く、自分たちが出世して中枢を牛耳れば世の中がよくなると信じて疑わなかった
そして出世のためには手柄をたてる必要があるため多少の暴走も結果が良ければ容認された

関東軍参謀・河本大作(一夕会)が独断で張作霖を爆殺

関東軍をかばった田中義一が昭和天皇の不興を買い失脚。大蔵官僚出身の民政党・濱口雄幸が組閣

濱口は防衛費削減のためにロンドン軍縮会議を締結。これに海軍軍令部艦隊派(伏見宮博恭王・加藤寛治・末次信正)が猛反発

政友会・鳩山一郎、犬養毅が統帥権干犯問題を持ち出し政争に利用

蔵相・井上準之助が金解禁に踏切り、国内の金を大量に流出させて経済を混乱させてしまう

濱口首相が銃撃され重症。鳩山一郎の登壇要求で無理し病状悪化し辞任。大蔵官僚出身の民政党・若槻禮次郎が再登板

関東軍・板垣征四郎と石原莞爾(一夕会)が独断で満州事変を起こし、収集のつかない若槻内閣は選挙で大敗し総辞職

若槻内閣への襲撃をもくろんでいた海軍将校たちが軍閥内閣の設立を目指し準備を始める

後任の政友会・犬養毅が組閣。海軍将校たちは計画を中断できず犬養を襲撃し五・一五事件勃発

これ以降、軍人や軍と仲の良い軍を制御できる人が首相に指名される傾向が強くなる
海軍条約派・斎藤実が連立内閣を組閣。内田康哉外相は満州利権を護るため焦土外交を主張し国連脱退を強行する

皇道派のロボットだった閑院宮載仁親王の裏切りにより陸軍皇道派・真崎甚三郎が失脚

帝人事件で総辞職。海軍条約派・岡田啓介が引き継ぐが陸軍主導権を奪回したい皇道派による二・二六事件で暗殺

広田内閣以降、陸軍統制派は長州閥の寺内寿一を傘下に加えた新統制派へ移行し東条英機が陸軍内の主導権を握る
東条・寺内ら新統制派主導で予備役の荒木貞夫や真崎甚三郎ら皇道派が復活しないよう軍部大臣現役武官制を復活させ、陸相が辞任をちらつかせて内閣を脅すようになる

近衛内閣時に支那駐屯軍・牟田口廉也(皇道派)が盧溝橋事件を起こし日中戦争開戦

平沼内閣時に関東軍・辻政信(新統制派)がノモンハン事件を起こす

阿部内閣の後に海軍条約派の米内光政が組閣するも、陸軍は畑俊六陸相を辞任させ倒閣

近衛内閣もハル・ノートをめぐり東條英機により倒閣

東條英機が首相に指名される

陸軍皇道派と海軍艦隊派が軍国主義を煽り、統制派がトドメをさしてしまった